9.微睡み、見上げた空
「せい……精霊様……。オデットは……一体、どんな失礼を、したのでしょうか……?」
今にもハゲあがりそうな悲哀に満ちたセルジュが言った。
「お願いいたします精霊様! どうかオデットをわたくし達のディナーになさらないでくださいませ!」
娘が豚になったら食べる気満々のアドリエンヌが私にすがり付く。
「お願いします精霊さま!」
「お願いします!」「精霊さまお願いします!」
「せいれいさまー!」「精霊さまーーー!」
アレンを除く王家が勢揃いしてオデット以外が私にすがり付いてくる。まだ五歳になっていない子供も来ているから、総勢十二人だ。アドリエンヌのお腹にいる子も含めれば十三人になる。一体何人産む気だろうか。
『大丈夫よ、オデットがちゃんと一週間サボらずに来ればいいだけの話だから。それよりも、言ってたモノをちゃんと持ってきて貰えたかしら?』
私が望んでいたモノを出すように促すが、半狂乱になっている彼女、彼らの耳には届いていないようだ。唯一セルジュは叫んでいないが、今にも倒れてしまいそうなほど青ざめて意識はどこかにお散歩中らしい。現実逃避もいいけれど、セルジュがしっかりしてくれなければ、天然家族は留まることを知らないので困る。
「大丈夫だって言ってるじゃない、もう! いいから帰ってよ!」
セルジュが持っていた箱を奪い取り、オデットは泣きわめく家族達の背中を押して帰るように促す。それをオデットの強がりだと勘違いしたアドリエンヌは、オデットを抱きかかえて離さない。それにつられるように、家族一同はまたオデットを中心に泣きわめく。
という光景が日が暮れるまで続き、オデット美容強化期間・一日目は結局何もできずに終了した。
二日目、今日はオデットが一人で現れた。良かった、何もできずに一週間を費やしてしまうかと思った。しかし、昨日はちゃんと綺麗な服を着ていたのに、何故今日はまた服をボロボロにしているのだろうか?
「……あの人たちを撒くのに必死だったのよ」
くだらない嘘をつく余裕も無いほど疲れているようだ。何が起こったか気になるところだが、今はそっとしておいてあげよう。
『大変だったわね、お疲れさま。じゃあ、こっちに来て寝転んでくれる?』
訝しげにしているオデットだが、豚になるのを回避するために渋々泉の方へ寄って来た。私はオデットを頭が泉に浸かるくらいの位置に仰向けに寝かせ、もじゃもじゃの髪の毛をゆっくりと梳かすように泉の水を染み込ませていく。
「……ねぇ。何してるの?」
『そうね、しいて言うなら、お人形さん遊びかしら?』
見るからに嫌そうな顔をするオデット。そんな彼女を横目に、私はお人形さん遊びをしていた小さい頃を思い出し、その頃好きだったアニメの歌を口ずさむ。
内容的には、人間の子がかくれんぼしているところをクマの子が見ているのだけど、何故かお尻を出した子が一等賞になるという不可思議な歌だ。
「何それ、お尻を出す意味が分からない」
確かに。しかし、子供向けの歌なんて得てしてそんなものだと思う。
意外と鋭いツッコミを見せたオデットにもめげず、私は歌い続けながらオデットの髪にトリートメントをなじませていく。
トリートメントは、この森にあるハーブやハチミツなどを使って、昨日持って来て貰っていた薬剤調合道具セットで作っておいたのだ。“人間の髪の毛にいいらしい”という歴代の泉の精のあやふやな記憶ではあるけども、まあ何もしないよりはマシだろう。
強情なもじゃもじゃを梳いて、梳いて、トリートメントを揉み込んで、揉み込んで、ついでに頭皮マッサージをして……と丁寧にしていたら、気持ちよかったのだろうか、オデットは色素の薄いまつ毛を重たそうに上下させている。
無防備なその姿に、自然と私が紡ぐ歌はアニメの歌から、さらに遠い昔聞いたものへと変わっていった。
ねむれねむれ 母の胸に
ねむれねむれ 母の手に
こころよき 歌声に
むすばずや 楽しゆめ
私の歌声に誘われて、動物達が顔を出す。
ねむれねむれ 母の胸に
ねむれねむれ 母の手に
あたたかき その袖に
つつまれて ねむれよや
風が歌い、木々が踊る。
柔らかい陽の光が射し込み、花が笑う。
気がつけば、オデットは動物達に包まれて、小さな胸をゆっくりと上下させていた。
オデットの美貌も手伝って、その光景はまるでおとぎ話の中のようだった。
美しく、心地よい世界。夢のような世界の中で、母に歌って貰った歌を歌いながら、母の幻を思い出す。小さく、丸まったあの背中を。
「泣いてるの?」
透明な声が私の歌を遮った。驚いてオデットを見てみると、眠ったと思っていたのに、そのアクアマリンの眼差しは静かに私を見上げていた。
『泣いてないわ。そもそも、私から涙は出ないの。水から水が出るなんて可笑しな話でしょう?』
「でも、うちの弟妹たちが迷子になった時の顔によく似てた」
迷子……。言い得て妙だな、と変に納得してしまった。確かに私はこの不思議な世界に迷い込んだようなものだろう。しかし、私は望んでここにいるのであって、母のいない不安に泣くような迷子の子供ではない。……どうしようもない郷愁と罪悪感はあるけれども。
私がどう答えようか迷っていると、オデットはどうでもいいと言うように、再び目を瞑り言った。
「ねぇ、もっと歌って」
不思議な子だ。鋭く心を覗いたかと思うと、次の瞬間にはもう無関心になる。だけど、否定も肯定もしないその態度がなんだか心地よくて、微睡みの中にいるような感覚で空を見上げる。
そして私は歌う。頭上に広がるこの空と、母の腕の中からいつか見た空を重ね見て。