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52.掌の中、温かい世界

 ――あれから、数年が経った。


 父に彼が殴られたり、幼馴染にも殴られていたり、私が意識不明になった事の関係で左遷させられていたけれど、娘の事件があってから更に海外の僻地へと左遷させられたりと、本当に色々とあったけれど、私達は離れずに一緒にいる。


 私の娘になったアヤカは、あの事件以前の記憶の一切を失ってしまっていた。

 当初はただ生きているだけの人形みたいだった。心を、自ら泉に閉じ込めたのかもしれない。そう思って、彼女の心が癒されるのを、彼と二人でゆっくりと待とうと決めた。

 かと言って放置していた訳ではない。彼女の心が戻った時に、愛に満ちた記憶が彼女を救いますようにと、反応がなくとも私達は慈しみの心を持って彼女に接していた。

 生活は決して楽ではなかったけれど、どんな苦痛があろうとも、彼が傍にいて、笑ってくれているだけで、それだけで私は幸せだった。


 そして今日、久しぶりに日本に降り立った。

 彼が左遷された先で一大事業を成し遂げたので、その業績を認められ、日本に呼び戻されたのだ。


「……久しぶりの人ごみは胸焼けするわねぇ」


「そうだな。空気もマズいしな」


 空港から、私の実家へ行くための駅のホームでの会話。溢れる人のざわめきと、それに負けないようにスピーカーから流れるアナウンスで、私達の声はかき消される。

 隣の家は近くて五分先、という閑散としているけれど、のんびりとした場所に住んでいたため、久しぶりの人ごみに自然と無口になる私達。


 何も言わず、流れる人を眺める。

 幾人もの人間が通り過ぎては、懐かしいものを感じて目を細めた。

 あの人も、あの人も、知っている。

 顔を見るのは初めて。けれど、知っている。

 私の心と、あの泉で繋がっていた人達。

 彼らは私に気づかずに足早に通り過ぎて行く。


 今になって気づいた事がある。

 あの泉は、“良心”が集まっていたのではないのだろうかと。

 人が生きていく上で、切り捨てられていく“良心”。

 世界には痛みが溢れ、痛みに耐えられるように、痛みを感じないように、少しづつ心を切り離していく。

 あそこは、そんな優しくも哀しい心が集まる場所だった。

 そんな彼らを取り巻く世界が、美しく輝いていたなんて皮肉な話だと思う。

 自らの意志や、穢れに触れる事によって元の場所に戻った彼らは、美しい世界を取り戻せたのだろうか。

 それとも、また泉に戻ってしまっただろうか。

 すれ違う、彼らの冷めた目を見るたびに思った。


 繋いでいた柔らかい手に、ギュッと力が入った。私の胸辺りまで身長が伸びた彼女が、私をじっ、と見ている。


「どうしたのアヤカ?」


「ママ……。いたいの、いたいの、とんでけー……?」


 彼女はそう言って、私の胸を撫でては離す。彼と数秒目を合わせた後、可愛らしい彼女の様子に自然と口元が緩む。


「大丈夫よ。私には、大好きなパパもいるし、大好きなあなたもいるから。だから、痛くても大丈夫」


 頭を撫でてあげると、小首を傾げて不思議そうな顔をしている。こうやって、少ない言葉を交わすようにはなってきたけれど、感情はいまだ戻らず嬉しい事も、哀しい事も、勿論人を想う心も、理解できていない。


「だい……すき……?」


「そうだよ、アヤカ。パパも、ママも、アヤカの事が大好きだ」


 彼も彼女の髪を梳くように優しく撫でる。

 車窓から射す陽の光が眩しくて、一瞬強く瞼を閉じた。


「アヤカも、だいすき、だよ……」


 その声に目を開けた。流れる光が彼女の後ろを通り過ぎては、また彼女を照らす。

 キラキラと、光を受ける彼女の口元は、僅かに弧を描いていた。

 その眩しさに、視界が滲む。


 彼女の深い夜も明けた。

 光溢れる世界を、手に入れたのだ。


 空いていた片方の手で、彼の手も握り締める。

 これから先、私達に何度夜が訪れるだろう。暗い夜に怯えて泣くかもしれない。

 けれど、きっとこの手の温もりが私達を救うだろう。

 例え離れてしまったとしても、この温もりは忘れない。“想い”と共に、心に刻まれている。


 繋いだ彼の手が震えている。顔を仰ぎ見ると、目元を覆い男泣きしていた。

 いきなり嗚咽を漏らしながら泣き出した大の男に、周りの乗客達が好奇の目でジロジロと見ている。


「ちょ、ちょっと。あんまり泣かないで。変な目で見られるわ」


「だ、だって……。……なんだ、お前だって泣いてるじゃないか」


「へんな、パパと、ママ」


 笑う彼女もまた、静かに涙を流していた。

 それを見た私達は余計に涙を溢れさせ、ついには三人で抱き合って、電車の中で大泣きしてしまった。目的の駅まで近づいた時にようやく我に返った私と彼は、恥ずかしさと可笑しさとが溢れてきて笑い合う。


「ナミ、俺は幸せだよ」


「私もよ」


 三人で手を繋ぎ、電車を降りた。

 この穏やかな幸せを、この手の中に閉じ込めるように。


 今度こそ、穏やかな死が訪れるまで、離さないように――。


 

これで本編は完結です!!

ここまでお付き合い頂きありがとうございます!!


あと、あとがきっぽいものと、アヤカの話を一つ投入して完結にしたいと思います。

アヤカの話は、見ると少しもやっとするかもしれませんので、ご注意ください^^

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