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49.あなたに、永遠の想いを


「テオっ!!」


 リュカが弟の名を呼ぶ。けれど、もう彼に届きはしない。

 ――完全に、アドリエンヌの意識の乗っ取られてしまったのだから。


「さあ、わたくしに、とびっきりの苦しむお顔を見せてくださいな。アレン様」


 彼の右手がゆっくりとリュカの方へ向けられていく。人差し指が完全にリュカを指した瞬間、黒い霧は渦巻き、人間では視認できない速さでリュカの足を貫いた。


「ぐっ……! あああああ!!」


『リュカ!?』


 痛みで蹲るリュカを抱き寄せ、傷を癒そうと手を翳す。けれど、傷跡を見て絶望した。貫かれた所から、腐敗が広がっていたのだ。

 なんて、おぞましい力だろう。“負”の感情が全て凝縮されたような力。これじゃあ、腐敗を止める事が精一杯で、傷を癒す事などできない。癒すためには、リュカの足に広がる穢れを吸い取らなければいけないだろう。


『リュカ……。しばらく、我慢していて。後で治してあげるから』


 リュカの止める声がしたけれど、私は泉に意識を集中していてそれどころではなかった。


 お願い、力を貸して。また、あなた達に酷い痛みを与えてしまうだろうけれど、何もしなくても私達はアレに穢されてしまう。お願い――!!


 泉が、光を放ち始めた。臆病で、けれど優しい意思達が動く。私とリュカを守るために。そして、アドリエンヌまでをも救おうと。

 水が一筋私のなくなった腕に繋がり、水の腕を再生させる。その腕を振り上げ、宙をひと薙ぎした。霧雨のような、細かい水の粒が黒い霧を薙ぎ払う。

 黒い霧に触れた意思達が悲鳴を上げ、消えていく。それは私にも痛みを与え、指先からジワジワと“穢れ”が広がってくる。

 けれど、触れた事でダメージを受けたのは、こちらだけでは無かった。


「いや、あああああああああ!!」


 アドリエンヌが胸元を鷲掴んでのけぞった。同時にどこからか聞こえてくる、地が震えるようなおぞましい悲鳴。

 それは、黒い霧が消えた辺りから聞こえてきていた。

 その声を聞いて、アドリエンヌは“一人”ではない事を理解した。きっと私のように、痛みを共感する意思達と共にいるのだ。けれど、その存在は私達とは正反対のもの。

 だから、互いが触れ合えば、相殺し合い消えていくのだ。


『アドリエンヌ、もうやめなさい!! 私達が争っても、共倒れするだけよ!!』


「ふ、ふふ……。わたくしは、それでも構いません。アレン様に、苦痛を与える事ができるのならば!!」


 また彼女は自身の手首に爪を立てる。そこから生み出されるうねる黒い霧。それと共に、彼女は地を蹴り私へと向かってくる。それを泉の水が覆い被さり、彼女の進行を止めようとする。

 黒い霧と、泉の意思達のつんざくような悲鳴が響き、互いが互いの存在を消滅し合う。それでも、彼女の足は止まらない。


『いいわ来なさい!! あなたの心を無理矢理にでも奪ってみせるから!!』


「その前に、あなたを消してさしあげます!!」


 私は彼女の心に手を伸ばす。彼女は、穢れに濡れた手を私に伸ばす。

 お互いの指先が、触れ合った――



 ――バンッ!!



 硝煙の匂いが、漂った。

 アドリエンヌの胸の辺りから赤い華が散る。


「ディーナ、お前にソイツは連れて行かせない」


 どさり、とアドリエンヌは仰向けに倒れた。振り返れば、拳銃を手に持ったリュカの姿。腐敗した右足を引き摺りながら、こちらへと片足で近づいてくる。

 彼は倒れたアドリエンヌまで辿り着くと、血が溢れる胸元に手を置いた。


「テオ……。今まで、頑張ったな……」


「リュ、カ……」


 意識が朦朧としているテオドールの瞳から、涙が一筋流れた。けれどそれも一瞬で、すぐに憎しみに染まったアドリエンヌの瞳になる。


「わたくし、を、殺しても、まだ、終わ、りません……! 何度、でも、あなたに、絶望を……!!」


「いや、終わりにしてやるよ。お前が、その心を癒すまで、俺が傍にいてやるから。もう、終わりにしよう」


『リュカ……!? 一体何を……』


 テオドールの胸に置いた手から、眩い銀色の光が煌めいた。抵抗するかのように、テオドールの胸から溢れる蠢く黒い霧がリュカの姿を覆い尽くす。


『リュカっ!!』


 手を伸ばすけれど、霧に触れた瞬間に穢れが広がり、水の腕が崩れ落ちる。それでも、リュカの元へと行こうと足を踏み出した時、一際輝く光が天を貫いた。

 光は霧を霧散させ、辺りを埋め尽くしていく。しばらくして、光は徐々に小さくなってきた。呆然と見ていると、光の中から二人が姿を浮き上がらせる。

 横たわったままのテオドール。その顔にはもう生気はなく、静かに目を瞑っている。それを眺めて涙を流すリュカが、ふらり、とよろめいた。

 倒れそうになるのを、私は残った片腕でなんとか支え、彼の顔を覗き込む。


『リュカ……、あなた、一体何をしたの……!?』


 つい責めるような口調になってしまう。彼の顔が、あまりにもむごたらしい色に染まっていたのだから。

 顔の半分を赤黒く変色させた彼は、こんな状態になっていても不敵な笑みを貼り付けている。


「アドリエンヌの、心を、俺の中に入れたんだ」


『なんですって……!? どうして、あなたにそんな事が……?』


 言って、気づく。泉の中で、彼の意思が強く反映されていた事を。もしかしたら、彼は人の身でありながら、泉の精と同じような存在になっていたのかもしれない。その考えを裏付けるかのように彼は言う。


「俺は、アドリエンヌと共に、泉の底で眠るよ……」


『そんな……。あなたがいなくなれば、一体誰が癒してくれると言うの!?』


「俺を誰だと思ってるんだ? 癒しの力を持つ王族だぜ? きっと……、魂がこの肉体から離れたとしても、できるさ。だから、ディーナは元の世界に帰れ」


 何を、言っているのだろうか?

 こんな状態のリュカを放って置いて、私だけ二人の苦しみから目を背けて、逃げろと言うのか。


「俺が泉で眠りについてしまったら、泉は穢れて出口も塞がれてしまうだろう。だから、そうなる前に、帰れ」


『嫌よ……。そんな事、できない……。私、待ってる。あなたが目覚めるまで、ここで待ってるわ!!』


「ダメだ!!」


 額から汗を滴らせ、苦痛を堪えながら彼は叫ぶ。私はまだ彼に反論しようとしたけれど、その前に血がついていない方の手で腕を掴まれ、泉の方へ引っ張られる。


「この国に、もう王族はいなくなる。どれだけ穢れてしまっても、もう癒してくれる存在はいない。ディーナ、自分の身体を見てみろ」


 見なくとも、分かっている。霧に触れてなくなった肩口から広がる穢れ、もう片方はアドリエンヌに一瞬触れたせいでジワジワと赤黒く染まってきている。


「そんな身体で、どうやって待つと言うんだ? その穢れを泉に置いて、今すぐ帰るんだ」


『リュカ……』


 震える心で、すがるように彼を見る。

 彼の瞳は、オデットと同じ癒しを持つ水の色。私と出会った頃の色ではないけれど、奥に潜む優しい色はいつまでも変わらない。


『私は……、あなたに何もしてあげられないの……?』


「今まで、いっぱいしてもらったさ」


 私を抱き締めようとして、片手と服に穢れがこびりついている事に気付き、宙をさ迷った手が戸惑いがちに下ろされた。

 今はもう、触れる事すらできない。目の前に、いるのに。私は彼を抱き締めてあげる事もできない……!!

 哀しみに歪む私の唇に、軽く彼の唇が触れた。


「穢れが入り込むかもしれないから、軽くしかできないのが残念だけど」


 そう言って不敵に笑う彼の瞳はどこまでも優しく、愛おしいものだった。


「一つ、ワガママを聞いてくれる?」


『なぁに?』


 血が付いていない方の手が、私の手を握る。そのまま彼は、何かを私の手の中に滑り込ませた。

 手の中を見ると、銀色に光る指輪。


「今度は、それを離さないで欲しい。それを目印に、俺はいつかディーナの元へ辿り着いてみせるから」


 指輪を、胸元でギュッと握り締める。


「いつになるのかなんて分からない。だから、待っていて欲しいなんて言わない。でも……、いつか必ず、探し出してみせる……!!」


『……分かった。待たないわ』


 水の身体が、しとしとと泣くように零れていく。

 “待たない”という言葉に、彼は寂しそうに頷いた。そんな彼の瞳を真っ直ぐに見つめて、私は宣言する。


『私も、あなたを探すわ。見つかるまで、ずっと、ずっと……!!』


 リュカは一瞬目を見開き、それから泣くように笑う。


「それじゃあ、どっちが先に見つけられるか勝負だな。俺はきっと負けないぜ?」


『私だって負けないわ』


 笑い合い、また軽く触れるだけのキスをした。直後、彼は痛みで蹲る。


『リュカ!!』


「大丈夫。でも、もう身体が持ちそうにない。……ディーナ、お別れだ」


『でも……!!』


 まだ一緒にいたい、それを言う前に、泉の水が噴き上がった。それは手のように私に絡みつき、泉の中へ引き摺り込もうとする。離してと願ったが、意思達はもう私の意志を聞いてはくれない。

 リュカへ、主導権が移ってしまっているのだ。


『リュカ!! 必ず、探し出すから!! 何度死んでも、何度生まれ変わっても!! 絶対に!!』


 水面の向こうで、リュカが微笑んだ。唇が、何かを呟いている。

 それはきっと、約束の言葉。

 だから、私も誓おう。



 あなたに、永遠の想いを――。

 

 


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