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47.呪縛


 暗く、渦巻く狂気が、私を呑み込もうとしている。


「回りくどいやり方をしなくても、あなたから泉と血の話を聞いた時に、こうすれば良かったんですよね」


 いつもの穏やかな眼差しが幻覚だったかのように、ソレは当たり前のように彼の瞳にあった。

 ――いつか、どこかで見た、暗い、瞳。

 目の前にあるソレに、私の心は恐怖に染まって動けない。

 だから、テオドールが銀色に光るソレを出しても、反応できなかった。

 にぃっ、と歪に弧を描く口が、呪いの言葉を紡ぐ。


「今度こそ、あなたと彼に永遠の別れを」


 煌めく短剣が、彼の腕を裂いた。


 躊躇いなく切られたそこから、勢いよく血が溢れ、泉に赤い穢れを沈ませていく。それと同時に、聞こえてくる叫び声。

 優しい意思達が上げるその悲痛な叫びは、今まで聞いてきたどんな叫びよりも酷いものだった。死の苦しみさえ安らぎと感じてしまいそうな、こちらまで狂ってしまいそうな、そんな叫び。


『やめ……、やめなさい!!』


 血が流れていない方の腕を引き、彼を思いきり後ろに投げ飛ばす。その反動で飛んで来た血が、僅かに私に触れてしまった。

 瞬間、心がバラバラになってしまったかのようだった。

 底の見えない憎しみ。苦痛さえも、歓びとなって狂気を増す、世界の全てを呑み込んでもなお救われない。そんな狂気が私を壊そうとする。

 叫び声も上げられず、私は蹲る。


「なんだ、たった少しの血で倒れるなんて、張り合いが無いですね? 私が受けた痛みは、こんなものでは無いですよ?」


『なん……なの? “女神”を殺そうと、するほど……、あなたは、一体、何を憎んで、いる、のっ……!?』


 痛みを堪えて、声を絞り出す。私が苦しんでいる様が、よほど嬉しいのだろう。憎しみに渦巻く暗い瞳を細めて、肩を震わせている。

 震えが少し収まった頃、彼は穏やかすぎる声で言う。


「少し、昔話をしましょうか」


『昔、話……?』


「昔々、エビュールという国に、それはそれは心優しい王様がいました。彼はお妃様との間に沢山子供を作ります。お妃様は、王様が自分を愛してくれているから、子供を沢山欲しがるのだと思っていました。実際、王様は深い愛情をお妃様と子供達に注いでいました。お妃様は、とても幸せでした。王様の愛情をその身に受け、とても幸せだったのです。ですが、それはお妃様の勘違いでした」


 彼が語ったのは、アレンとアドリエンヌの話。

 アレンが私の腕の中で眠る姿を見た、アドリエンヌの顔を思い出す。


「王様は、お妃様の事を愛してなどいなかったのです。家族として愛してはいても、一人の女性としては見ていなかった事を、王様が愛する者の腕の中で亡くなっている姿を見て悟ったのです」


『あな、た……』


「お妃様は嘆きました。信じていたのに、裏切られたと。今までの愛に満ちた記憶など、欺瞞に満ちたものなのだったと。全てのものが信じられなくなり、やがて、お妃様は心を病んでしまいます。愛は憎しみになり、狂気になり、この世の全てを呪わずにはいられなくなりました。そして、お妃様は思います」


 語りながら彼はゆっくりと、ゆっくりと近づいて来て、私を見下ろして言った。


「彼に、報復を。彼に、永遠の苦しみを。彼が生まれ変わって“愛”を手に入れるたび、この手で壊してみせる、と」


 彼は歪な笑みを浮かべながら私を通り過ぎ、泉の前で立ち止まって、また短剣を振り上げた。


「そう呪いながら、お妃様は自分で自分を切り、血で呪いの陣を描いたのです。こうやって、何度も、何度も、血が出なくなるたび、他の場所を切り、繰り返し、繰り返し、呪いの言葉を吐きながら、死んでいったのでした」


 泉に血が落とされる。彼は、自分の左腕を何度も切りつけながら、笑っている。


『やめて!! お願いだから、その中にいる意思達は傷つけないで!! やめてアドリエンヌ!!』


 私が、彼が彼女であった頃の名で呼ぶと、彼はアレンと同じ顔を醜悪なものに歪ませて笑った。


「やっと気づいて頂けましたか。あれだけ露骨にアレンの真似をしていたというのに、ちっとも気づかれなくて、あなたの愚鈍さに苦笑したものです」


 わざとらしく溜め息をついて首を振った後、彼は目を瞑る。次に瞼が開かれた時、暗い色を浮かべていたのが嘘のように、いつもの彼のような優しい瞳になった。


「私の渾身の演技は、そんなにあなたの心に響きましたか? 愚かな女神様」


 演技。全てが嘘だった。

 アレンのように柔らかく微笑む事も、国を想い、私を想い、涙した事も。

 全てが、ただのアレンの真似。

 それを見抜けず、心を揺さぶられていた私の、なんと間抜けな事か。

 きっと、リュカは知らず気づいていたのだろう。彼の偽りを。彼の底にあった暗いモノを。


「この指輪……」


 優しい眼差しのまま、それは私の薬指につけられている指輪に注がれた。彼は丁寧な仕草で、私の手を取り指輪を撫でる。


「私は見た事がありませんでしたが、確か王家の婚姻の儀に使うものだったはずですよね? どこにも無いと、皆が大騒ぎしていたのをよく覚えています」


 私の手を掴む力が、徐々に強くなる。


「これを見た時、演技抜きで本当に驚いてしまいましたよ。まさか、彼があなたに差し出していたとは……。もう、その時から、彼の本当の花嫁はあなただけだったのでしょうね」


 表情は穏やかなまま、瞳が狂気に染まっていく。


『違うわ。アレンは、この指輪と共に私への想いを切り離そうとしたのよ。あなたは本当に大切にされて……』


「けれど、あなた達が結ばれる事は無いのです。永遠に」


 私の言葉を遮って、彼は呪いの言葉を紡ぐ。同時に、血が流れている方の手が、私の手の上に置かれた。

 血が触れた指先から、私を殺そうと確かな意志を持った悪意が流れ込んでくる。

 虫が這い上がってくるような嫌悪感と、逆らえない大きなものに押し潰される恐怖と絶望感。それから逃れたくて、私は咄嗟に左腕を切り離した。

 私から離れた腕は、意志の無いただの水になり、形なくテオドールの手から零れ落ちる。彼の手に残ったのは、銀の指輪。


「なんてズルい人でしょう。消えてもいいと言っていたくせに、いざそれが目の前に迫ると逃げ出すなんて」


『私は、あの人が助かるなら消えていいと言ったの。あなたの復讐のために消えるなんてごめんだわ』


「言い訳はいいのです。ただ死ぬのが怖いだけでしょう? あの人が苦しもうとも、自分が助かる方を優先させたのでしょう? だって、ほら、証拠にあの人から貰った指輪をいとも簡単に放り出したではありませんか」


 彼の言葉が心を抉る。確かに、私は逃げ出したい一心で、腕を切り離した。指輪の事など考えずに。アレンから貰った、彼の心そのものを表しているかのように五百年経ってもなお輝きを失わない指輪を、放り出してしまったのだ。


「あなたのあの人への想いなど、所詮はその程度だったという事ですね」


『なん、ですって……?』


 私のあの人を想う心を、取るに足らない軽いものだという風にテオドールは嗤う。

 違う。そう叫びたかったけれど、彼の言葉が毒となって、ジワジワと心に鈍い痛みを伴って広がっていく。

 本当に違う? リュカの事に気づかずに、演技だったテオドールの言葉に心を揺らしていたくせに? リュカが心を失って苦しんでいたのにも気づかずに、私は自分が苦しいからといって彼に酷い事を沢山言ったのに? 彼に気づかずに、私一人だけここから逃げ出そうとしていたのに?


「よくもそんな程度の気持ちで、あの人の傍に居れますね。あなたさえいなければ、あの人も苦しむ事などなかったでしょうに。“あなたがいたせいで”……、なんて可哀想な人なのでしょう」


 私が、いたせいで――


「黙れテオ!!」


 テオドールの言葉に呑まれそうになっていた時、今一番会いたくない、でも、一番会いたかった彼の声がした。

 振り返れば、額から汗を滴らせ、息を乱しているリュカの姿。ゆったりとした真っ白な服には、大きな赤いシミ。その赤いシミを見た瞬間、テオドールが私に注ぎ込んだ毒に、完全に侵されてしまった。


『リュカ……!! ごめ、んなさい……!! 私がいなければ、私がここに来なければ!! あなたに会う事も、あなたが傷つく事も無かったのに!!』


 彼の元に行って傷を癒してあげたくても、毒に侵された水の身体はさざめき立つだけで、テオドールの向こう側にいる彼の元へ走り寄る力などなかった。


「ディーナ落ち着け!! ソイツの言葉なんて聞くな!! あの夜、ディーナだって、俺にそう言っただろう!?」


 “あの夜”――。ファズルが傷つき、憎しみに染まってしまった夜。沢山の人間が命を落としてしまった事を、“あなたがここにいたせいで”と、王女に言われていた彼を思い出す。

 急激に覚めていく思考。まるで何かの力に無理矢理思考を混乱させられていたように、揺さぶられていた心が凪いでいく。

 黙ってしまった私を横目に、リュカは右手をテオドールの方へ向ける。その手の中には、一丁の拳銃が握られていた。


「テオ、あの時と全く同じセリフを使いまわすなんて、芸が無いな……?」


 痛みに顔を歪ませながらも、リュカは不敵に笑う。それを見て、テオドールもまた嗤う。

 ああ、そうか、あの時の王女も、テオドールだったのか。ファズルを苦しめようと、現れていたのか。


「今の街の混乱だって、お前が仕組んだんだろう? 何が目的だ? 周りを巻き込んでまで、お前は一体何がしたいんだ!?」


「私は、ただお前の苦しむ顔が見たいだけだよ、アレン」


 “アレン”と呼ばれた事で、リュカは怪訝な顔をする。王女であった事には気づけても、アドリエンヌであった事までもはさすがに気づいてないようだ。


「泉を穢したとしても、この国が、王族の血が続く限り、また蘇ってしまうかもしれないだろう? そうなれば、またお前と精霊様は出会ってしまうかもしれない。私はね、一時の苦痛だけではなくて、永遠の苦しみを与えたいんだ。出会うたびに引き裂く事の方が苦痛かもしれないと考えもしたけれど、それよりも……、お前と精霊様が一緒にいる事の方が許せない」


 ゆらり、とテオドールの足が、リュカの方へと向かっていく。


「……っ!? 動くな!! 撃つぞ!!」


「できるのならどうぞ? 撃たれてしまったら、さぞかし私の血が大量に流れるだろうな?」


 彼が動くたび、血がぽたり、ぽたりと地に落ちる。落ちた先から、草花は生気を失い、急速に枯れていっている。

 それを見たリュカは、テオドールの血をここに大量に流す事の意味を悟り、引き金を引けずに戸惑いの色をより濃くした。


「なん、なんだお前……? 一体、どれだけの恨みを抱いていれば、それだけの穢れを宿す事ができるんだ……!? なんでだ!? なんで、そこまで俺を憎む!?」


「愛していたからだよ、アレン」


 一瞬、テオドールの瞳が切なげに揺れた。その瞳の中に、リュカはようやく彼の中の彼女に気づく。


「ア……ドリエ……」


 リュカは彼女の名を呼ぶけれど、それは最後まで言い切る事ができなかった。

 テオドールが持つ短剣が、リュカへと向けて突き出された。

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