46.変わらないもの、変わるもの
あれから、リュカは何度か城やディーナ教本部に顔を出さなければいけない日があった。けれど、それのどれもが陽が暮れる前には戻って来ていた。リュカとして生きてきて、のらりくらりとスルーする技は物凄く磨かれたようだった。
教皇としてそれでいいのかと何度も聞いたが、彼が言うように王族の権力など今は無いに等しく、“女神ディーナ”と心を通わせる事ができるのが王族だけだという事で、どうにかその地位にいるらしい。
心を取り戻してから、彼がその事を話す時は瞳に少し陰が落ちる。国が栄えるのは良い事だと言っていたが、教会の汚職などが酷いらしく、アレンだった頃の平和すぎた国を思い出しては溜め息をついている。
そんなに憂いているのなら、テオドールと協力して頑張ってみればいいじゃないかと言ってもみたが、彼は寂しそうに首を振るだけ。テオドールは自分の代でどうにかしたいらしく、強引な行動には同意できないらしい。
粛清には大きな痛みと血を伴う。そうなれば、泉はまた穢れ、国は崩壊するだろう。
でも、と彼は続けて、遠い未来を見て言った。
急激な変革はできずとも、時間をかけて緩やかに変えていく事はできるはず。自分ができる事と言えば、未来のための“種”を植える事だと。
リュカと手を繋ぎ、一緒に空を見上げた。五百年経っても変わらない空。何百年、何千年経っても変わらずそこにあるだろう。
遠い未来、その下にあるこの場所が、平穏な場所である事を願った。
「それじゃあ、行ってくる。さすがに今日は遅くなるかもしれない」
『気にしないで。気をつけてね』
軽くキスをして、笑顔のリュカを見送った。
今日はテオドールの戴冠式。正装には向こうで着替えるからと、いつもと変わらないラフな格好のまま、リュカは大聖堂へと向かった。
彼の服と同じように、いつもと変わらない朝。
そして、いつもと同じように、リュカが『おかえり』と言う私を見て、嬉しそうにキスをしてくるのだと、思っていた。
遠くで歓声が聞こえてくる。街の方で、お披露目パレードをしているのだろう。
オデットを思い出す。彼女の立太子の儀の時も、こんな風に鳥達が騒いでいた。あの時、彼女の未来は輝きに満ちていた。
今は……、テオドールの未来には、光があるのだろうか。
あの時と同じように花を摘む。それを鳥達に銜えさせ、届けてもらうようにお願いした。
彼の未来に暗い陰が落ちようとも、輝きを見つけられますようにと、願いを込めて。
――ドーーー……ッン!
鳥達が羽ばたくと同時に、街の方から爆発音がした。
驚き、音のした方を向くと、黒い煙が上がっていた。あれは確か――、大聖堂の場所では、なかったか。
リュカが、テオドールに王冠を授けるために待機していたはずの、大聖堂では――。
一瞬、気が遠くなりそうになった。
いや、大丈夫だ。もう戴冠式は終わって、その後のパレードが行われていた。のらりくらりと、面倒ごとを躱す彼なら、きっともう役目が終わった後の大聖堂にはいないはず。
大丈夫、呪文のようにそう自分に言い聞かせ、煙が上がっている場所の気配を探る。
――人が多すぎて、リュカの気配を見つけられない。
いや、きっともうそこにはいないから、気配を見つけられないだけだ。大丈夫。きっと、彼は無事に、帰って来てくれる。
泣き出してしまいそうな心を叱咤し、何が起こっているのかを探る。
黒く上がる煙。周りではチラホラと火が上がっている。ただの火事だろうか? 一体何が原因で? まるで、爆弾が被爆したような、凄まじい音だった。……五百年も経っているのだ。技術が進んでいても不思議ではない。けれど、もし爆撃されたのだとしたら、一体どこの国が? 周りには、敵だと分かるようなそれらしい軍隊は見当たらない。
見つけられないなら、今は被害を抑える方が優先だ。私は、火を消すために泉の水を雨のように降り注がせる。
爆発の中心地点では、血が大量に流れていた。けれど、何が起こったのか理解できずに流れた血には、負の感情はあまりこもっておらず、穢れになるほどではない。
ただ、大聖堂が崩れた事によって起こった二次被害が問題だった。瓦礫に埋もれ、死の恐怖に怯えながら流される血が、大地を穢していく。
しかし、晴れた空から降り注がれる大量の水を見た民衆から上がった声が事態を変えた。
――女神様の奇跡だ!
――女神様が私達を救ってくれる!
――女神様、私に安らかなる死をお与えになるのですね……
死への恐怖が急速に薄らいだ。
怪我の浅い者は女神の救済を信じ、もう助からないと悟っている者は、女神の元に行くだけだという安らぎの心に満ちていた。
その“信じる心”が、穢れを浄化していく。
私自信は苦い思いしかしていなかった“女神信仰”に、この時初めて感謝した。
煙が止み始め、事態は最小限の被害で収束するかのように思えたその時、同時に複数の場所からまた爆発音が上がる。
――やはり、ただの事故ではなかった……。
被害を抑えようと、力を行使し続けるけれど、昔とは違い巨大な街となったこの国全体に対応する事はできない。
彼方此方で上がる悲鳴。広がる穢れ。見つからない彼。力が及ばない私。
あの夜の悪夢が、再び訪れたようだった。
どうして。一体何が起こっているの。誰が、どこの国が、攻めて来ているの。
焦る気持ちばかりが増して、事態は良くなるどころか、悪くなるばかり。
『リュカ……!! どこにいるの……!?』
あの夜に見た、傷ついたファズルを思い出して叫ぶ。
考えたくない事ばかりが頭に浮かぶ。また、あんな別れ方をしなければいけないのだろうか。また、彼は心を閉じ込めてしまうのだろうか。
彼が一体何をしたというのだろう。国を愛し、家族を愛し、私を愛してくれただけ。
私を、愛した事が罪なのだろうか。
もし、そうならば、真に裁かれるべきは私なのに。
少し恋愛に疲れたぐらいで、心を放棄した事が彼に会うきっかけになってしまった。私が、もっと真っ当に生きていれば、彼に会う事もなく、彼を苦しめる事なんてなかった――!!
『お願い! 彼を助けて! 今度こそ、私は消えてしまってもいい! だから、どうか彼だけは! お願い誰かっ……!!』
誰に向けてなのか分からない叫びが木霊する。それは誰に聞き届けられる事もなく、空に溶けていくだろうと思ったその時、穏やかな声がそれを受け取った。
「それは、本当ですか?」
柔らかい笑みを湛えたテオドールが、私を見ていた。