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45.二度と離れないように

 どこまでも高く、青い空に浮かぶ白い雲が流れていく。リュカはそれを掴もうと手を伸ばす。


「ほら、ディーナ。もうちょっとで、手が届きそうだ」


 そう無邪気に彼は笑う。

 私は手を伸ばし、彼の頬を伝う滴を拭った。


「あっ……。あれ、またいつの間に……。カッコ悪いな、俺」


 憮然とした顔をしているけれども、耳まで真っ赤になっていて、つい可愛いと思ってしまう。

 心を取り戻してから、リュカは情緒不安定になっていて、今のように笑っているかと思えば突然涙を流したり、自分で勝手に心を閉じ込めていたなんて……、と自己嫌悪に陥って、一日小屋から出て来なかったりする。

 彼がそんな風になってしまうのも仕方ない。ずっと光が届かない底の底に、心を閉じ込めていたのだから。いきなり光の中に戻された心は敏感になっていて、制御しきれないのだろう。私も心を取り戻した時、この世界の眩さに泣きたくなるほどだった。

 彼の頬を撫でていると、不意に抱きしめられる。


「ディーナ。ディーナ、ディーナ」


『なぁに?』


 水色の瞳が、優しく細められる。その瞳に見つめられると、私の全てが歓喜で震える。私が嬉しそうに笑うと、彼もまた全身から歓びを滲ませて笑う。

 言葉などなくても、この一瞬は確かに私達の心が繋がっているのだと、感じさせてくれる。

 どちらからともなく、目を閉じ、唇を寄せた。

 この身体で感触なんて感じないけれど、唇から彼の想いが伝わってきて、とても心地よい。甘い痺れが全身に広がり、溶けてしまいそうになる。


 私達は、哀しみの記憶を幸福で塗りつぶそうとするかのように過ごしていた。


「……しかし、残念だな」


『何が?』


 私を後ろから抱きしめたまま小屋にもたれているリュカが、私の水でできている内モモを撫で回しながら、心底残念そうに言う。


「ディーナに触覚があればな……」


『ああ。あなたの“セザール”が唸るわけね?』


 冷めた目で見てやれば、彼は気まずそうに目を逸らした。

 ファズルだった頃の心と記憶を取り戻しても、リュカとして生きてきた記憶がなくなる訳ではない。彼曰く、心が無い事を隠すために“不敵で怠惰”な仮面を付けていたのだと言う。人を遠ざけるために。

 私は過去、人の輪から外れないように仮面を付けた。正反対な理由だけれども、己に影響が出た点は同じ。仮面が自分の一部になってしまった事。

 会話や態度の中に、不敵で少しいい加減な様がチラホラと見えるたび、なんだか残念な気分になる。


『昔は、あんなに純粋で可愛かったのに……。自分からキスしただけで、穴を掘って自分から入ってたりしたのに……』


「仕方ないだろ、この二十四年リュカとして生きてきた記憶は消えないんだ」


 彼は、私を自分の方に向け直し、ちゅっ、と軽く音を立ててキスをする。そして、捨てられた子犬のような目をして言う。


「……俺の事、嫌いになった……?」


 私の口元は、自然に弧を描く。泣きそうになっている瞼に口づけ、そこから頬に下りて、最後に唇にゆっくりと口づけた。


『あなたが、あなたでいる限り、私の気持ちは変わらないわ。大好きよ、リュカ』


 心からの言葉を言うのだけれど、なぜか彼は拗ねた顔をしている。


「……でも、俺の事、嫌いって言った」


 えっ、言ってな……、言ったな。確かに、リュカが心を取り戻す前に、八つ当たり気味に言った。


『あ、あれは、その、ほら。あの時のあなたは、あなたじゃなかったじゃない!!』


 私が、アレンでありファズルである魂に気がつかなかったのも、大事な心を泉の底に閉じ込めていたためだ。……私は悪くない。悪くない!!

 それでも、情緒不安定な彼が今にも泣き出してしまいそうになっているのを見て、強烈な罪悪感に襲われ負けてしまった。


『ご、ごめん……、なさい……。もう二度と嫌いなんて言わない。愛してるわ、リュカ』


「本当に……?」


『本当よ。また生まれ変わっても、あなたがまた心を失ってしまっていても、また見つけ出して、またあなたを愛すわ』


 泣かせたくなくて、あやすように言ったのだけど、結局泣き出してしまった。けれど、それは哀しみからくるものではなくて、歓びの涙。

 彼の涙が私の身体に染み込んで、そこから彼の歓びが全身に広がり、私も幸福感に満たされる。


「俺も、何度生まれ変わっても、また探すよ。例えディーナが元の世界に戻ったとしても、必ずディーナを見つけ出してみせる。愛してる、ディーナ……」


 目も眩むような幸福。

 あの夜から、こんな幸福な時間が訪れるなんて思っていなかった。まだ信じられなくて、確かめるように私達は何度も何度もキスをする。


 手を繋ぎ、視線を絡め、心を重ねるように。

 今度こそ、穏やかな死が私達を引き裂くまで。

 二度と、離れないように――。



 絡みつく、視線を感じた。

 視線の元を探ろうとリュカから身体を離す。それが寂しいと、彼は目で訴えかけるけれど、心を鬼にして見て見ぬフリをした。


『テオドール……』


 少し離れた所で、いつもと変わらない穏やかな笑みを湛えたテオドールが立っていた。


「よお、テオじゃないか。どうした? 新婚生活に水を差しに来たのか?」


 テオドールに歩み寄ろうとする私を止めるように、リュカは私の腰に手を回し抱き寄せ、こめかみにキスをする。その顔には、あの腹の立つ不敵な笑みを貼り付けていた。

 また、どうしてそんな態度を取るのだろう。テオドールを怒らせたいのか。

 そんな私の杞憂は外れ、テオドールは変わらず穏やかに微笑んでいた。


「リュカを夫とすると言うのは、事実だったのですね。女神様の幸せは、私の幸せ。女神様が愛する者と居れる幸福を、心からお喜び申し上げます」


 そう言って礼を取る彼の顔は本当に穏やかで、リュカと喧嘩をして帰って行った時に見た、あの暗い瞳が嘘のようだった。

 リュカと共にいれる事が嬉しくて、つい失念してしまっていたが、彼の顔を見た途端に罪悪感に襲われる。彼の事を忘れてしまっていた事もそうだし、彼の気持ちに応えられないという事もそうだ。

 けれど、彼は辛い様子など微塵も見せずに、祝福の言葉をくれた。

 その事に、また申し訳ない気持ちが膨らんでいくけれど、それを見せた方が笑顔を見せてくれる彼に対して失礼だろう。だから、私も彼に微笑む。


『ありがとう』


 私の言葉に、彼はまた笑みを深める。そして、リュカに向き直り言う。


「リュカ。来月には私の戴冠式だ。“お飾り”を気取るお前にも色々とやる事があるだろう。明日には顔を出せ」


「……はいはい」


 私にまだくっついたままのリュカが、テオドールを追い払うかのように手をヒラヒラとさせた。その様を見て、テオドールは少し苦い顔をしたけれど、怒る事はなく私に一礼をしてから帰って行った。


『……リュカ。どうして、あんな態度取るの?』


 私に睨まれたリュカは、バツの悪そうな顔をして目を逸らした。


「……あの顔を見てると、昔の俺を思い出して嫌なんだよ」


『はぁ?』


「あの頃の、不貞がどうの、自己犠牲がどうの、我慢する事しかしなかった愚鈍な自分を見てるようで……」


 私には、あの純粋さがとても眩しく見えたのだけれど、リュカとして生きて、色々と汚れた事もしてきた彼からすれば、そう見えてしまうものなのか……。


『それで、八つ当たり? 子供ね』


 軽く叱るように、指で彼のこめかみをツンッと押す。


『どんな顔でも、あなたの弟でしょう? それに、テオドールの生きがいを奪ってしまったのだから、あんな態度のままは良くないと思うわよ?』


「分かってるよ。分かってるけど……」


 言い淀む彼をまた睨む。それでも、居心地が悪そうにしながらも、彼は主張を変えなかった。


「それを抜きにしても、なんていうか……、なぜか生理的に受け付けないんだよなぁ」


『同族嫌悪ではなくて?』


 嫌に神妙な顔で頷くリュカ。テオドールの何がそんなに嫌なのだろう……。生理的に無理とか言われてしまったら、何も言えなくなってしまう。


『まあ……、できるだけ変な波風は立てないように、ね?』


 困ったように小首を傾げる私を見て、リュカはニヤリと笑う。


「分かってるよ。ディーナとの平和な時間を壊さない程度には気をつけるから」


 分かってるのか、分かっていないのか、すっきりしない言い様になんだかモヤモヤしてしまう。ホント、リュカになってから扱いづらいったら。

 それでも。

 こうやって、私にキスをして笑う彼を見るだけで、全てを許してしまいたくなるのだ。

 

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