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37.日記と消えた手紙


「リュカ!! 女神様の御前だぞ!! 態度を改めろ!!」


「はいはい、すみませんねぇ」


 王子であるテオドールに、気安い態度をとるリュカと呼ばれた変態。その銀髪といい、やはり王族なのだろう……。すごく嫌だ。


「俺の女神様。今日もなんて麗しい」


 流れるような仕草で、私の手に口づけをする変態。水の身体だけれど、今すぐに洗いたい。


「テオのつまらない歴史書通りの話より、コレの方がお望みのものが知れると思いますよ?」


 渡されたのは、焦げ茶色の表紙の分厚い本。表紙には何も書かれていない。……エロ本じゃないだろうな、と訝しげに思いつつ開いてみる。

 それは、誰かの日記だった。


「おい、リュカ!! まさか、あれは“オデットの日記”じゃないのか!?」


「だから何だよ?」


「お前っ……!? あれは持ち出し不可のもの!! 無断で持ち出してどういうつもりだ!?」


「どうもこうも、元々あれは王家の宝なんかじゃない。女神様に見せるために保管されてたものだ。お前はこちらの都合で、女神様に見せないつもりだったのか?」


 彼らの争う声は、私には届かない。本を握り締める手に、力が入る。

 会いたくて、けれどもう会えない彼女を、この本の中に見つけたのだ。


 子供の頃の私への不満が、一ページびっしり詰められていたり。

 女王になるために、どんな努力をしているのかが語られていたり。

 私が一瞬いなくなった時の苦悩が書き殴られていたり。

 たった一度の恋に悩んだ辛い想いが綴られていたり。

 私との何の変哲もないくだらない日常が書かれていたり。


 オデットと共有した思い出を、彼女の言葉で追っていく。震える心はおさまらない。

 やがて、私の知らない年の日付になった。

 ああ、やはり、私は彼女に酷い痛みを与えてしまっていたのだ。彼女は、私を許さないと書いている。けれど、私にはどうしても“許さない”とは言っているようには、見えなかった。

 ただ、私に会いたいと、そう叫んでいるように見えた。

 ごめん、ごめんね、オデット。私も、会いたい。

 会いたくて、心が痛くて、ただただ辛い。


 そこから更に進み、ファズルのことが書かれているページがあった。それを見て、私の心はより強く締め付けられた。

 ファズルが、感情の全てを失ってしまったのだと、そう書かれていた。


 ファズルは、良くも悪くもとても素直だった。嬉しい時には笑い、哀しい時には涙を我慢できなかった。とても、感情豊かだったのだ。

 そんな彼が、“からっぽ”の目をしていた……?

 そんなことになるのなら、まだ哀しんでいてくれた方がよかった。哀しみもいつか薄らいでいく。そして、いつか笑ってくれればいいと思っていた。私がいなくても、違う幸せを彼なら見つけられると思っていた。それなのに、心を失ってしまったら、そんな日は永遠に訪れない。

 私がいなくなったせい? 私が、彼を追い詰めてしまった? 彼を救いたくて、綺麗なままの彼でいて欲しくてしたことは……、全て私のひとりよがりだったということだろうか。


 思い出すのは、あの夜に見た三日月。道化が嗤っているように見えた。あの道化は、こうなることを知って嗤っていたのだろうか。


「女神様? もう読み終えました?」


 憮然としているテオドールの横で、リュカが満足げにこちらを見ていた。

 考え込みすぎてページを捲る手が止まっていた。それを読み終えたのだと勘違いしたのだろう。彼の言葉に何も応えず、私は再び先を読むためにページを捲った。


 それからは、あまりファズルのことは出てこなかった。オデットやコンラッドがファズルのために何かしようと頑張っている様子は窺えたが、功をなさなかったようだ。

 ただ、オデットとコンラッドは、それなりに幸せに暮らしていたようだったので、それだけが救いだった。


 そして、ついに最後のページになった。

 泉が綺麗になったのは、私が戻って来られたのは、オデットのおかげだった。何年も、何十年も、ただ私に会うために泉に入っていた彼女を思うと、嬉しくもあり、哀しくもある。

 結局、彼女が生きている間には間に合わなかった……。

 それなのに、いつか私が戻って来られるようにしてくれていた。彼女を置いていってしまった私なんかのために、彼女は変わらぬ親愛を向けてくれていた。

 更に読み進めると、一つの言葉があった。それを見た瞬間、深い後悔が私を襲う。


 もう、二度と訪れることはない、幸福な時間。


 ああ、本当にそうだ。アレン、オデット、そしてファズル。彼らと過ごした日々は、繭の中にいるような微睡みに充ちた、とても幸福な時間だった。

 もう訪れることは無いと理解しているからこそ、余計に焦がれてしまう。

 もっと、大切にしていればと、どうしようもない事を考えてしまう。


 先に置いていったのは、私。

 けれど、あの時ああする意外に、彼らを救う術はあったのだろうか?

 穢れてしまったファズルを、救う術はあったのだろうか?


『……? ねぇ、ファズルの手紙を挟んでおくとオデットは書いているのだけれど……。どこにあるの?』


「えっ!? 私が数年前に拝見した時には確かに挟まっていましたけれど……」


「俺がさっき確認した時には、もうなかったぜ」


「なんだと!?」


 リュカの言葉に、テオドールは酷く焦っている。彼が何をそんなに焦っているのかは知らないけれど、私はファズルの手紙がないことに苛立ちを隠せず、感情のままに叫んでしまう。


『どういうこと!? たった数年の間に何があってなくなったと言うの!? あなた達にとっては“神の獣”でしょう!? そんな大切なものをなくすなんてどうかしてるわ!!』


 知りたかった。彼がからっぽの心のまま、何を思い、そして死んでいったのか。どうしても、知りたかった。

 私の怒声に、“女神”を怒らせたのだと、テオドールは顔を真っ青にさせている。その横では、リュカが相変わらず飄々とした様子でニヤついている。その様子が、私の気分を逆撫でさせた。


「も、申し訳ございません!! その日記が保管されていた場所は、王族と、ごくごく一部の者しか立ち入れない場所。至急ここ数年で出入りした者を調べまして、見つけてみせますので、どうかお怒りをお鎮めくださいますよう……」


「おいおい、テオ。無理なことは言うもんじゃないぜ? 誰が入ったか分かっても、そこに入ったお偉~い方々を調べる権力なんてありはしないだろう?」


「黙れリュカ!! 女神様……。“神の獣”の手紙の行方を調べるために、御前失礼させて頂きます……」


 テオドールは、そう言って慌てて走って行った。いまだ図太く残っているもう一人に向けて私は言う。


『さっき言った、調べる権力はないってどういう意味?』


「そのままの意味ですよ、女神様。この国はディーナ教が力を持ち過ぎていて、俺ら王族はお飾りみたいなもんさ。俺としては気楽でいいけどね。でも、テオのやつは真面目すぎてね。どうにかしてディーナ教の勢力を抑えようと躍起になってる。“教皇代理”と言っても、所詮は“代理”だ。老獪な大神官どもには、いつも軽くあしらわれて終わりさ」


『……つまり、もしその“老獪な”人に持ち出されていた場合は、戻る可能性は薄い……、というわけね?』


「限りなくね」


 何でもないことのように、彼は肩をすくめておどけて見せる。実際、責任感の無さそうな彼にとっては、大した問題ではないのだろう。

 見たい。ファズルの手紙を。知りたい。彼の思いを。

 けれど。


「女神様、どこに行かれるんです?」


『帰るのよ』


 元の世界に。

 もう、知ることができないと言うのなら。私がここにいる意味は無い。ファズルとの思い出が詰まったこの場所に、一人でいるのは耐えられない。

 だから、私は帰るのだ。


 足を泉に入れる。水でできた足は、そのまま泉に溶け込み同化する。後ろで何かを言っているのが聞こえるが、どうだっていい。全身が泉と同化する。

 ……優しい意思達の声がする。ああ、良かった。あなた達も眠っていただけだったのね。無事で良かった。私がいなくなったら、あなた達の誰かがまた具現化してこの国を守るのだろう。もう、私には守りたい人がいないけれど。それでも、彼らが愛した国は平和であって欲しい。だから……、お願いね。


 底へ、底へ、沈んでいく。

 私の意志に優しい意思達は応えて、“出口”へと導いてくれる。

 向こうの世界では、一体どれほどの時間が流れているのだろうか。時空をも切り裂いた“穴”だから、案外時間が経っていないかもしれない。逆に、遥か未来に流れつくかもしれない。

 それでも。どうだっていい。ここにいるよりは、マシだから。


 出口が近づいてきた。

 激しい感情の奔流を感じる。あそこを通るのは怖いけれど、ファズルが感じた痛みに比べれば、こんなものどうってことないだろう。

 帰ろう、私の世界へ――。



 ――瞬間、激しい銀色の光が、出口へ向かう私を弾いた。



 何が起こったのか理解しきれないまま、強い力に押し戻されて、私は泉の上に浮上した。

 何かが、私の腕を掴んでいる。


「どこにも行かせないよ。俺の、愛しの女神様」


 そう言って笑うリュカに、なぜか底の知れない恐怖を感じた。


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