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4.とても綺麗なひと

 

 ◇


 アレンから指輪を貰った日の夜の事。私は夢を見た。

 いや、正確には眠る必要の無い私にとって夢では無いと思う。泉の中からゆらゆらと揺れる優しい月明かりを眺めていた時、意識がいつもより朧げな感じになり、月明かりではなく別のものが見えたのだ。


 真っ白な四角い部屋。

 真っ白な布団の中で眠る点滴に繋がれた人間の私。

 眠っている私の頬を愛し気に撫でる男。


 彼は私に話しかけているようだが、何を言っているのかは聞こえない。まるで無音映画を見ているかのよう。

 そして、彼の瞳から一粒の涙がこぼれ落ちたのを見た時、私の中の何かが酷い拒否反応を起こし、激しく波打つ水のように視界が歪んだ。

 一瞬の乱れの後、朧げだった私の意識がはっきりとした。心を波打たせたまま周りを見渡せば、見えるのは真っ白な部屋ではなく、ゆらゆらと水面に揺れる月明かり。


 ……。

 ……何だったのだろう、今のは。あれは確かに私と……、彼だった。

 人間だった頃に入院した記憶は無いから、あれは今までの私の記憶とは違う。それならば……、

 ……あれは、現在の私の姿?


 ありえない、いや、そうあってほしくない想像に私の心は波打つ。

 彼は一体いつまで私に煩わしい思いをさせるつもりなのだろう。たとえ、万が一にも人間である私が生きていたとしても、私は戻るつもりは無い。


 私は、ずっとこの心地よい世界で揺蕩っていたいのだから。


 ◇


 あれから、変な夢のような幻覚のようなものを見る事はなくなった。

 安心して変わらない日々を過ごすが、一つ変わってしまった事もある。アレンが滅多にここに来なくなったのだ。王様になるためのお勉強を頑張ってしているらしい。

 アレンが来ないからと言って、私のする事も心情も特に変わった事はなく、日々緩やかにこの美しい世界を見守っている。

 木々の囁きを聞いて、動物達と戯れて、眠る事の無い私は夜になると泉の中で月の明りを眺めながら揺蕩うだけ。

 そんな安穏な時間をどれくらい過ごしただろう。

 変わらぬ安穏な日々に、ある日小さな波乱が訪れた。その波乱の名はアレン。


 久しぶりに顔を見せた彼を見て、私は言葉を失ってしまった。

 本当にどれくらい時間がたっていたのだろうか。小さかった私の可愛い王子様は、いつの間にか驚くほどに『男』になっていた。


「ディーナ、久しぶり。淋しかった?」


 そうやって爽やかに微笑む彼は、私の大好きなブラピを少し線の細くしたような、私が人間だったら是非今晩ひと勝負お相手頂きたいくらいの精悍な美青年に成長していた。


『……大きくなったわね? 何歳になったの?』


「つれないな、久しぶりに会ったっていうのに、それだけ?」


 苦笑いをしながら私の透明の手をとる彼の手は、手入れが行き届いている綺麗な手だけれども、大きくて少し無骨な男の手で、そこから繋がる腕は白いシャツに隠れていても分かるほど逞しい腕だった。

 淡い茶色のサラサラの前髪がかかる深い緑の瞳は、熱のこもった眼差しで私を見つめる。


 ……人間の神秘ね。あの小さくて可愛らしかった男の子が、こんな色っぽい男になるなんて。


『会えてとても嬉しいわアレン。でも、凄く逞しくなっていたから驚いてしまったの』


 そう言うと、彼は嬉しそうに顔を緩めた。その笑顔は幼い頃の彼そのままで、変わらないものもあるという事に少しの安堵を覚える。けれど、その笑顔はすぐになくなって、彼は顔を曇らせた。


「実は今日、報告があって来たんだ……」


 アレンはそこで一旦口を噤むと、より暗い面持ちになった。なんだろう、そんな顔をするほど大変な事があったのだろうか。

 多感な年頃であろう彼の悩みを真剣に聞いてあげようと、私は彼の次の言葉をじっと待つ。


「……僕、十八歳になってしまったから……。結婚する事になったんだ……」


『うんうん、それで?』


「それで……って……。それだけだけど……?」


『え? それだけ?』


 何やら不満そうな顔をする彼に、私は何の悪気もなく首を傾げる。

 いや、だって、ねぇ? 結婚とか、おめでたい事じゃないのかしら? そんなリストラされたサラリーマンみたいな顔をしているから、どんな大変な事があったのかと心配して損してしまったわ。


『おめでとう、お式はいつ?』


 本当に悪気は無かったの。だって、アレンがまさか本当に、淡い初恋をずっと胸に抱いて大きくなっても一途に想い続ける純情な人間だったなんて、決して綺麗とは言えない社会で生きていた薄汚れた私には想像つかなっかたの。


「……君にだけはそんな風にすんなり祝って欲しくなかったよ……。僕は、ディーナと約束したから、頑張っていたっていうのに……。『立派な国王になる』ために、君に会いたくても我慢して、君にがっかりされないように、色んな勉強を頑張ってたんだ……」


 アレンは悔しそうに顔を歪めて俯いてしまった。それでも彼の言葉は続く。


「僕は確かに約束したよ。『人間の女の人と結婚してたくさん子供をつくる』……と。けど……、けど!!」


 彼は泣きそうな顔を上げて私を真っ直ぐ見据える。

 その顔は子供の頃私に『お嫁さんになって』と言って、駄目だと言われた時と同じような顔だった。昔と違うのは、彼はもう立派な青年であって、複雑な気持ちを言葉にできない子供では、もうない事。


「僕が好きなのはやっぱりディーナなんだ! 昔は結婚するという事も、子供をつくるという事も、簡単な事だと思っていた! けど! 色んな事を学び、知っていくうちに、それは簡単な事じゃなくて、とても大切な事だと気づいた!」


 そうね、人間にとっては種を残すというとても大切な事だわ。それは動物全部に言える事だけど、人間は『結婚』という契約によって自分の立ち位置を確立しつつ、子供の立場を守るというとても大切な事。


「僕達王族は自分の意志だけで行動してはいけないと長い歴史から学んだよ……。でも、だからって、愛する人でもない人と結ばれて、子を成す事はとても不自然な事だと思ってしまうんだ……。それは結婚する女性にとっても失礼な事だと思うし、何よりも、君と……、ディーナと共に在りたいと、望んでしまうんだ……。『体は国のために、心はディーナに』……、なんて無理だったんだ。体と心が別の所に在るなんて、そんな器用な事、僕にはできないよ……」


 可哀想なアレン。あなたは実直すぎて、自分で心を不自由な位置に持って行ってしまうのね。

 いつの時代でも、どこの国でも、結婚しながら他に愛人をつくる男なんてたくさんいる。それはきっと、この国でも変わらないはず。そういう男を見てきていないはずは無いのに、それでも誠実でありたいと願うのね。

 体と心が自由にならなくて涙する彼の頬を優しく撫でて、私は言う。


『それなら、国を捨てなさい』


「……え?」


 何を言われているのか分からないといった風に、彼は子供の頃のように無防備に口をあんぐり開けて私を見つめる。思わず笑ってしまいそうになるのを堪えて、私は繰り返し言う。


『私と共に在りたいと願うなら国を捨てなさい』


「……そんな事……、できる訳無いじゃないか……」


『それなら、どうするの? このまま結婚して、いつまでも私の事を想ってうじうじするの? 私、うじうじしてる男は大嫌いなの。私と共に在るか。それとも、私の事はすっぱりと諦めるか。選びなさい』


 こんな風に言われて諦めきれるくらいなら、とっくに私への想いなんてなくなっていただろう。でも、私は心の逃げ道を作ってあげたかったのだ。

 自分で私への想いを断ち切ったのでは無い。私に迫られて仕方なく選んだのだと。自分で自分の気持ちを裏切ったのでは無いのだと。


 アレンは頭を抱えて黙り込んでしまった。彼にとっては苦渋の選択なのだろうと思う。

 何せ五歳の時から私を想い続けて、勉強を頑張っていたのも国王になるためというより、私に認めて貰うためだったのだ。

 言うなれば、人生から私を切り離すという事は、今までの生きる糧を失うようなものだと思う。


 彼がここにやって来たのは昼過ぎだった。それが日が傾いて、泉を茜色に染めだした頃、ずっとうずくまって黙っていたアレンは顔を上げて私の方を向いて言った。


「……僕は、もう、ここには来ないよ」


 彼は苦しげな面持ちで言う。

 けれど、夕日を映した深い緑色のその瞳には迷いの色など無い。


『アレン、私はあなたを尊敬するわ。きっと、立派な国王になれる』


 それは心からの賛辞だった。

 こんな綺麗な人間を私は見た事が無い。


 類は友を呼ぶと言うが、私の周りは己の欲望に忠実な人間ばかりだった。世の中弱肉強食とばかりに恋人のいる相手でも攻め落とし(さすがに不倫していたのは私だけだったが)、元彼女と修羅場になっても「あなたの魅力が足りなかっただけでしょ」と何の悪びれもなく言い放つ強者ばかりだった。

 勿論、自分を押し殺して何かを我慢する人間も見てきたけども、現状を変える気も努力も何もしていないのに、不満ばかり言う現状を受け入れきれていない人間ばかりだった。

 

 だけど、このアレンの様子はどうだろう。

 私がアレンの立場なら確実に私を愛人ポストに持っていくだろう。だって人間じゃないから不倫にはならないでしょ? という言い訳つきで。

 だけど、アレンはそれをしなかった。私の存在も、アレンの立場も、私を愛人にしてもどうとでもなるようなものだというのに。あくまで誠実であろうとして、全てを受け入れた上で心から自分の事よりも他を優先させたのだ。


 己の欲望を優先させ、その末に刺されてしまった薄汚れた私からすれば、彼はとても綺麗で、とても眩しく見えた。


 私は、泉の底に大切に保管しておいた王家の紋章のついた銀の指輪を彼に返そうと差し出した。けれど、そんな私の手は押し戻される。


「これからは心から国のために、そしてこれから結ばれる人のために尽くそうと思う。だけど、君に対する気持ちを無かった事にしたくは無いんだ。これは、確かに僕の心が君と共に在ったという証し。……迷惑かな?」


 私は思わず笑ってしまった。女より男の方がロマンチストだと聞くけども、本当にそうだと思う。美しい思い出は美しいままで……って感じかしら?

 意外とそういうのは嫌いじゃなかった自分に驚きつつ、いきなり笑いだした私に不審な目を向ける彼に、今度は穏やかな微笑みを向ける。


『ありがとう、ずっと大切にするわ。……アレン、元気でね』


「ありがとう……。君も……、元気で……」


 そして彼は一度も振り返る事なく去って行った。

 私は、そんな彼の背中を見送った後、夜になっても月明かりに照らして指輪をずっと眺めていたのだった。

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