【オデットの日記3】
【エビュマーニュ暦三年 双月の三十二日目】
久しぶりに日記を書く。
父が愛し、守った国エビュールは滅び、新たにエビュマーニュとして建って三年。
戦後処理、そして新たに国を興すため忙しいと自分に言い訳をして日記を書かなかったが、そろそろ心の整理のため書こうと思う。
エビュールが滅びたあの夜。
ゴリュール人から剣を奪い、民を守るために剣を振るった。しかし、戦いに慣れていない民を守りながら戦うのには限度があり、片目をやられ、利き腕もやられ、もはやこれまでかと諦めた時だった。
夜空に輝く精霊達を見た。
それは美しい女であったり、逞しい男であったり、また勇ましい獣の姿だった。
けれど、私に触れ、傷を癒してくれたのは、何の形もしておらず、ただ宙に漂う水の粒達だった。
姿を保てず、意思疎通すらできないそれ。私は直感で確信した。あの優しい瞳をした美しい私の大切な友人だと。
きっと彼女は、私に触れ、助けたことなど理解していなかっただろう。私たちを、エビュールを守るという意志だけで存在していたように見えた。
それが、私が彼女を見た最後だった……。
私が死ぬまで側にいるという約束を、彼女は違えたのだ。
分かっている。彼女には礼こそ言うべきだと。民は半数にまで減り、城は崩れ、町も半壊し、滅びるだけだった私たちが新たに歩き出せたのは、全て彼女のおかげ。泉の精霊たちのおかげだ。
あの夜の奇跡は、精霊というよりも、神の御業のようだった。
あの場に居合わせたゴリュール人を筆頭に噂は広がり、この国は“神の国”として世界に認知され、様々な国からの援助を受け、宗教国家としてたった三年で以前よりも栄えることができた。
そう、全て彼女のおかげ。けれど、責めずにはいられない。なぜ、私を一人にしたのだと。
なぜ、全て一人で背負うように消えてしまったのかと。
神聖さを思わせていた泉が、禍々しい色に染まっているのを見るたびに思う。
あの奇跡をおこすために、彼女はどれほどの犠牲を払ったのだろう。どれほどの痛みを伴ったのだろうと……。
私は、彼女を絶対に許さない。私が背負うはずだったものを攫って、私を残して消えていった彼女を。
だから、私は毎日泉に手を入れる。彼女は言った。私たち王族には、泉の精を癒す力があるのだと。特に銀色の髪を持つ人間はその力が顕著なのだと。
だから、私は毎日泉に通う。彼女を呼び戻し、文句を言うために。
私は、諦めない。
彼女を、絶対に呼び戻すのだ。
【エビュマーニュ暦三年 影月の六日目】
私は彼女を失った哀しみに、心も目も曇らせていたようだ。
それも、取り返しのつかないほどに。
エビュマーニュ建国当初、神の存在を疑う国からの侵攻を、ほぼファズル一人が食い止めてくれていた。まるで、彼女の力があの子に宿ったかのように、自分の血を自由に操ることができるようになったからこそできたことだった。
奇跡の力を使うファズルは、“神の獣”と呼ばれるようになった。
けれど、その奇跡の力を使うには、あの子自身の血を流さなければいけない。何度も止めたのだけれど、あの子は私の言葉など聞こえていないかのようだった。
私は、あの子も彼女を失った哀しみで、自暴自棄になっているのだと思っていた。
けれど、違った。
最近、ちゃんとファズルの目を真っ直ぐに見た時、ぞっとした。
感情の全てを失ったかのような目。
彼女を失った哀しみも、彼女を失うきっかけになったゴリュールへの憎しみも、何も抱いていないかのような、からっぽの目。
私は言った。
あなたにそんな目をさせるために、彼女は私たちを守ったんじゃない、と。
そんな私の言葉に、あの子は言った。
分かっている、と。だから、“取り戻す”ためにもがいているのだ、と……。
何を、と聞いても、あの子は何も答えてくれなかった。
悔しい。
彼女の大切にしていた子を、あんな状態のまま三年も放っておいてしまっていたなんて。自分の愚鈍さに吐き気がする。
【エビュマーニュ暦十一年 輝月の十五日目】
最近、歳を感じる。節々が痛むし、疲れは中々とれないし、シワも増えたし、髪の毛の色も鈍いものになってきた。
そんな老体に、不必要に膨れ上がってしまった国を背負うのは中々厳しい……。
そろそろコンラッドに王位を譲ろうか……。
あの奇跡の夜に片腕を失ったとは言え、しぶとく生き残ったコンラッドだから、どうにか頑張ってくれるだろう。
【エビュマーニュ暦二十年 水月の四十八日目】
王位を退いて、“泉の女神ディーナ”を信仰する“ディーナ教”の教皇になってから七年がたった。
毎日欠かさず泉に通うようになってからは二十年だ。その甲斐あってか、うっすらと色が薄くなってきた気がする。
それだけではない。手だけを入れるのももどかしくなってきたので、最近は全身浸かり、ついでに髪も洗ったりしていたのだが……。
そうすることになってから、増えてきたシミやシワがなくなってきた……。
これは、元の機能を取り戻してきたということだろうか……。そもそも、元からその浄化の力は失っていなかったのか……。
とにかく、私の若々しさを取り戻した姿を見て、泉の女神は癒しだけではなく、美も司るという話になり、女性信者が急激に増えてしまった。面倒なことこの上ない。私は泉を管理するためだけに教皇になったというのに……。必死に祈っている信者たちを見ると、罪悪感に苛まれてしまうではないか。
けれど、それだけならまだいい。
エビュールの時から十倍に膨れ上がってしまった国土。それの大半が信者だ。更には、国外にまで信者は増え続けている。その中には、有権者も多く、莫大な寄付金を持ってくる者もいる。
それに欲を出し、不穏な動きをする者たちが出始めたことが問題だ。
特に、どうやって幹部になったのか分からない、いつの間にかいたあのデブ。私にわかりやすい賄賂でも差し出してくればいいのに。そうすれば、始末できるのに。見せしめにもちょうどいいし……。
そうするように誘導すればいいか。
【エビュマーニュ暦六十七年 紅月の三十二日目】
もうペンを持つ力もあまり無い。これが、最後の日記になるだろう。
泉は、私が肩まで浸かってようやく胸が見えるほどの透明度は取り戻した。けれど、あの美しい泉に戻るには、まだ長い年月を必要とするだろう。
次の教皇には、コンラッドの三男を指名した。彼もまた、銀色の髪を持つからだ。教皇になる資格として、銀色の髪を持つ事を第一とし、その時代にいなければ王族の中から選ぶようにと規律を決めた。それと、教皇としての日課に、泉で水浴びすることを厳守するように言いつけてある。
これで、いつかあの泉は遠い昔のように、輝きを取り戻す時が訪れるだろう。
けれど、私が生きている間には間に合わなかったことが悔しい。
……彼女に、会いたい。
死が近づいているからか、昔のことをよく思い出す。
鏡のように光る美しい泉から現れる、美しい彼女。
透明な身体が動くたびゆらゆらと揺れて、その身体に受けた光も共にキラキラと煌めいて、とても綺麗だった。
透明な水が形造る顔は、近くで見ないと分かりづらかったけれど、おうとつでできた影が彼女の均整のとれた顔を浮かび上がらせていた。
子供の頃、髪の手入れをしてもらっている時に、下から彼女の顔を見るのが好きだった。彼女の向こうでキラキラと光る太陽が、彼女を取り巻く世界の全てを美しく見せた。
歌を歌ってもらうのが好きだった。頭に響くような彼女の声は柔らかく、私が眠たくなったのが分かると、とても優しい瞳をするのだ。
今となっては、宝物のような日々。
かけがえのないものだと気づくことなく、ただその心地よさに微睡んでいた。
もう、二度と訪れることはない、幸福な時間。
彼女が一人いなくなってしまって、私は彼女を許さないと決めたけれど、なんてくだらない虚勢だったのだろうと笑いがこみ上げてくる。
遠い未来、彼女が戻ってくることがあるならば、誰か伝えて欲しい。
ありがとう。
精霊様に会えて幸せだった。精霊様に出会わなければ、私は自分勝手な孤独に浸ったまま、不幸を気取っていたと思う。
精霊様が自身を犠牲にして守ってくれなければ、この国も、コンラッドさえも奪われていた。
本当に、ありがとう。あなたは、私のかけがえのない、大切な友人。
そして、ごめんなさい。
ファズルの心を、取り戻すことができなかった。
泉の側で、静かに寝ているかのようにして亡くなっているのを見つけたのは二十年前。ファズルは、からっぽのまま、いってしまった……。
ファズルの手の下には、自らが書いたのであろう手紙があった。それを見た時の衝撃と、哀しみは今も私の胸を締め付ける。
その手紙を、挟んでおきます。
これが、私たちが愛したあの人の心が、精霊様に届きますように……。
コンラッド生きてたタ━(゜∀゜)━!
そして、オデットは百と九歳まで生きました。
なんという大往生。
次から新展開でございます。
そろそろ終わりかな?と思ってらした方、すみません、もう少しだけ引っ張らせてください(/ω\)
それでは、しぶとく引っ張る【たゆたう世界】を今後ともよろしくお願いします_(._.)_