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32.だから彼女は美しい

 

 コンラッドとセルジュが去って、私は一人泉の前で佇んでいた。

 私の思考を占めているのはファズルの事。

 何を話そうか。何から話そうか。落ち着いて話ができるだろうか。また、この前みたいにファズルを追いつめるような事を言ってしまわないだろうか。

 泉に映る三日月が、お前には無理だ、と言って意地悪く笑う道化の口に見えた。

 そんな事ない、きっと、ちゃんとファズルと話せるはず。

 道化が笑う様を見たくなくて、苛立ち紛れに石を投げ入れた時。

 敵意。害意。

 それが唐突に膨れあがるのを感じた。

 凶暴な敵意。それがゴリュール軍が駐屯している森の一部から感じる。

 一体何が――、いや、決まっている。脳筋軍団が考える事と言ったら、“欲しいものは力づくで奪う”だ。きっと煮え切らない態度のこの国とファズルに業を煮やしたか、それともキッパリと断った事で強硬手段に出たか。どちらでも私がする事は変わらない。

 この国を、護らなければ!!


 木々がうねり、絡み合いながら空へと伸びていき、ゴリュール軍の侵攻を防ぐ。しかし逃れた数十名がそのしなやかな獣のような足で素早く森の中を駆け抜け、町へと出てしまった。夜中だった事は幸いだろう、外に人の気配はなく、混乱は起きずに無駄な血が流れずに済んだ。

 森から抜け出した数十名は、オデット達が住まう城へと迷いなく進んでいく。森に閉じ込めた数百の軍も木を切り倒そうとしたり燃やそうとしている。さすがに燃やされては堪らないので、土を生き埋めにならない程度にかけた後、火を点けにくくするするために水を雨のように降り注がせた。後は数名ずつ木で絡めとり、外へ持って行って捨てるという地味な作業を繰り返す。


 優しい意思達が、悲鳴を上げた。

 聞こえてきたのは、森ではなく、城の方。


 カーーーン!! カーーーン!! カーーーン!!


 悲鳴の後、少し遅れて聞こえてきたのは、国中に響く警鐘だった。

 城で血が流れている。城にいる彼らが危ない。焦るけれど、城の中では私達の力が及びにくい。更には血が流れてしまったので、意思達がそこに行こうとしない。泉に城内の様子を映そうとしても、力が及びやすかった庭園でさえノイズのようにしか映らなかった。

 焦る気持ちばかりが増していく。私にはどうする事もできないのか。守護精霊なんて大それた呼び方をされているのに、何もできないのか。

 彼らが、大切な人の命が危険にされされているというのに――。


「放しなさい!! 私だって戦うわ!!」


 心配していた人物の声が聞こえてそちらを向くと、夜着姿のままのオデットが騎士のような人間に両脇を固められ引きづられていた。

 自分も戦いに行くと息巻くオデットを無視して、騎士達は私に丁寧に礼をし、女王陛下をお願いしますとだけ言って彼らは元来た道を走って戻って行った。それについて行こうとするオデットの腕を、私は焦って掴んだ。


『ダメよ。行かないで。血が流れたせいで、私の力が城には及ばないの。お願い、せめて私の力が及ぶ所にいて』


「でも……、だって、城にはまだファズルだっているのよ? ファズルを守らないと」


『ゴリュールはファズルが欲しいんでしょう? なら殺しはしないはずだわ。オデットは違う。殺されてしまうかもしれない』


「いいえ。あの王女は何かおかしいの。狂人のような目をするのよ。何をするか分からないわ」


 狂人のような目。その言葉に、人間の私を刺した“彼”の妻を思い出す。

 底の見えない暗く不気味な目。

 そんな目をゴリュールの王女がしていると言うのか。その目をファズルに向けていると言うのか。

 私のように、王女に刺されて倒れるファズルを想像して、頭が真っ白になった。


 一瞬だった。

 ファズルを失うという事が現実味を帯びて、何も考えられなくなったのは一瞬だった。けれど、その一瞬が取り返しのつかないミスになってしまった。


 森に閉じ込めていたゴリュール軍を囲う木の檻が緩み、その一瞬の隙をついて約百ほどのゴリュール人が逃げ出してしまったのだ。慌てて再び捕らえようとしたけれど、それでも捕らえられたのは逃げ出した半数にも満たず、かなりの数のゴリュール人が森から抜け出してしまった。

 最初に逃してしまった時と違うのは、警鐘の音で眠っていた住人達が起きだしていた事。ゴリュール人が町へと入った途端に、断末魔の悲鳴が響いた。


『オデット……!! どうしよう!! 町で血が流れているわ!!』


 血が流れた。それは、つまり私達の力が及ばなくなるという事。

 それを理解したオデットは、血の気が引く音が聞こえそうなほど顔を青ざめさせ、膝から崩れ落ちた。わななく唇からは、何かを話そうとして、声にならない掠れた息しか出てきていない。


 私達の力が及ばない。それは人間達だけでどうにかしないといけないという事。

 戦うために集められ、なおかつ普通の人間よりも素早く力も強いゴリュール人と、戦う事に慣れていない非力な人間。

 戦う前から、結果は明らかだ。

 ゴリュール人による一方的な蹂躙が始まるのだ。


 どうしてこうなってしまったのだろう。

 この国の住民達が一体何をしたというのか。ただ、小さな国で、穏やかに暮らしていただけなのに、どうして、こんな理不尽な目に合わなければいけないのだろう。

 私は、それをただ眺めている事しかできない。


 何もできないもどかしさに、あまりの自分の無力さに絶望しかけていた時、オデットがふらりと立ち上がった。かと思えば、いきなり地面につくくらいに長い夜着の裾を引き裂いた。


『オデット……? 何、しているの?』


 私の問いかけに振り向いたオデットの顔は、先ほどまで真っ青だったのが嘘だったかのように色を取り戻し、その瞳には強い意志を宿していた。


「やっぱり、私行くわ」


 そう言うと、引き裂いた夜着の裾を膝上の辺りで結んだ。


『行くって……、どこに? もう、森の中しか安全な場所は無いのよ?』


「民がいない王なんて、なんの意味も無いの」


 私には、オデットが何を行っているのか分からなかった。

 絶望と、混乱の中にいる私を置いて、彼女の眼差しは強さを増すだけ。


わたし一人だけ生き残ってても、なんの意味も無い」


『だから……。だから、死にに行くって言うの……?』


「違うわ。私の民を、“守り”に行くのよ」


 迷いの無い眼差しで凛と立つ彼女の姿は、王冠がなくとも王で、剣を持っていなくとも、何の力もなくとも、この国の『守護者』だった。

 彼女が『守護者』なら。じゃあ、私は、何?

 言葉を失った私を、オデットは強く抱きしめる。


「民が森に逃げてきたら、保護してね。……行ってくる」


 それだけ言うと、オデットは町の方へ走り去って行った。

 引き止めたかった。だけど、できなかった。

 彼女はどこまでも誇り高く、弱さを“王”という仮面で覆い強くあろうとする。

 だからこそ、彼女は美しい。

 私が止めるという事は、そんな彼女を侮辱するような気がして。彼女の誇りを穢すような気がして。止める事なんてできなかった。


 だから、私は暗い森へと消えて行くオデットの背中を、黙って見送った。


 それが、私がオデットを見た最後だった。

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