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30.虚ろな夜明け

 

 一人でいたくなくて、 ファズルにオデットに来てもらうようには言ったけれど、今はきっと戦後処理などで忙しいと思い、すぐに来てくれるなんて期待していなかった。

 だから、泉の淵で膝を抱えて蹲ったまま、私はひたすらに一人で痛みを堪えていた。


「ちょっ……、何? どうしたの? 暗いところで膝を抱えてるのって、怖いし気持ち悪いわよ?」


 期待していなかった彼女が現れたのは、もうすぐ太陽が出てきそうな頃だった。


『オデット……。ここに来る暇なんてないんじゃないの……?』


 薄明るい場所で見る彼女の瞳の下にはハッキリとしたクマができていて、隠せないほどの疲れが滲み出ている顔を見るとあまり寝ていないのだろうと分かる。


「あなたが来いって言ったんでしょ!? せっかく来てあげたのに何よそれ!?」


 確かにそうだけど……。忙しいなら来なくていいとも言ったのだけれど……。

 本当は少しでも寝たいだろうに、疲れた身体に鞭打って来てくれた事に、感謝と罪悪感が込み上げてくる。

 彼女は国のため、国民のために頑張っているというのに、私はいわゆる痴情のもつれというやつのためだけにオデットを呼び出したのだ。なんて情けない女なのだろう。


『来てくれてありがとうオデット。あなたの顔を見ただけで落ち着いたわ。それよりも、寝れる時に寝ておいた方がいいわよ? あなたももう若くないんだし、睡眠不足はお肌の大敵なんだから』


「その貴重な睡眠時間を削って来てあげたっていうのに、用件は言わずに若くないとか、散々な言いようね」


 疲れを滲ませている顔に、余計疲れの色が濃くなった。

 私のせいだろうか……? それは申し訳ない事をしてしまった。けれど、私の悩みなんて彼女に比べたら本当につまらない事で、それを彼女に打ち明ける事が恥ずかしい事に思えてしまったのだ。


『ごめんね……? お詫びに髪のお手入れと、今日はお肌のお手入れもしてあげるから。ほら、横になって。寝てしまったら、ファズルのベッドに運んであげるから』


 少しファズルの毛まみれになるかもしれないけど。


「はぁ……。ファズルがなんだか思いつめた顔をしてたから、何事かと思って心配したのに……。拍子抜けだわ。……太陽が真上に来る前には起こしてよ?」


 重いため息を吐きながら、泉を頭にくるように横たわるオデット。歳のせいで、少し鈍くなってきた銀色の髪を丁寧にすすぎながら、気持ち良さそうにされるがままになっている彼女を見て、凍えそうだった心が温まるのを感じる。

 本当に不思議な銀色。オデット自身は癒し系から程遠いのに、どうしてこんなにも心が癒されるのか。原初の泉の精が恋した青年もまた、銀色の髪の持ち主だった。彼女もまた、この銀色の光に癒されていたのだろううか。

 銀色の毛を持つ猫の顔のようなあの子を思い出す。自分の世界に閉じこもってしまった私をすくい出してくれたのは、彼だった。王家では無いけれど、銀色の毛を持っていればそれだけで癒しの力を持つのだろうか。

 今回の心の傷の原因もまた彼なのだけれど。

 傷つけて、自分で癒すとか、あれか。飴と鞭ってやつか。そんないいものではないか。精神的ドメスティック・バイオレンスか。


『……オデットが男だったら良かったのに』


 精神的DVがこれからも続くのかと想像したら、ついそんな言葉をこぼしてしまった。


「えっ、急に何なの!? 私が男だったら何なのよ?」


『そうしたら、私はあなたに恋したかもしれないでしょう? いえ、やっぱりダメね。女遊びが激しいとか問題外だわ』


「勝手に妄想されて、勝手に妄想だけで貶められるなんて納得いかないんだけど……」


 疲れの色をより濃くしたオデットは深いため息を吐いた。あれ、また私のせいだろうか。ごめんねオデット。

 お詫びにと、より丁寧に頭皮マッサージをする。彼女は気持ち良いのと、疲れが溜まっているのとで、瞼を重そうにしている。彼女の眠りを妨げないように、私は黙って作業をしていた。

 薄明るいだけだった森が、やがて幾筋もの太陽の光が射し込んでくる。私はこの瞬間が好きだった。

 過去、アレンがこの時間に逝き、時を刻まないこの身体を不自然なものと認識した瞬間でもあり、心に深い傷を作った瞬間でもあるけれど。

 ファズルがここで暮らし始めたその時から、彼が眠りの世界から私の元へ帰ってくる瞬間になったのだ。

 陽が昇りまた暮れていくように、生命もまた生まれては朽ちていくけれど。陽が暮れてもまた昇るように、生命もまた朽ちては生まれるのだと実感する。

 巡り、巡る世界。その美しさを、この瞬間が感じさせてくれる。

 ファズルがおはようと微笑む度に、私の心にもまた光が射すのだ。

 けれど、私が彼を信じきれないばかりに、その光を永遠に失ってしまったかもしれない。細い細い針が幾本も刺さっているかのように、心が疼く。


 ふわり。

 白い手が、花が舞うように私の頬を撫でた。


「大丈夫よ」


 半分しか開いてない瞼の中から覗く水色の瞳が静かに言う。


「ファズルは、私がちゃんと守ってあげるから……。あなたは何も心配しなくていい……。だいじょう、ぶ、だから……」


 言葉の途中で、瞼は完全に閉ざされてしまった。

 ファズルを守る。それは一体どういう意味なのか。何に対して大丈夫だと言ったのか。聞きたいけれど、疲れきって眠ってしまったオデットを起こす事なんてできない。

 けれど、彼女が言うなら大丈夫な気がした。彼女は有言実行を地でいく人間だ。だから、大丈夫。何が大丈夫かなんて分からないけれど、きっと大丈夫。

 世界が巡るように、この痛みもどういう形であろうと、いつか消化されるはずだから。


 朝焼けの空を見上げる。

 ああ、今日は彼のおはようを聞けないのだ、と今さらながらに思う。

 明日は、明後日は、明明後日は、私はどんな朝を迎えるのだろう。

 大丈夫。オデットの言葉を信じてない訳ではないけれど。

 彼のいない朝は、どこか虚しく、辛かった。

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