28.崩れいく、セカイ
ファズルが帰って来てから一週間。彼は毎日城へと赴いていた。何の用で行くのかと聞いてみても、色々とやる事があるのだ、とあやふやな笑顔で答える。
その笑顔が、私を優しく拒絶する。言葉ではなく、態度での拒絶。
彼は、いつからそんな“大人”の顔をするようになったのだろう。
私にも言えない事とは何だろうか。私に心配させたくないと黙っているのだろうか。それとも、後ろ暗い事でもしているのだろうか。どちらにせよ、良い事じゃないのには違いない……。
はっ!? もしかして……、浮気?
いやいやいや、彼は人の姿をしていない。それは無い……、なんて言い切れるだろうか? だって、私が彼を好きな理由は容姿なんて関係ないし、そもそも私だって人間じゃないのにアレンだった頃から彼は私の事が好きだったし……。
戦争なんて絶好の吊り橋効果がある状況で、異種族間の愛が芽生えてしまったのかも……? いや、もしかしたら、人間じゃなくて城に可愛らしい犬やら猫やらいるのかもしれない。
ダメダメ、男女の間は信頼が一番大事だ。疑っちゃダメったらダメ。
そんな事を思いながら、心に忠実な私の身体はいつの間にか泉に手を入れていて、ちょっとだけ、ちょっとだけだから、とまるで携帯を盗み見るような言い訳を自分にしながらファズルの事を思い浮かべた。
密かに初めて見る、人間達が住む場所。水路に囲まれた青みがかった小さい白い城が映る。なんだかネズミの国にあるお城みたいだな~、と思いながらファズルを探す。さすがに城の中までは泉の水が行き渡っていないため、ファズルの気配を探りにくいし、城内の様子もぼんやりとしか映らない。なんだか、携帯の中身を見たいけど、ロック解除の暗証番号が分からないもどかしさに似た気分だ。まぁ、ロックしてる時点で限りなく“黒”だが。
そんなくだらない事を考えつつ、ファズル探しが上手くいかず、徐々に飽きてきた。本気で彼を疑っている訳ではなく、ちょっとした好奇心のようなものだったから、見つからなくて不安に押し潰される~みたいな事は無い。
なので、今はファズルそっちのけで、庭園の様子を観察している。庭園には池や水路などがあるため視やすいのだ。森のありのままの自然も良いが、人の手により整えられた自然もまた美しい。自然と言うより、芸術品を見ているかのような楽しさがある。ほら、あの花のアーチなんてまさにメルヘン。子供の頃憧れた御伽の国のお城のようで、ワクワクしてしまう。
花のアーチをくぐると、複雑な迷路のようになっていた。んん? ここはもしかして、オデットが言っていた彼女専用の逢い引き用庭園ではないだろうか。人が来ないように、外から見えないように、入り口は複雑にしていると言っていた気がする。どれどれ、奥はどんな卑猥な造りをしているのかご拝見といきましょうか……ふふ。
鼻歌まじりに進むと、奥から慣れた気配を感じた。
ファズルの気配。
それと、知らない“誰か”の気配。
少し、混乱する。
だって、そこはオデット専用の逢引用の庭園。オデット専用のはずなのに。何故ファズルがいるのか。
それよりも、そこは“逢い引き用”庭園。そんな所に、私の知らない誰かと“二人”でいるとか……。
……え?
まさか、冗談まじりの浮気疑惑……。冗談じゃなかった……?
庭園を映している泉が、私の心に敏感に反応してさざめき立つ。
ダメよ。落ち着け。落ち着け、私。水面が乱れたら庭園の様子が見れないじゃない。浮気してるとは限らないし。誰にも聞かれたくない話をするのに丁度良いから、そこにいるだけかもしれないもの。
そう、自分に言い聞かせ、水面が静まるのを待って、迷路のような庭園の向こう側を覗いた。
犬のようなふさふさの銀色の尻尾が見えた。彼は向こうを向いていて表情は見えなかったけれど、彼に“抱きついている”女性の、その幸せそうな微笑みが、私の冗談が冗談ではなかった事を理解させた。
彼らの周りにあった水路の水が、爆発したかのように弾けた。
泉が、私の心を表すかのように、ぐるぐる、ぐるぐると、凄い勢いで渦巻いている。
さっきのは、ナニ? ファズルと、抱き合っていたのは、ダレ? どうして、抱き合っていたの? あの女の人は、ダレ? あなたの、ナニ? 毎日、そのヒトと合うためにお城に行っていたの? 私以外の、ダレかが、あなたの心に、いるの?
一瞬だけしか見なかったけれど、可愛いヒトだった。
赤金色に輝くふわふわの長く綺麗な髪に、とろけるような甘い微笑みを浮かべた愛らしい猫のような顔。その顔が、ゴリュール人である事を物語っていた。
そうね、あの人ならファズルにお似合いだわ。私とは違って、確かな肉体を持っている。ファズルだってゴリュール人なんだから、子供も作れるかもしれない。
そう。そうだわ。ファズルは、私と違って肉体を持っているのだから、子孫を残そうとする本能があるはず。若い彼には、私との精神的な繋がりだけでは、物足りないのかもしれない。
きっと、肉体を持たない私から、離れていくのは、仕方ない。
彼と、あの可愛いヒトが、絡み合うところを想像してしまう。
渦巻く泉が、天を貫かんとするように巻き上がった。
仕方なくても、イタイ。
心を取り戻して、穏やかなだけではなくて、いつか苦しむ事もあるだろうと、覚悟していたけれど。
イタイ。
私は、私が思っていた以上に、彼の事を愛していたようだった。
だって、こんなにもイタイ。彼の心が離れてしまう事が、こんなにも、コワイ。
怖い。それを自覚してから、何も考えられなくなった。
自己防衛のようなそれは、私から全ての感覚を奪い去った。泉の意思達と共有していた、世界と繋がっている感覚。それが途切れ、音も、視界も、何もかもがなくなった。
優しい意思達が私を泉の底へ連れ戻そうとしても、それすらも拒絶して、私の世界はなくなった。
だって、彼がいないなら、世界なんて意味がないもの。