21.女王であるために
◇
また、“流された”。
人間の私が寝ている場所でも無いし、“彼”がいる散らかった部屋でも無い。
今、私の目の前には素っぴんの幼なじみがいた。
「――ナミ?」
久しぶりに見た、眉毛が無いのにまつ毛エクステのせいで不自然に目ヂカラがあるその顔に、思わず爆笑してしまった。
「いきなり出てきて笑うとかなんなのアンタ!? 塩撒くぞコラ!!」
透けて見える私を幽霊だと思っているのか、成仏させようと息巻く彼女。
『ふふふ、残念だけど幽霊じゃないからそんな塩じゃ追い払えないわよ。つーか、身体は生きてんだから成仏させようとすんな!!』
「いや……だって、そんな軽く現れるから、なんか色々とムカついて」
彼女が怒っている理由は分かる。口ではそんな事を言っていても、私の事を心底心配していたのだ。
子供の頃から友達で。掴み合いのケンカもした事もあったし、男の取り合いもした事があった。
けれど、やっぱり友達で。
楽しいと感じる時間はいつも彼女が側で笑っていたし、凄く辛い時も彼女は自分まで辛い顔をしながら側にいて。老人ホームに入っても一緒にゲートボールをしようと笑い合った。
そう、彼女とは確かな“絆”があったのだ。
私が泉の底に引き篭っていた時に理解した事。それは、私があちらの世界で強く“絆”を感じた時。似た感情を持つ人間の元へ“流される”。それは泉の底にいるあの優しい意思達が、私の潜在的な意志を感じ流してくれるのだ。
だから、私は焦っていない。私が“帰りたい”と願えば、いつでも帰って来れるのだから。
『心配させてごめんね? でも、もう少しだけ待って。必ず戻って来るから……』
「もう少しってどのくらいよ?」
少し涙ぐみながら私を睨む彼女。
大体ではあるけれど、あちらの二十年がこちらの一ヶ月くらいだろうか。だから、オデットが天寿を全うするまで……そう言えば、あちらの人間の寿命はどれくらいなのだろう? アレンは四十代だったが、まだ若かったのにと言われていたらしいし……。もし、百年以上……考え難いが千年単位だったなら……。
「おい、何だその笑い。あたしは知ってる。その顔は笑って誤魔化そうとしてる時の顔だわ」
バレた。仕方がないので、開き直って満面の笑みで手を振った。
怒ってまた塩を撒く彼女の姿を生暖かい目で見守り、そして私はまた泉へと戻って行ったのだった。
◇
オデットがしょぼくれた背中をしながら去ってから五日後。オレリアと共に泉を訪れた。
オレリアの表情にはまだ少しの曇りも無い事が、オデットは何も言って無い事を窺わせる。
「……私一人じゃ勇気無いから……側で聞いててよ」
ヘタレだなぁ……と思いつつ、そんな“氷の女王(笑)”の可愛らしい姿を見れるのは役得だろうか。
なんの事だか分からず小首を傾げているオレリアをとりあえず泉の近くに座らせ、オデットに話をするように促した。
「……オレリア。あなたももう二十四歳ね」
「え? ええ、そうですね?」
一体なんの話をしたいのか。いきなり話すのは怖いから、世間話から徐々に本題に入るというアレですか?
「王族が二十四歳まで独身なんて異例なのは分かってるわね?」
「……はい」
それならオデットはどうなるのだ、という話だが、彼女は「子供さえ産めばいいでしょ」というごり押しで、結婚しない事と色んな男に手を出している事を無理矢理容認させている。
「女王としてあなたに命じるわ。ギャストン・フォスターと婚姻しなさい」
『え!? オデット、ちょっと待っ……』
「精霊様はちょっと黙ってて!!」
ギャストンとは、二人の想い人の名だったはず。
どういう事だろう? オレリアに自分の気持ちを打ち明ける気になったから、ここにわざわざ来て話をしようと思った訳ではないのか。
「け、けれど、オデット姉様!! あの方はまだオデット姉様の事を……」
「アイツにはすでに話をつけてあるわ。私への気持ちはもう無くさせた」
私はオレリアと視線を交わせる。オレリアの瞳は、不安とそれ以上の歓喜で揺れていた。
「後日、正式に発表。婚姻の儀の日取りは両家で取り決めという事で、もう話は決まってるの。オレリア、あなたが何と言おうとあなたに拒否権はないわ」
「私が……あの方と、結ばれる……」
オデットへの気持ちがまだあるのではないだろうかといまだ残る不安が、オレリアが素直に喜ぶ事を躊躇わせているが、それでも抑えきれない喜びが雫となって大きな瞳からこぼれ落ちた。
「……オレリア」
「は……はい……」
「幸せに、なりなさい」
「オデット……姉様……!!」
オレリアは堪えきれず、オデットに抱きついて声をあげて泣きだした。オデットの胸に顔を埋めているオレリアには見えないだろうが、私は見てしまった。
痛みを堪えながら、無理矢理微笑んでいるオデットを。
オレリアが落ち着いた後、オデットは私とまだ話があるからとオレリア一人で先に帰らせた。
私は黙ったまま、オデットの言葉を待つ。けれど、彼女も黙ったままで二人して何をする訳でもなく、ただ泉だけを眺めていた。そうやって時間だけが流れていき、やがて夕日が泉を赤く照らしだした頃、私は言った。
『……ホント、馬鹿な子』
そう言った直後、腹部に強い衝撃がきて私の全身が揺らめいた。凄い勢いだったので何事かと思えば、オデットが私のお腹に抱きついている。
その抱きつくというよりタックル並みの勢いは普通の人間なら相当のダメージを受けると思う。痛覚の無い身体で良かったと今ほど思った事はない。
私にガッシリとしがみついて、声を殺して泣いているオデットの頭をペチッと叩く。
『あなたねぇ……泣くくらいならどうして身を引くような真似したの? 例の彼に嫌われちゃったの?』
声には出さないが、代わりに首を横に振って答えるオデット。
『それじゃあ、どうして?』
「……いや、だったの」
『何が?』
「毎日、毎日、アイツの事ばっかり考えて……。心の中を占めるものが段々アイツで大きくなってきて……。このまま、アイツでいっぱいになってしまったらって思うと……怖かった」
そこまで言うとオデットは突然起き上がり、ゴシゴシと涙を拭った。手をどければ、赤くなった瞼とは対照的な静かな氷のような瞳が、揺らぎなく真っ直ぐ私を見る。
「私は女王。私の心は国民のもの。たった一人の男のためだけにあってはいけない」
そういうものだろうか。当然ながら私は女王になった事など無いから、女王であるための心構えなど分からない。
だからこそ思う。本当にそれで良かったのかと。
『オデット。私は、あなたが結婚しようがしまいが、あなたが幸せならどっちでもいい。だけど……。好きな人をわざわざ遠ざけるのが分からない。本当に、“女王”であるためだけに諦めたの? オレリアのためじゃないって言える?』
「言えるわ。もし、オレリアの事が無かったとしても、私はアイツを遠ざけたと思う。だから、オレリアがいて逆に助かったわ。……すっぱり諦められるもの」
『……後悔しない?』
「しないわ。私が自分で決めた事だもの」
語尾が震え、手をギュッと握りしめるオデット。地面に手を置いていたから土に指の跡が残っていて、その跡の深さがどれほどの力が入っていたか分かる。
強がり。そう言おうとしたけれど、やめた。
下唇を強く噛んで、涙を堪えている彼女の強がりを責めるのは、酷なような気がした。
『後悔しないって確かに聞いたわよ? 後でウジウジ言い出したら髪の毛モジャモジャになる呪いかけてやるから』
指から水を出して、オデットの顔に命中させた。顔が濡れたオデットは、怒って私に殴りかかってくる。
その顔が、泣いているように見えたけれど。きっと、私がかけた水のせいだ。