20.氷の女王のなやみごと
あれから特に大きな事件はなく、穏やかに時は流れてオデットは二十五歳になった。
彼女は、何気に男性経験を積んでいるようだが、男に心底惚れた事は無いと言う。なので、いわゆる“ヤリ逃げ”を繰り返し、政治手段のエグさも併せて“氷の女王”と言う素晴らしい異名を獲得したようだ。
個人的に言わせてもらうと、もっと捻りのきいた異名はなかったのかと言いたい。
そんな“氷の女王(笑)”だが、最近なんだか様子がおかしい。空を眺めながら意識だけ遠い世界へお散歩していたり、お花を眺めながら甘い吐息を吐いていたり……分かりやすすぎるほど“恋する女”の顔になっている。
やっとオデットにも春が来たのかと思って、からかいのネタに問い詰めてみれば、とんでもない事を言い出した。
『オレリアの好きな人と寝たですって?』
気まずそうに頷くオデット。指をえんがちょの形にして少し離れる私。
「ちょっ!! なんで離れるのよ!? そんな目で見るなー!!」
だって、ねぇ……? いくら私でも、さすがに肉親の好きな人を横取りするような真似はした事ないし……? 鬼畜かと言いたい。
私の穢らわしいものを見るような目に堪えられず、彼女は精一杯の言い訳をし始めた。
なんでも、寝たのは“間違い”だったそうだ。なんて見苦しい言い訳だとまた少し離れようとしたら、ガッチリと羽交い締めにされてから話を続けられた。
とある夜会での出来事。誘った相手を、オデット専用の逢引用庭園(そんなもの作るなんてどれだけ男好きなんだ)で待っていると、誘った相手と背格好が似ているオレリアの想い人が迷い込んで来て、間違えてキスをしてしまったらしい。そしてその彼は、想い人であるオデットからのキスに興奮してしまい、そしてオデットが間違いに気づいたのは最後までしてしまった後だったと……。
『なんていうか……。色んな意味で最低ね?』
「言わないで……。自分でよく分かってるから……」
耳を塞ぎ、嫌々と首を横に振るオデット。どうしてこんな子になってしまったのだろう……。育て方を間違えてしまったのだろうか。……私のせいではないはずだ。『喰われるより、喰う側になれ』と言った事もある気がしなくもないが、きっと気のせいだ。うん。
『その彼って、オレリアが何年も想い続けている人でしょう? あなた、全然興味無いとか言ってなかった?』
「そうなのよ。仕事面では信頼できるヤツなんだけど、そっち方面では興味無かったし、持つ気も無かったのよ。だけど……」
言葉が途切れ、代わりに長く重いため息が彼女の口から盛大に漏れた。その後に、恥ずかしそうに頬を染め、けれど苦いものも混じる複雑そうな顔で呟いた。
「……あんなの、初めてだったの」
そこからは、オデットと相手との濃厚な行為を事細かに聞かされたが、そんな話を真面目に聞くのも馬鹿らしいので、適当に聞き流した。簡単に言うと、行為の中にすごく愛情を感じたらしい。
「今までも、ああ、こいつ私の事好きなんだなっ、て感じる相手とした事はあるけど、それでも“愛情”より“性欲”の方が上回ってる感じだったのよね。でも、彼は違うの。自分の欲を押し殺して、私の悦ぶ事を優先させて、慈しむように……。はぁ……。あれから、今まで気にも止めてなかったアイツの行動の中に“愛情”が見え隠れしているのが気になって……」
そしてまた、長い長ーーーいため息。
しかし、自分より相手を優先させる、か……。まるでアレンのよう。父親に似た人に惹かれるというアレだろうか。
「オレリアの好きな人だって分かってるのに……忘れられないなんて、最悪……」
『そうね、最悪だし、最低だわ』
「……そう、よね」
『いや、冗談だってば!! オデットってばサバサバしてると見せかけて、実はウジウジするの好きなんだから。何が“氷の女王”よ、もう』
パシャッ! っと、指から水を数滴オデットの顔に飛ばした。
いつもならこれで殴りかかってきたり、凄い勢いで言葉責めしてきたりしてからスッキリした顔をするのに、今日は駄目なようだ。それが彼女の重症加減を窺わせる。
『開き直ってオレリアに打ち明ける……のは、さすがに罪悪感よね……』
「そうよ。『諦めるな』って、一体誰があの子をけしかけたと思ってるの? 私達よ? さすがに六年間も想い続けるとは思っていなかったけど……。さすがお父様の娘と言うか、なんと言うか……」
アレンなんて数十年だからね……。そんなとこまで似なくてよかったのに。
さて、困ったものだ。私はオデットにもオレリアにも幸せになって欲しい。けれど、今の状況ではどちらか片方しか幸せになれない。
必ずしも、恋が実る事だけが幸せになれる方法ではないけれど、恋が心に及ぼす影響は凄まじいと思う。オデットが恋に破れてどうなるかは分からないけれど、オレリアは内に篭って生涯泣き暮らすくらいにはなりそうだ。
だからと言って、オデットに諦めろなんて言えない。性行為には興味あっても、恋には興味無かったオデットが初めてした恋なのだ。それがどれほど貴重で大切なものかを彼女自身理解していないかもしれないけれど。後になって後悔だけはして欲しくない。
『ねぇ。とりあえず、罪悪感をなくす事から始めない?』
「……どうやってよ?」
『やっぱり、オレリアに打ち明けるべきだと思うの。大切な人に“隠し事”をしてたら、誰だって後ろめたい気持ちになるでしょう? だから、オレリアに自分も彼の事を好きになってしまったって打ち明けるのよ。さすがに大人の関係になってしまった事は伏せて……っていうより、なかった事にしなさい、うん。例の彼にもなかった事にしてもらって。あなたなら簡単でしょ?』
「そんな、人を鬼畜みたいに……」
『何を今さら。でも、まあ、それが“ハンデ”になるかもね?』
意味が分からないといった風にオデットは眉間に皺を寄せる。
『元々、例の彼はあなたの事が好きで、更にもう既成事実を作ってしまった後で……オレリアに勝ち目なんて無いでしょう? だけど、あなたが彼に『この前の事は無かった事にして』なんて、今までのその他大勢の男達と同じ扱いをしたらどうなると思う?』
水色の瞳が揺れて、自然と視線は下へと向いた。
『今までのあなたの噂にも負けずに慕い続けていたけれど、彼は今度こそあなたに失望するかもしれない。そうすればオレリアのチャンスは増えて、あなたはオレリアと同じスタート地点に立つか、もしかしたらオレリアよりも不利な位置に立つ事になる』
しばらく泉を見つめながら黙っていたオデットは、こちらを見ないままに立ち上がり呟いた。
「……少し、考えさせて」
そうして森の中へと消えていくオデットの背中は、いつもの凛としたものではなく、道を見失った迷子の子供のようだった。
元々臆病なところがあった。臆病だからこそ、子供の頃誰にも悩みを打ち明けられずにずっと髪の事で悩んでいたのだ。
臆病な彼女は一体どんな答えを出すのだろう。ちゃんと逃げずに自分の気持ちと向き合えるだろうか。
私のように逃げないで欲しい。逃げる前に気づいて欲しい。自分の出した答えでどんなに傷ついたとしても、どんなに逃げ出したくなったとしても、私がいる事を。
失敗しても、立ち止まって進めなくなったとしても、どんな事があっても――。ただ、オデットの幸せを願う、私が側にいる事を。