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【オデットの日記2】

 

【エビュール暦三百二十年 双月の三十二日目】


 今日、お父様が死んだ。一年も持ったのが奇跡だと医師から言われた。やはり、あの泉の水の効果だろうか。あらゆるものを浄化する効能は病にまで効くのか……。病にかかってしまう前から飲み続けていれば、もしかしたら病などとは無縁になるのではないだろうか……。

 泉の水を使った美容品を我が国の名産品にしようと思っていたが、それはやめた方がいいかもしれない。泉の水の効能が他国に知れれば、争いの火種となりうる可能性は高い。

 病を知らず、若さと美貌を保たせる。特に権力者などは目の色を変えて欲しがるだろう。


 ……お父様が死んだ日にまでこんな事を考えてしまう自分は、本当に可愛気がない娘だと思う。

 思い返してみても、お父様の前で素直になった事など、一度も無い。

 甘えていたのだ。どれだけ私の態度が冷たかろうと、お父様の愛情は変わる事などないのだと。変わらない愛情を見たくて、心にもない事ばかり言っていた。

 なんて幼稚なのだろう。そんな事で愛情を試してばかりで、私はお父様に何一つ返す事ができなかった。

 愛していたのなら、何故もっと優しくしてあげられなかったのか。

 私も愛していると、何故伝えなかったのか。

 せめて、もう少し笑いかけてあげていれば。

 お父様の好物を奪って困らせる顔をさせるのではなくて、好物を差し出していれば。

 お父様は笑ってくれただろうか。


 いや、そんな事をしなくても、お父様はいつだって私に笑いかけてくれていた。

 そんなお父様に私は何一つ返せなかった。なんて親不孝な娘だろう。今さらどんな後悔をしたって遅い。

 もう、お父様は、いないのだから……。



【エビュール暦三百二十年 双月の四十日目】


 お母様の様子が最近おかしい。

 皆はお父様がいなくなった淋しさで、少し心が病んでいるのだと言うが、どうも違うような気がする。

 そう、あれは誰かの想い人が私の事を好きだと知った時の女の様子に似ている。


 お父様が精霊様の元で息を引き取ったという事が、それほどまでにお母様の心に痛手を負わせたのだろうか。

 お父様の初恋の相手が精霊様だという事は周知の事実。しかし、誰から見ても私達は深く愛されていたという事もまた事実。

 それだけでは足りないのか。一番に愛されないと堪えられないものなのか。まだ誰も愛した事のない私には男女の事柄など分からないけれど。

 精霊様に抱かれて幸せそうに眠るお父様の顔を思い出すと、これが、愛するという事か、と憧れにも似た言いようのない気持ちになる。

 お母様はそれが許せないのだろうか。自分の元ではなく、他の者の側でそんな顔をしていた事が堪えられないのだろうか。


 なんにせよ早く元のお母様に戻って欲しい。

 もういない人間の心を知る事なんてできないし、その心を追い求めても仕方のない事。

 私達は、生きているのだから。生きていかねばならないのだから。



【エビュール暦三百二十年 豪月の三日目】


 お父様が亡くなってからしばらく慌ただしかったが、やっと落ち着いてきたので、手元にある美容液の数も少なくなってきた事だし、泉に行く事にした。

 美容液を切らすと、姉妹達がうるさくて困る。……そういえば、最近は何故かセルジュ兄様も一所懸命髪に付けてたな。育毛剤としても効果があるのだろうか……。


 最近は、美容液を大量生産しようとしていたので国内でハーブを育ててはいるのだが、やはり森のハーブの方が質が良い。それに、意外と淋しがり屋なあの精霊に顔を見せてあげなければ。

 そう思って泉を訪れたのに、精霊様は出て来なかった。最近来なかったから拗ねているのだろうか? まったくおとなげ無いんだから。

 泉に飛び込んで引きずり出そうかとも思ったけれど、最近風邪気味なので今日はやめにした。代わりに、石を何個か投げておいた。



【エビュール暦三百二十年 豪月の十五日目】


 お母様はよくなるどころか、益々おかしくなっていく。

 お父様と一緒に眠っていたベッドを壊したり。お父様の肖像画を切り裂いたり。その目には狂気が宿っていて、もう穏やかに笑うお母様の面影など無い。

 皆はやはりお父様がいなくなった哀しみで乱心したのだと思っているが、それは違う。

 裏切られたと思う心が憎しみとなって狂ってしまったのだ。その証拠に、お父様の痕跡を消すかのように破壊して回っている。

 あれだけ仲睦まじかったのに。あれだけ愛し合っていたのに。

 最後の最後で、お父様はなんて事をしてくれたのだろう。

 心を押し殺してまで守ってきたものを最後に壊していくなんて……。


 お父様を軽蔑する気持ちはある。しかし、王としての立場が理解したくもないものを理解してしまう。

 精霊様は人間では無いので妃に迎えられるはずもない。お父様には兄弟もいなかったため、お父様しか王位を継ぐ者はいなかった。

 どれだけ精霊様を愛していても、お母様と婚姻するしかなかったのだ。

 それなのに、望まぬ生活なのに、私達は幸せだった。望まぬ立場に立たされてなお、お父様は私達に深い愛情を、優しい幸せを与えてくれた。

 それなのに、どうして憎めようか。

 お母様の事を思うと憎みたい。しかし、お父様が与えてくれたものが大きすぎて憎めない。


 私はどうすればいい? お母様が狂っていく姿を見ているだけしかできないの? いっその事、お父様を憎んでしまえたら楽なのに。

 苦しい。心の行き場所が無い。

 精霊様ならこんな時どうするの? 教えて欲しい。それなのに、どうして出て来てくれないの?

 どこに行ってしまったの?



【エビュール暦三百二十年 輝月の五十六日目】


 お母様が死んだ。

 狂いながら。恨みながら。呪いながら。

 私は生涯、あの禍々しい光景を忘れる事はできないだろう。


 お母様は自らの血を使って呪いの陣を描いていた。

 部屋全体に広がる陣を描くのに、一体どれだけの血が必要だった事だろう。血を出すために己を切り、血が出なくなったらまた別の場所を切り。どれだけの苦痛がお母様を襲った事だろう。

 狂ってしまったお母様にはそんなもの感じなかったのか。痛みをなくしてしまうほど、憎しみに心を囚われていたのか。

 哀れなお母様。お母様は一体、最後に何を望んだのだろう……。


 お母様が何の呪いを施したのかは分からない。ただ、陣に使わていた文字は、お母様の母国の古い言葉だという事だけは分かった。弟妹達はお母様の母国の人間を呼んで見て貰おうと叫んでいたが、私とセルジュ兄様はそれを許さなかった。

 自国の姫が嫁いだ先で、何かを呪いながら命を断った事が知れれば、彼の国との友好関係にヒビが入るだろう。それだけは避けねばならない。彼の国に見限られれば、こんな小国などたちまち干上がってしまう。


 母の死を嘆くよりも、損得を優先させる私を見て、政治の事など露とも関心の無い弟妹達には、私はどれだけ冷たい人間に見えた事だろうか。

 恨むなら恨めばいい。蔑むなら蔑めばいい。

 私は、この瞳のように心まで氷になろうとも、この国を守るのだ。

 お父様が愛し、精霊様が守るこの愛しい国を。



【エビュール暦三百二十年 水月の十日目】


 キツい。お母様が亡くなってからというもの、セルジュ兄様が使いものにならない。いっその事休んでくれればまだ他の人間を使う事もできるのに、無駄に責任感が強いものだから、無理矢理仕事をしようとする。

 でも、心ここに在らずな状態でまともにこなせるはずもなく、その負担が全て私に回ってくるのだ。

 キツい。でも、弱音は吐けない。お父様とお母様の相次ぐ死の上、セルジュ兄様が弱ってる今、私まで安易に弱音を吐けば不安は国中に広まってしまう。


 でも、キツい。苦しい。吐き出してしまいたい。

 それなのに、どうして出て来てくれないの? 私が弱音を吐けるのは、あそこだけなのに。

 本当にどこに行ってしまったの? もう、どこにもいないの?


 精霊様まで、私を置いていってしまうの?

 


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