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15.命のキセキ

 

 人に流れる時間は本当に早くて。

 彼と初めて会った日の事を、今でも鮮明に思い出せる。まだ彼は五歳で、小さくて、可愛くて、ここが楽園なら彼は天使のようだと思った。

 可愛い私の王子様。それがいつの間にか“男”になり、“父親”になり、その子供達ももう大きくなって。そして、今、彼に“死”の気配が近付いて来ている――



 アレンが病に倒れてから、三ヶ月が過ぎた。時間に関心の無い私がどうして明確に分かるのかと言うと、三日に一度、誰かしらが泉の水を汲みに来るようになったからだった。

 泉の水は、下水道の浄化もしかり、色々な美容効果もある事も分かっているので、病気にも効くのではないだろうかとオデットが藁にも縋る思いで、アレンに泉の水を飲ませる事を提案したのだ。


「精霊様、こんにちは。本日も水を戴きに参りました」


『こんにちは、セルジュ。……顔色が良くないわ。あなたも飲んだら?』


 元々苦労が滲み出ていた顔つきが、今は目の下のクマも酷いし頬もこけて、なんとも痛ましい感じになっているセルジュに水を勧めると、幸が薄そうなうっすらとした笑みで感謝された。


『ちゃんと食べてる? 睡眠は? どんなに忙しくても身体が資本なんだから無理しちゃ駄目よ?』


「ありがとうございます。それは分かっているのですが……母上と弟妹達の暴走を抑えつつ、政務をこなさなければならないので……」


 セルジュ曰く。アレンが倒れた日から取り乱しっぱなしの天然素材の家族達が、アレンの部屋に行っては泣きわめき、どこから入手したのか不明な怪しげな薬を飲まそうとしたり、ご利益があるという怪しげな壷を高値で購入しようとしたり、奇声を上げながらおかしな祈祷をし始めたり……とにかく心休まる日が無いのだとか。可哀想に。

 いつもの毛根に優しい薬草と、今日はさらに精力がつく薬草を持たせてから彼を見送ったのだった。


 この国の医療技術はまだまだ未発達で、アレンの病を治す事はできない。病の名すら分からないのだ。しいて言うなら“不治の病”だろうか。そんなものに襲われた家族達が取り乱すのは当たり前の事だろう。

 彼、彼女達には何もできない。ただ、緩やかに、けれど確実に近づいてきている“死”を見ている事しかできない。

 それは、どれほどの苦痛なのだろう。

 人間だった頃は、近しい人間が死ぬという出来事が無かった私には想像すらできない。今も、やはりどこか他人事のように感じるだけ。

 哀しくはない。ただ、どこか、虚しいだけ。




 アレンが倒れてから数ヶ月。一向によくならないアレンに代わり、オデットが新女王の座に就いた。国民から慕われていた前王アレンが倒れたという事に沈んだ空気に包まれていた国は、若く美しい女王を迎えて活気を取り戻したようだった。

 戴冠式の前後はさすがに慌ただしい日々を送っていたオデットだったが、それ以外のやる事はあまり変わらないらしく、しばらくしたらまた定期的にここに顔を出すようになる。

 彼女は相変わらず仕事熱心なようで、私が興味が無い事を知っていても政治の話を熱心にしていた。どうやら今は、彼女が子供の頃に私が施してあげたトリーメントや、泉の水を使った美容グッズを国内外に売り出して一儲けしようと考えているようだ。父親が生死の狭間を彷徨っているというのに、自国の守護精霊を利用してまで儲けようとするなんて実に逞しい事だ。でも、それは決して自分の懐を潤わせるためのものじゃない事は知っている。


 愛するこの国を豊かにするために。

 愛する父が愛したこの国を守るために。


 きっと、近い未来アレンは死んでしまうだろう。けれど、アレンの意志を継いだオデットが生きていく。


 人に流れる時間は早くて。瞬きをしている間に散ってしまう花のように儚いもの。けれど、どうしてこんなに愛おしいのだろう。

 セルジュの翠色の瞳が。

 オレリアのどこまでも真っ直ぐな純粋さが。

 オデットの国を想う心が。

 子供達の柔らかい微笑みが。

 確かに、アレンの生きた証し。


 それは、命の軌跡。


 ただ遺伝子が残るだけだというのに。その遺伝子に、心を乱されるのが煩わしいと思っていたはずなのに。

 温かな命の繋がりが、とても眩しく、愛おしい。それはまるで奇跡のようで、輝きを伴って私の心を揺らめかせる。けれど、一瞬の揺らめきの後にはもう、一つの波も起こらない水面のように静まる。

 煩わしい事なんて何も無い美しい世界。それは、引き換えにとても大切なものを攫っていってしまった気がする。

 ああ、私は、私の心は、どこに行ってしまったのだろう。




 アレンが倒れて、もうすぐ一年になる。

 日々やつれていくセルジュ。ひたむきに生きているオレリア。国のために努力を怠らないオデット。日々成長していく子供達。巡り変化していく日々の中、私だけは何も変わらない。

 ふわふわ、ゆらゆらとこの世界を揺蕩う。哀しい事も、煩わしい事も何も無い、穏やかで、虚しい日々。

 そんな日々の中、私は今日も王家の紋章がついた銀の指輪を月にかざして眺めていた。これを眺めているとアレンが側にいる気がして、どこかへ行ってしまった心が満たされる気がするのだ。

 ――会いたい。

 そんな、叶わない事を想って、すぐにその想いをどこかに追いやる。彼は、もう動ける身体ではないし、意識も無い日が多いらしい。もし病ではなくても、会う事は無い。だって、私が彼を突き放したのだから――


 ――ガサッ。

 何かが草を踏む音が聞こえ、そのすぐ後に、ずざっ、という何かが倒れこむような音がした。それは、大人の男の形をしていた。

 仄かな月明かりは、彼の艶を失い色素が薄くなった茶色い髪を、ぼんやりと浮かび上がらせる。

 ――どうして、ここに……。そう考える間もなく、彼は起き上がろうとして、力が入らずにまた転びそうになったので、私は急いで駆け寄り彼の身体を支えて仰向けに寝かせてあげた。

 青白い月の光は、彼の顔をより蒼白に見せ、刻まれた深い皺が実際の年齢よりも上に見せる。瞼を上げる事さえも苦しげで、ようやく開いた翠色の瞳が私を見つけ、そして――子供の頃と何一つ変わらない笑顔を浮かべた。


「……会い、たかった……ディーナ」


 私を『ディーナ』と呼ぶのはたった一人だけ。

 たった一人。アレンだけ。

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