「真実」と「事実」の混同について。
多くの人々の間で、最も誤用され、使われ続ける言葉「真実」。
「真実を知りたい」
「真実はひとつ」
こういった言葉を見かけると、頭が痛くなる。
真実が、まるで唯一のものであるかのように語る人々は、いったい何を考えているのか?
真実は「Truth」であり、事実は「Fact」である。
Factは、百人いれば、百人が同じ見解となる「事象」。
だが、Truthは「主観」による事象の解釈である。
解釈は「人の数だけ」存在する。
多くの人間は「物事を感情で見る」ので、真実と事実に大した差はないと考える。しかし、真実は「立ち位置」で変わる。真実を持ち出すと、すべては縺れる。
正義も悪も、アングルで逆転する。
それは「主観的評価」に過ぎないからだ。
客観性を欠く解釈のぶつけ合いからは、大した答えも生まれない。
だが、メディアも含め、多くの人々は主観的な解釈で、物事を論じることを好む。
筆者からすれば、こういった人々は粗野にも映るわけだが、彼らからすると、筆者には「情がない」ようにも、映るらしい。
他者を評価するのは、ファクトだけでいい。
「公平性」を期すのであれば。
自らの願望も含め、物事を主観で語り出すと、永遠にこのカオスから抜け出すことは出来ない。
事実を捻じ曲げてまで、「我は正義なり!」と叫ぶやつらと、いったい何を語ればいいのか?
真実とは「それぞれの物語」である。
物語には、常に「甘美な虚構」が含まれる。
正義や悪を口にする人間ほど、この虚構に耽溺する。




