筆者が物語を書くのが不得手な理由には、おそらく「気持ち」の描写があるのだろう
新連載の準備をしているが、なかなか巧くハマらない。
ハマらないというのは、AIによる作品評価のことであるが、どうやっても「情景描写」とキャラの「内面描写」が足りないと判定されてしまう。
これは筆者が書けないというよりも「書かなくても、それくらい分かるだろ?」という感覚(無意識)が強いためだが、AIはそれを許さない。
たとえば、「溜息をついた」という言葉。
筆者的には「この状況で、この条件なら、どういった種類の溜息か、わざわざ説明する必要もないだろう」となるわけだが、文学的には、ここをダラダラネチネチとやるのが王道であるらしい。「雨が降っていた」にしても、どういった雨なのか、それに付帯する感情なども評価されるのだから、たまったものではない。
筆者が、小説をほとんど読まない理由には、おそらく「作中で流れる時間感覚」も関係している。いわゆる、ずっと「ゾーン」に入っているような、ゆっくりと進む景色が、とにかく性に合わない。1秒の出来事は、1秒ないしはそれ以下で。これが筆者の求める時間感覚であるが、物語を書く(いや、描くか)というのは、おそらくこの真逆の作業なのだろう。
こうやって、現在の状況を文章に起こすと、見えてくる部分もある。小説好きというのは、おそらく「感情と感覚」の描写を読むのが好きなのだろうと。筆者は若い頃に、多くの他人の感情に触れ、振り回されてきた人間なので、その反動として、消化済みの感情は「ひとつのオブジェクト」として処理する傾向が強い。オブジェクト化しているので、最小の単語で、その感覚を呼び出せるわけだが、これは「読者との共通認識」ではないことをついつい忘れる。
自分にとっては「消化済み」の感覚を、丁寧に何度も再言語化する作業は、こどもに対する読み聞かせにも似ている。筆者は、そこに対するモチベーションが、どうしても出ないので、やはり小説を書くには、向かない人間ともいえる。―― しかし、抵抗もしてみる。何事も訓練だからね。




