未完成の美
あたしたちは生物実験室を後にして、二階への階段を上っていた。一階からは時々骨野郎の笑い声が、ドップラー効果のように聞こえてくる。てかまだ走ってんのかよ、体力って概念はないのか。
「お次は~2階にある美術室準備室のカキコさん!」
「お、今回は普通に開けたな」
「さっきの見たら少し静かにしようかなと」
どうやらあの骨野郎が反面教師になってくれたらしい。後で骨を拭いてあげよう。
美術準備室は美術室の黒板横の戸からいける。一応廊下から入れる戸はあるが荷物で埋まっているため、実質出入り口は黒板横の戸のみとなっている。
「お邪魔しまーす」
「こんな時間に誰もいないだろ」
「おや?こんな時間にお客さんとは、珍しいこともあるものだ」
誰もいないと思っていた美術準備室に、うちの学校の制服を着た生徒が立っていた。足は透けていないし、結桜にも見えているようなので幽霊ではないようだ。
「すみません、お邪魔してしまいしたか?」
「そんなことはないさ。カキコさんも鑑賞者が増えて嬉しいと思うよ」
「じゃあ、その奥の絵が?」
「ああ。七不思議の一つ、”完成しない絵”さ」
その人が横にずれると、その後ろにどこかの風景を切り取った絵が飾られていた。
暗い室内にその人の所だけ蛍光灯が付いていて、まるでその奥にある絵とその人だけを照らすスポットライトのようだった。
「そういえば先輩は誰なんよ?」
「失礼したね。私は3年生の瀬佐みけだ。美術部の副部長をしている」
「うちはオカ研1年の結桜です。こっちの赤毛ジト目が朔で、黒髪美人が望ちゃんです」
「オカ研ではないんですが、結桜ちゃんと同じクラスの黒鳥望です」
「…………同じく梧桐朔です」
あたしが赤毛ジト目なのは本当のことだがわざわざ言うか?という意味を込めて、結桜を少し睨んだ。アイツは慣れているのでいつものようにヘラヘラしていた。
挨拶が少しだけそっけなくなってしまったのは初対面だとよくあること。直さなくては思うが、小さい頃からの癖というものはなかなか抜けないものだ。
「オカ研か、恒例行事だね。存分に見ていってくれたまえ」
「はーい」
「失礼します」
改めて壁にかかっている絵画を見る。手前に海が描かれていて、奥の方に市場や民家などの建物が並んでいる。一見するとただの港町を描いた風景画のようだが、どこか違和感がある。船の上から描いたにしては視点が低すぎる。水面に反射する建物は見えず、まるで水面ギリギリから建物がある方向を見て描いたような構図。
「なんか、モヤモヤするね」
「うん…………」
「言葉にできないけど、なんかこう、モヤっとする感じ!あーモヤモヤするー!」
望も同じ感覚を覚えたみたいだ。結桜に至っては頭を抱えてしまっている。
そんなあたしたちを瀬佐先輩は楽しそうに見ていた。
「ふふっ、この絵を見たときに皆同じような反応をするんだ。だが、どこか惹きつけられるだろう?」
「そうですね」
確かに何とも言えない魅力がある。そういえばこれは本当に未完成なのだろうか?見たところ欠けているような要素はないように思える。
「あっ」
「どした?」
「先輩から数日前に撮ったこの絵の写真を貰っていたんよ。それと見比べれば、変わっているかどうか分かるんよー」
結桜から先輩からもらった画像を見せてもらった。
うーん、見比べると建物の窓とか空とかが微妙に違うような?そうじゃないような?すごく意地悪な間違い探しをしているみたいだ。
「ここ?」
「ここじゃないか?」
「ここなんよ!」
「…………ああ、これは3日前のものだね。正解はここだよ」
わたし達がうんうん唸っていると、先輩が空と海の端っこ、市場の屋根を指さした。確かに微妙に色合いが違ったり、細部が書き足されているような気がする。
「この写真がなんで3日前って分かるんですか?」
「簡単なことさ。私が毎日写真を撮っているからね」
ほらと先輩は3日前、2日前、昨日の写真を見せてくれた。一見すると同じ絵だがよく見ると少しだけ違う。毎日記録している先輩だからこそ分かる変化だと思う。
「もっと前の写真の方が分かりやすいかな。これは3年前の写真だよ」
「色合いが全然違う…………」
「建物も書き込みが少ないんよ」
3年前に撮ったというものと比べると一目瞭然だった。しかし、その頃からアクリルケースに入っていて壁にぴったりと張り付いているのは変わらなかった。
「瀬佐先輩は何で毎日写真を撮っているんよ?」
「…………琵乃がね、この絵にご執心なんだ。それこそ嫉妬してしまうくらいに」
そう言って笑った瀬佐先輩は、少し寂しそうだった。
「この世に未完成の作品はあれど、その意味は様々だ。あえて未完のまま放置したもの、完成させたかったが未完に終わったもの、そもそも終わっているのかどうかさえ分からないもの。
琵乃はね、ああ琵乃というのは美術部の部長なんだが、完璧なものが好きなんだ。自分の作品でも、他人の作品でもそれは変わらなかった。だが今はどうだろう。毎日変わるこの絵を見て”美しい”と言ったんだ。未完成であることに”美”を見出したんだ」
瀬佐先輩は朗読でもするかのように淡々と話を続けた。
「今までどんな作品を見ても、どんな作品を作っても変わらなかった心をこの絵が変えたんだ。それによって彼女の絵は良くなったし、今までよりも賞を取るようになった」
「それは、いい事では?」
「ああ、喜ばしいことだ」
口ではそう言っても、全然嬉しそうには見えなかった。
「だからこそ、この”完成しない絵”の完成を見たくなった」
「それが、毎日撮り続けている理由ですか?」
「そうだね。最近は、私個人のちょっとした興味でもあるんだ」
悪戯っぽく笑った先輩は、さっきまでの寂しげな様子は微塵もなくなっていた。
「じゃあさじゃあさ!文化祭の時の写真も持ってるんよ!?」
「あ、ああ、持ってはいるが……これは見せられないな」
「何でですかぃ!?」
「今年の文化祭のお楽しみさ」
「本当に今とは違う絵になっているんですか?」
「少なくとも、この風景画ではないよ」
結局違う絵になるということしか教えてもらえず、結桜はさっきまで項垂れていたが今は俄然楽しみになってきたようでまたテンションが上がっていた。とりあえず次の七不思議に行くため、写真を撮って美術室を後にすることにした。
「鍵は私がかけておくから、君たちは探検の続きをするといい」
「ありがとうございます」
「瀬佐先輩も気を付けて帰ってくださいねー」
「色々教えて頂きありがとうございました!」
「ああ、じゃあね」
あたしたちは先輩への挨拶もそこそこに、次の場所へ向かった。
「全く、絵に嫉妬するなんてね…………」
3人が去った美術準備室で独り言ちた。聞いているのは目の前にある未完成の絵だけ。
「君は生きている絵画、ただの七不思議だという人もいるが私はそうは思わない」
冷たいアクリルケースの輪郭をなぞりながら、まるで長年の友人であるかのように語り掛ける。
「君は、ただ絵を描いていたいだけなんじゃないかい?永遠に、完成しないとしても。私のような鑑賞者がいる限り」
絵画は変わらずそこにあり、何も答えてはくれない。
「だが、文化祭の時だけ部員の絵にするのはやめてもらえないか?あれは些か恥ずかしい」
さきほど結桜達に写真を見せなかったのは、そこに描かれていたのが自分を描いている琵乃の絵だったから。
「ふふっ、今日は鑑賞者が多くて私も興が乗ってしゃべりすぎてしまった。君も今宵は筆が乗るだろうから、そろそろお暇するよ」
スケッチブックと筆箱しか入っていないカバンを肩にかけてから、ふと思いったかのように絵の方を振り返る。
「先ほどはああいったが、私も君の絵が好きだよ。ただ、琵乃の心を一時でも奪った君が羨ましかったんだ。気を悪くしたのならすまない。では、また明日、楽しみにしているよ」
それだけ言うと瀬佐は美術準備室を真っ暗にして、戸締りをして帰っていった。
誰もいなくなった美術準備室で、コトッと筆立てに入っていた筆が音を立てた。
おまけ
瀬佐みけ:伏守高校の3年生、美術部副部長。七不思議の一つ、”完成しない絵”を毎日写真に収めている。
獅多琵乃:瀬佐と同じく3年生、美術部部長。
Q.結桜は何で瀬佐が先輩だって分かったの?
「うちは学年ごとにネクタイピンの色が違うんよ。因みにうちらが赤、2年が黄、3年が緑なんよー」
「さくちゃんは結構タイピンちゃんとつけてるね」
「うん。ブレザー羽織ってるときはいいんだけど、それ以外だとネクタイがぶらぶらして落ち着かないから」
「リボンにせんの?」
「やだ」
「何でー?似合うと思うよー?」
「のぞみみたいに可愛い子は似合うだろうけど、あたしはなー」
「朔はあんまりガーリーなのせんもんねー」
「うん。そういや、リボンの人ってタイピンどうしてんの?一応つけるの義務になってるじゃん」
「私は忘れないようにカバンにつけてるよ」
「うちは胸ポケットにつけちょるよー」
「あれ?のぞみネクタイの時もカバンについたままじゃなかった?」
「えっとそれはね、つけるとーその…………」
「「あー」」
豊満ですから。




