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間話1

 夜更け。


 アルトレーン駐屯地の宿舎は、すでに灯が落ちていた。

 廊下の先からかすかに湯沸かし器の唸りが聞こえる。

 その一室――軍用の簡素な机と金属製の寝台だけが置かれた部屋で、

 リヴィアは椅子に腰を下ろし、静かに息を整えた。


 窓の外では、吹雪の名残がまだ街を撫でていた。

 街灯の光が雪面を淡く照らし、ゆらめく。

 魔導計の光だけが、部屋の中で呼吸している。

 解析装置の上には、礼拝堂で回収した波形記録素子。

 青白い光が一定の周期で明滅し、低い音を立てて脈打っていた。

 数式と理論を並べてきた頭の奥で、忘れたはずの音が微かにざわめく。


 「……周期が安定しない。干渉波……旧式の構造に似てる。」


 指先で水晶の表面をなぞる。反応はない。

 ただ、わずかに温度だけが残った。


 理論と感覚のあいだ――その境界を探ることが、彼女の“研究”だった。


 机の端に積まれた資料束が、風に揺れて一枚滑り落ちる。

 拾い上げると、それは古い紙片だった。

 黄ばんだ新聞の切れ端。

 印刷のかすれた文字が、光を受けて浮かび上がる。


 ――共和国歴三年。

 『共和国戦報 第十三号

 〈東方戦線の英雄 ベルネ・クラウス中尉〉


 “混乱する東方前線において、避難民二百余名を護送。

 自ら殿を務め、部下とともに三日間の包囲を耐え抜いた。

  新共和国の理想を体現する若き指揮官――。”


 写真の中のベルネは、二十歳そこそこに見えた。

 軍帽の影に隠れた瞳が、まっすぐにこちらを見ている。

 頬に土の汚れをつけたまま、少しだけ笑っていた。

 背景は瓦礫と煙に覆われた街道、背後には若い兵士たち。

 紙面の中の彼は、戦場の光そのもののように眩しかった。


 「……ずいぶん、昔の人みたい。」


 小さく呟き、指で紙の端をなぞる。

 その“笑顔”に、今のベルネの顔は重ならない。

 “英雄”という言葉には、どこか温度が欠けている気がした。


 彼と初めて顔を合わせた日のことを、ふと思い出す。

 焦げた匂いの漂う現場で、雪の中から歩いてきた中佐。

 目の下には疲労の影があったのに、声は落ち着いていて――


 あの混乱を、ひとりで支えているように見えた。

 記事の青年よりずっと静かな人だった。

 けれど、不思議と誰も逆らえない“温度”があった。


 魔導計の光がわずかに揺れた。

 波形の線が歪み、礼拝堂の崩落が一瞬、脳裏に甦る。

 瓦礫の落ちる音。

 冷たい雪。

 引き寄せられた瞬間の衝撃――肩を包んだ腕の感触。

 血の匂いに、焼けた金属の匂いが混じった。

 あの時、彼の声がすぐ耳のそばで響いた。


 「……あの人の腕は、冷たくなかった。」


 口に出したわけではない。

 思考が言葉にならないまま、空気に溶けただけだった。

 理論では説明できない温度が、今も皮膚の奥に残っている。


 魔導計の波形が、ふっと形を変えた。

 青い光の中に、赤の揺らぎが混ざる。

 それは心臓の鼓動のように、静かに、しかし確かに脈打っていた。


 リヴィアは思わず息を止めた。

 恐る恐る、指先をその光にかざす。


 「……ありえない。こんな安定波、今の理論じゃ――」


 触れた瞬間、装置が低く唸った。

 赤い光が走り、机上の紙束が風に震えた。

 魔力の響きが空気を満たす。

 それは懐かしい旋律のようで、どこか祈りにも似ていた。


 彼女の瞳が細く揺れた。

 理論よりも早く、記憶が反応する。

 夜更け、遠くの部屋で誰かが回していた機構の音。

 幼いころに聞いた、金属と光の呼吸。


 「……この共鳴式……誰が――」


 言葉が途中で止まる。

 喉が乾き、胸が痛む。

 確かめたくないのに、心の奥が“知っている”。

 彼女はゆっくりと手を離した。

 赤の波が青に飲まれて、静かに消える。


 沈黙。


 雪が窓を打つ音だけが、戻ってきた。


 「……まさか、ね。」


 小さく笑おうとして、声にはならなかった。

 掌を見ると、わずかに震えている。

 リヴィアはノートを閉じ、魔導計の光を落とした。

 部屋の中に闇が満ちる。

 ただ、机の上に残った記録素子だけが――

 淡い赤を残したまま、ゆっくりと消えていった。

初めて予約投稿使いました。

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