第8話 灰の報告
礼拝堂の崩落から三日。
吹雪はようやく止み、街には沈黙だけが戻っていた。
医務室の窓の外では、雪がまだ降っていた。
白い息が灯の下で淡く揺れ、消える。
ベルネは右肩を固定されたまま、報告書をめくっていた。
指先の感覚は鈍く、紙をめくるたびに骨の奥で鈍い痛みが走る。
「……無茶をしましたね、中佐。」
扉を開けて入ってきたアーロンが、書類束を抱えて立っていた。
いつも通りの無表情だが、その声音はどこか呆れを含んでいる。
「まだ動けるさ。」
ベルネは乾いた笑いを漏らし、紙を伏せた。
「お若いでしょう。」
「若い頃は、このくらいの傷なら笑ってた。……今は、痛みのほうが現実的だ。」
「二十八でそんなこと言わないでください。」
「もう“若さ”を言い訳にできる歳じゃない。」
アーロンが小さく息を吐いた。
窓の外の雪は音もなく積もり、白が夜を覆い隠していく。
「礼拝堂の件、市警は“自然崩落”で片づけたいようです。」
「予想通りだな。……ヘルマン少将の意向か?」
「いえ。どうも、首都から監察官が来るそうで。」
「監察官……ああ、そういう手か。」
ベルネは目を細め、深く息を吐いた。
静寂の中で、外の雪音だけが続いていた。
――翌朝。
石造りの会議室は、薪の燃えない暖炉と冷えた空気で満たされていた。
窓の外では雪が舞い、灰色の光が机上の報告書に淡く反射している。
「――以上が市警の見解です。崩落は自然災害によるものと……」
市警代表の声が、重苦しく響く。
その横で、ヘルマン少将が穏やかにうなずいた。
白髪まじりの髪を整え、背筋をまっすぐにしたその姿。
七十に届く老兵――笑えば誰もが安心するような顔。
だが、その目の奥だけは眠っていなかった。
「なるほど、よくまとめられておる。」
わざと一拍置き、指先で報告書を軽く叩く。
「だが、“自然”という言葉ほど便利な盾はない。……監察官殿の見解を伺おうか。」
黒い外套をまとった男――共和国監察局のヴィオール・ラングレが、報告書を指先で閉じた。
その横顔は整っているのに、どこか削ぎ落とされたような印象を残す。
灰色の瞳は冷静そのものだが、光を受けるたび、わずかに戦場の火を思わせる色が混じった。
「ですが、この波形。整いすぎています。偶発的な暴走では説明できません。」
そのとき、扉が静かに開く。
兵士の敬礼のあと、ベルネが入ってきた。
右肩にはまだ固定具が入っている。
だが、上着の下にきっちりと隠し、歩調を乱さぬよう慎重に足を運ぶ。
痛みを悟らせまいとするように、顎をわずかに上げていた。
軍人としての所作だけは、痛みよりも優先する――そんな歩き方だった。
「遅れて申し訳ありません。呼び出しの報告を受けておらず……。医務室で報告書を確認していました。」
「いやいや、中佐も怪我人だからな。」
ヘルマンが人の良さそうな笑みを浮かべ、手を振った。
「無茶はせんでいい。座りなさい。」
ベルネは軽く敬礼し、わずかに口を歪める。
「報告経路が凍ってたようで。」
一瞬、室内の空気が止まる。
だがヘルマンがすぐに笑い声を上げた。
「はっは、それは困ったな。
この街では、報告より吹雪のほうが早いものでな。」
その声に、場の緊張がわずかに緩んだ。
ベルネも肩をすくめ、静かに席についた。
「さて――監察官殿、続きを。」
ヘルマンが手で促し、会議は再び動き出した。
「現場指揮官の意見を伺いたい。」
ヴィオールが振り向き、静かに問う。
「……吹雪の中での測定です。波形が乱れても不思議じゃない。」
「なるほど。」
ヴィオールは淡々と頷いた。
「あなたの現場感覚は信頼しています、中佐。
ただ――共和国は“記録”で動く国ですから。」
場が一瞬だけ静まる。
ヘルマンが、口の端をわずかに上げた。
「記録も現場も、どちらも雪に埋もれる前に掘り出してやらねばな。」
柔らかな声。
だが、その言葉の底には、まだ火の残るような響きがあった。
その一言に、市警の代表までもが苦笑し、
会議の空気はようやく和らいだ。
そのまま形式的な報告へ流れ、会議は締めくくられた。
解散の声がかかる。
椅子の音が散る中、ヴィオールが立ち上がり、
ベルネの前で立ち止まった。
「……久しぶりですね、中佐。」
ベルネが目を上げる。
「三年ぶりか。軍の式典のあとだったな。」
「ええ。あの祝賀会では、あなたは少し酔っておられた。」
「覚えてたか。あれは悪酔いだった。」
ベルネはわずかに笑い、息を吐く。
「……ヴィオール、あいつは元気か。」
「ヴァルク少将なら。お変わりありません。
先日、議会での演説も見事でした。」
「そうか。」
ベルネの口元が、わずかに緩む。
```
「奴が笑ってるなら、この国もまだ保ってるな。」
```
「ええ。」
ヴィオールの声は穏やかだったが、どこか信仰にも似た響きを帯びていた。
会議室を出ると、冷気が一気に肌を刺した。
廊下にはリヴィアが立っていた。
資料の束を抱えたまま、彼女は軽く会釈する。
「さっきの監察官……知っているんですか。」
「昔、同じ戦場にいた。
あいつは“正義”を信じてる。……俺よりずっとな。」
「筋の通った人、ですか。」
「筋の通りすぎる人間だ。」
ベルネが小さく笑う。
リヴィアもそれにつられて、わずかに口角を上げた。
「礼拝堂の解析、進んでるか。」
「……ええ。ただ、少し時間がかかりそうです。」
「そうか。」
雪が窓を叩き、音が遠のく。
沈黙の中、ベルネがふと呟く。
「若いのに、妙に冷静だな。」
「そう見えますか。」
「見えるさ。」
「……たぶん、それは“そう見せたい”だけです。」
ベルネは何も言わず、軽く頷いた。
互いに背を向けて歩き出す。
足音が雪に吸い込まれ、灯の下に残るのは白い息だけだった。
夜。
執務机の上に、ひとつの封書が置かれていた。
赤い封蝋には、デュラン将軍の印章。
ベルネは小さくため息をつき、封を切る。
灯が揺れ、窓の外で雪が再び降り始めた。
「……先生の厄介ごとが、また来たか。」
紙を広げる音が、静かな部屋に溶けた。
その目には、疲れよりもわずかな興味が宿っていた。
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