第13話 灰の封鎖線の下で
朝の冷気がまだ建物の隙間に残り、廊下には白い息がかすかに漂っていた。
軍務管理官班の集合室。
整列した班の前で、リヴィアはひときわ静かに立っていた。
灰青のマントの裾には、外から入ってきたばかりの粉雪がわずかに残り、
薄紅のスカーフは室内の暖気にふわりと沈んでいく。
指先の小さな震えに、彼女自身はまだ気づいていないようだった。
ベルネが前へ出て、淡々と告げる。
「――今日からセルヴァ中尉が軍務管理官班に加わる。正式命令だ。歓迎する。」
リヴィアは緊張を押し隠すように一礼した。
「至らないところもありますが……よろしくお願いします。」
ノエルがぱっと顔を明るくした。
「あ、中尉……! 先日は本当にありがとうございました!」
驚きよりも“嬉しさ”が先に出ている声だった。
ミラもわずかに目を細め、柔らかな微笑を浮かべる。
「今日から同じ班なら心強いですね、中尉。」
二人からの自然な歓迎に、リヴィアの肩の力がわずかに抜け、柔らかい笑みが浮かんだ。
緊張で固まっていた気配が、ほんの一拍だけ和らぐ。
……こういう顔もするんだな。
ぎこちない敬礼の時より、よほど年相応に見える。
“普通の若者”らしい表情だと、ベルネは思った。
それと同時にベルネは一瞬だけ、内心で眉をひそめた。
(……いつの間に仲良くなったんだ、この三人は。挨拶したばかりのはずだが。)
違和感は胸の奥に沈め、表情には出さなかった。
リヴィアはふと周囲を見渡し、首を傾げた。
「……軍務管理官班は、私を含めて五名だけなのですか?」
ベルネが淡々と答える。
「本来は八名だ。
だが、二名は“中央からの要請”で別地域に臨時派遣されている。
一名は長期休職中だ。」
アーロンが静かに補足する。
「いずれ戻る予定ですが……今は“動ける人間”だけが現場に残っています。」
「必要があれば、他の部隊から応援を借りる。
――いつものことだ。」
リヴィアは小さく息を飲み、静かに頷いた。
「……なるほど。皆さんが落ち着いている理由が、少し分かりました。」
ミラが気づかれない程度に柔らかく笑った。
「人手が多くても少なくても、やることは変わりませんから。」
リヴィアは小さくうなずいた。
その言葉の“温度”を測るように。
ベルネは班へ短く告げる。
「監察局の封鎖線が広がった。正面からは動きづらい。
――だから、今の俺たちの仕事は“表向きの用事”を使って街を歩くことだ。」
続けて淡々と説明を重ねる。
「名目は物資確認。
監察局の査察で補給路が乱れたせいで、倉庫や工房、商店の在庫を洗い直す――そういう建前だ。」
ベルネは手袋の指先を軽く整えながら言った。
「だが、本当に必要なのは別だ。
封鎖線の外に残っている“声”を拾うこと。
監察局にかき消される前にな。」
ノエルとミラがうなずき、リヴィアも少し遅れて頷いた。
細い赤い瞳には、不安と決意が入り混じっていた。
こうして軍務管理官班の調査は始まった。
数日後。
雪は降ったり止んだりを繰り返し、街の空気は重くなりつつあった。
軍務管理官班は“物資確認”を名目に市内を巡回していた。
ベルネは倉庫の帳簿を確認し、アーロンは在庫を実地に数えていく。
ノエルは商店主から聞き取りを行い、
リヴィアは控えめに後ろで補助しながら、周囲の声と空気を観察していた。
工房街の封鎖線は白い縄のように街を分断し、人々の足取りは不自然に遅い。
市民の視線はどこか落ち着かず、雪の中でざわつきが消えない。
「……中央の人間なんて、こんな時期に来るもんじゃない」
「雪灯の準備もぜんぜん進まない……」
「来週には始まるのに、どうするんだよ……」
その声を聞き、リヴィアはゆっくりと周囲を見渡した。
工房の軒先には色紙や飾り紐が束のまま放置され、
本来なら街路に並ぶはずの吊り灯りの枠が、雪をかぶって積まれていた。
“何かを作ろうとして、途中で止まった跡”だけが、町中に散らばっている。
子どもたちでさえ、雪に絵を描く代わりに監察局の制服を遠巻きに眺めていた。
「……“雪灯”とは……どんな祭なのですか。」
リヴィアはそう言って、目だけで街の沈黙を示した。
ノエルははっとして、少し照れたように笑った。
「あ、そうでしたね。中尉はこの街のご出身じゃありませんでした。
雪灯の祭――“雪の精霊が最初に降りた日”を祝う、アルトレーン最大の行事です。
家々に灯りを飾って、精霊に道を示すんですよ。……ほんとは、もっと賑やかなはずなんです。」
その“ほんとは”の一言に、今の静けさとの差がにじんでいた。
リヴィアは素直に頷き、静かに言った。
「名前だけは知っています。でも……ここまで大規模とは。」
瞬間、ノエルは説明に熱が入りすぎていたことに気づき、
耳の先がほんのり赤く染まった。背筋を慌てて伸ばす。
リヴィアは小さく笑った。
夕刻。
物資調査を一通り終え、帳簿と在庫の確認に区切りがついたところで、
ベルネが立ち止まり、短く告げた。
「……今日はこのくらいでいい。戻るぞ。」
全員が静かにうなずいた。
風が強まり、雪が斜めに流れる。
街の灯が背後で揺れ、そのまますっと遠ざかっていく。
駐屯地の門をくぐり、建物の扉を押し開けた。
廊下は、外とは違う冷たさで満ちている。
無言のまま奥へと進む。
執務棟の奥、軍務管理官班の部屋には――
昨夜、「少し動いてきます」と言って別行動に出ていたミラが、机の前に静かに立っていた。
ベルネが軽く眉を上げる。
「戻ってたのか、ミラ。」
ミラは淡々と紙束を差し出した。
「ええ。“収穫”が少しありましたので。」
アーロンが短く問う。
「収穫?」
「市警に友達がいまして。昨夜、軽く飲んだだけですが……少し話が出ました。」
紙束には酒の香りが微かに残り、端は湿って皺になっている。
裏面には、さりげなく酒場の伝票が貼られていた。
リヴィアは無邪気に首を傾げる。
「市警に友達……ミラ曹長って、とても社交的なんですね。」
ミラは口元で小さく笑った。
「意外に思われがちですが、話すのは嫌いじゃありません。」
ノエルも素直に頷いた。
「ほんと、すごいです曹長。」
ベルネは紙束を受け取り、素早く目を通した。
「で、何を拾った?」
ミラは淡々と並べる。
「市警倉庫から旧式刻印の部品が紛失。
巡査一名が突然“休暇扱い”。
――以上です。証拠はありませんが、複数からの情報で裏は取れてます。」
ベルネの声は淡々としていた。
「雑談にしては、十分だ。」
ミラは肩をすくめて笑う。
「聞き上手だと言われますので。」
アーロンが小声で呟く。
「曹長……飲み過ぎでは。」
「大丈夫ですよ。向こうのほうが先に眠りました。」
ノエルは感心し、リヴィアは意味が分からず首を傾げ、
ベルネだけが短くため息を吐いた。
ミラは何事もなかったように締める。
「また必要なら、“お茶”でもしながら拾ってきますね。」
ノエルが「お茶……?」と疑わしげに呟き、
班の緊張が少しほどけた。
そのとき、街全体に大鐘の試し打ちが響いた。
――ゴーン……ゴーン……
空気が震え、粉雪がはらりと舞い落ちる。
リヴィアは顔を上げ、静かに呟いた。
「……教会の鐘ですね。」
ベルネは、封鎖線、市警の萎縮、止まった工房街、
そして祭りを前に沈黙する街全体を思い浮かべていた。
アーロンが言う。
「……今、何か考えてますね。」
ベルネは短く息を吐いた。
「いや――まだできる。」
鐘の余韻を聞きながら、静かに言う。
「……雪灯の祭だ。」
その瞬間、リヴィアがわずかに首を傾けた。
窓の外の粉雪を映す赤い瞳は、不思議そうに細く揺れていた。
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