第11話 灰の影は記す
雪の夜だった。
駐屯地本部の監察官室の窓には、薄い氷膜が静かに広がっていた。
机上には三つの灯。文書の影が重なり、灰の闇がゆらめく。
ヴィオール・ラングレは椅子に腰を下ろし、一度だけ静かに息を整えた。
前には、礼拝堂崩落の記録素子。青白い残光が脈打ち、書類の縁をかすかに照らしている。
「……さて。書こう。」
灰色の瞳が紙面へ落ち、銀のペン先が乾いた音を刻み始めた。
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監察報告書
件名:アルトレーン北方区・サンク・ノエル礼拝堂における魔導炉崩落事故について
提出先:共和国監察局・中央本部
提出者:監察官 ヴィオール・ラングレ
共和国歴10年・第三期・雪月二十三日
1.事故概要
本月十九日深夜、アルトレーン北方区・旧王国遺構サンク・ノエル礼拝堂において、封印炉の局所的再起動とみられる現象が発生。続いて天井・壁面の一部が崩落した。
現場到着者は、アルトレーン駐屯地・軍務管理官ベルネ中佐、副官アーロン大尉、技術顧問セルヴァ中尉、ほか随伴兵数名。
負傷者:ベルネ中佐(右肩損傷)。死者:なし。
現場調査により、炉の再封印とみられる痕跡が確認されたが、封印操作を行った者は現在不明。
2.市警の対応について
市警は当初より“自然崩落”を強調した。地方ではよくあることだ。騒ぎを広げたくない、面倒を避けたい――それは理解できる。
だが今回は、判断が早すぎた。
巡査長が“修理業者の男”の記録を破棄しようとした動き。その背後には、外部の意志がある。
市警は悪意ではなく、“押さえつけられている”。
――市警判断は拙速。
――外部圧力の可能性あり。
――情報隠蔽の意図、一部に認められる。
――当面、信用保留。
3.ヘルマン少将について
駐屯地司令ヘルマン・フォン・ヘルマー少将。革命前からの生粋の軍人。
革命期は中立を貫き、どちらにも与しなかった“古い軍人”だ。
能力は高く、実直。だが政治色が薄く、革命政府からは“扱いにくい”と見なされ、国境監視や辺境駐屯に回されてきた。
今日の会議での柔らかな笑み――
あれは“知っている者”の笑みである。
――事実認定には距離を置く姿勢。
――旧王国の事案に対して慎重すぎる反応。
――何かを“見過ごす”合理性。
老将が守ろうとしているものは何か。少なくとも、真実そのものではない。
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ペンがそこで止まる。
灯の震えとともに、ヴィオールの胸奥に戦場の雪煙が甦る。
東方戦線。
夜明け前の防衛線で、若い中尉だった自分の隣に立っていた男。
凍える風の中でも消えなかった、あの瞳の光。
――戦況よりも“人”を見ていた眼だ。
忘れられるはずがない。
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4.ベルネ・クラウス中佐について
以下、ベルネ中佐の経歴を記す。
・東方戦線退避戦
避難民二百余名を護送し、三日間の包囲を突破した。だがこれは功績の一部にすぎない。
革命後、共和国は周辺諸国の革命波及を恐れ、一部勢力から長期に侵攻を受けた。
ベルネ中佐はこの“東方戦争”の初期から終盤まで、一貫して前線の要だった。
・補給線死守作戦の指揮
・住民退避作戦の複数成功
・夜間斥候で重要情報を持ち帰った実績
・防衛線突破時の即応指揮と兵の生還率の高さ
中央でも高く評価されていた。
本来なら同期のヴァルク少将と並び、中央参謀室にいるべき人材だった。
しかし戦争終結後、
「軍務整理」「調整任務」の名目で前線から外され、そのまま出世街道から降りる形になった。
理由は明確である。
ベルネは革命政府の政治に失望していた。派閥闘争にも功績の売り込みにも興味を示さず、静かに距離を置いた。
結果――雪の街アルトレーンにいた。
――現場判断は優秀。
――虚偽の意図なし。ただし“異常を抱え込む”傾向。
――事件との直接関与は低い。ただし、隠し持つ情報の可能性は否定できない。
(……彼はここにいるべき人間ではない。)
5.セルヴァ・リヴィア中尉について
提出波形に“数秒の欠落”があった。
誤作動とも乱れとも解釈できる。
だが旧王国式封印理論との高度な適合を示す揺らぎが、欠落部分の直前直後で観測された。
・学院成績は優秀、閲覧歴あり
・封印炉研究に一定の理解
・“青に赤が混ざる波形”は極めて希少
・欠落は意図的とは断定できないが、“無意識の介入”の可能性あり
――事件への直接関与は確認できず。
――ただしリスク因子として継続観察を推奨。
6.総括
本件は偶発事故とは断定できず、市警・駐屯軍とも把握に欠落が多い。
再封印痕の存在から、現場に第三者がいた可能性は高い。
今後も監察局主導で調査を続行する。
署名:
共和国監察局 第一次調査班
班長 ヴィオール・ラングレ
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灯が揺れた。報告書を閉じながら、ヴィオールは窓の白を見て呟く。
「……ベルネ中佐。どうして、こんな辺境にいる?」
雪が淡く光を揺らす。
「ヴァルク少将が隣に欲しがった男が……なぜ雪の街で傷を抱えている。」
そして最後に、リヴィアへ向けるように低く呟いた。
「セルヴァ中尉。あなたの“欠落”は――何のためだ?」
灯が落ち、雪の音だけが残った。
扉が閉まり、報告書は提出された。
――灰の影は、確かに記された。
そしてこれは、誰にも止められない“深層への道”の始まりだった。




