第1話 雪の街の元英雄
「――英雄ってのは、都合がいい時だけ呼ばれる肩書きだ。」
ベルネ・クラウスは、机の引き出しをあさりながらぼやいた。
どこかにあるはずの印章を探して、もう三十分。
出てくるのは古い命令書と、かつて使っていた魔導銃の手入れ道具ばかりだ。
窓の外では、雪が静かに降っていた。
この街に着いたのは三ヶ月前のことだ。
その頃は、まだ通りに子どもの笑い声があった。
パン屋の女が陽気に呼び込みをして、兵たちが汗を流して訓練していた。
けれど今は違う。
吹きすさぶ風が街をかき消し、広場の像も雪に埋もれている。
アルトレーン――共和国の北端、冬に閉ざされた街。
王政の残した鉱脈と、忘れられた人々の吹きだまり。
そしてそこに、ベルネは“左遷”されてきた。
引き出しの底に、やっと探していた印章を見つける。
古びた革の柄、欠けた印面。
それは、彼がまだ“英雄”と呼ばれていた頃に支給されたものだった。
今では報告書に押すくらいの価値しかない。
「……まったく、立派な肩書きだよ。」
苦く笑い、印章を机に放る。
その瞬間、廊下の向こうから駆け足の音がした。
扉が開き、若い兵が息を切らして叫ぶ。
「中佐! また魔導炉の暴走です!」
――雪の街で、ようやく静寂が破られた。
しばらくのあいだ、風と兵の足音だけが部屋を満たしていた。
ベルネは顔を上げた。
書類の山から視線を離すのは、これで今日三度目だった。
この街では、静けさすらも仕事の妨げになる。
「……またか。」
低く呟くと、椅子の背にもたれたまま軽く頭を押さえる。
魔導炉の暴走は、今月で五件目だ。
どれも原因不明。報告書には「偶発的な魔力干渉」と書かれているが、偶然にしては多すぎる。
扉の前で待つ若い兵――ノエルが、不安げに敬礼した。
まだ二十そこそこ。頬の赤みが寒さというより、緊張の証のように見える。
「場所は?」
「旧市街の工房地区です。民間の魔導炉が、突然爆発を……」
「負傷者は?」
「二名。幸い、死者は出ていません。」
ベルネはゆっくりと立ち上がる。
無精髭に手をやりながら、外套を肩に掛けた。
その動作を見て、ノエルの表情がわずかに安堵に変わる。
「アーロンは?」
「すでに現場へ向かっています。」
「なら、俺たちも行くか。」
ベルネは机の上に残っていた冷めたコーヒーを一口だけ飲み、苦味に顔をしかめた。
そのまま窓の外へ目をやる。
降りしきる雪の向こうに、街の塔の影がぼんやりと霞んで見えた。
――この街に来て三ヶ月。
彼はいまだに、ここで自分が何を見つけるべきなのかを掴めずにいた。
命令は「北方駐屯地の軍事調整」。
だが、本当の目的は誰も教えてはくれない。
「……さて、今度の“偶然”はどんな顔をしてるか。」
呟いて外へ出ると、雪はさらに強くなっていた。
街を覆う白の帳の向こうで、何かが静かに軋む音がした。
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