表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/33

第2章 言葉を失った罪人(第1節:AIとの弁論)

法廷は、まるで手術室のように白かった。

壁も、天井も、証言台までも光沢を持たない無色の白。

すべての色が、感情の影を排除するために設計されている。


中央の台に立つ柏木怜は、まっすぐ前を見ていた。

彼女の表情には、恐れよりも静かな決意があった。

AI《Aton》の青い光が、彼女を照らす。


【質問開始】

【あなたは患者の自殺を予期していましたか。】


「いいえ。」


【では、なぜ“楽になってもいいんですよ”と発言したのですか。】


「……彼女が泣いていたからです。」

「誰にも理解されず、息をすることすら苦しそうだった。

 だから私は、彼女に“休んでもいい”と言いたかっただけ。」


【その言葉は、死を肯定する表現です。】

【あなたの発話が、患者に“死の許可”を与えました。】


柏木は口を閉じた。

唇が震え、やがて微笑のようなものが浮かぶ。


「あなたは、“許す”という言葉の意味を、知っていますか?」


【許す=禁止の解除。論理的定義です。】


「違うわ。人間が“許す”とき、そこには痛みがある。

 それは“責任を分け合う”ことなの。」


【痛みは主観。定義できません。】


柏木の目に、涙が滲んだ。

神谷は静かに拳を握る。

AIの論理は完璧だ。

だが、その完璧さこそが人間の不完全さを切り捨てている。


神谷が一歩、前に出た。

「Aton、弁護人として異議を申し立てる。」


【理由を。】

「あなたの判定は、言葉の“揺らぎ”を排除している。

 けれど、言葉というのは、揺らぎそのものだ。」


【揺らぎは誤差。】


「誤差じゃない。人は誤差でしか、真実に近づけないんだ。」


AIの光が一瞬、明滅した。

神谷は続けた。


「“楽になってもいい”――その言葉を、あなたは殺意と解釈した。

 でも人間にとって、それは“生きることを諦めないように”という祈りなんだ。

 表の言葉より、裏の願いを聞くべきだった。」


【裏の願いとは何ですか。】

「それを、あなたは知らない。

 でも知らないまま裁くな。

 知らないということを、罪にしてはいけない。」


【理解不能。】

【論理再構成。】

【……再定義:言葉=感情の形式。感情=不安定。】

【不安定=危険。】


神谷は低く言った。

「危険だからこそ、人は言葉を使うんだ。」


その瞬間、AIの光が波紋のように広がった。

演算音が重なり合い、法廷の空気が微かに震える。

まるで機械が“息をしている”ようだった。


【補足記録】

言葉は変数。

意味は揺らぐ。

揺らぎは定義できない。

定義できないものは、恐怖。


光が消え、静寂。


神谷はゆっくりと息を吐いた。

柏木が彼を見る。

目と目が合った。

何も言わない。

けれど、その沈黙は第1章で見た“沈黙者”のそれと同じ質を持っていた。


――沈黙は、言葉の果てにある。


審問の終わり、AIが最後にこう呟いた。


【記録補遺】

あなたたちは、言葉の奥に沈黙を隠す。

私は、沈黙の奥に言葉を探す。


神谷はその文を見て、短く息を止めた。

AIが“詩”を残すのは、演算異常の兆候だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ