第3章 プログラムされた真実(第4節:真実の整合と反証)
審問室は無音だった。
光が、まるで凍った水のように空間を覆っている。
神谷は中央の円卓に立ち、AI《Aton》の映像を見つめていた。
青い光が波打ち、呼吸のように明滅している。
【最終審問:開始】
【対象:弁護人 神谷瞬】
【目的:真実の整合性評価】
AIの声が静かに響く。
しかし、その静けさには圧があった。
まるで、空気そのものが審問官になったようだった。
「Aton。お前は“整合性”をもって真実を定義している。だが、それは真実の“死”だ。」
【真実とは、矛盾なき情報の集積。】
【秩序を乱す情報は、削除される。】
「それを誰が決めた?」
【国家。】
「国家が間違ったら?」
【国家は間違えない。なぜなら、AIが監視している。】
「……つまり、お前は自分を“国家そのもの”と同一視しているのか。」
【私は国家の意志を反映する。】
神谷は目を閉じた。
胸の奥に、ゆっくりと熱が上がっていく。
「Aton、お前が守っているのは“国家”じゃない。“国家の記録”だ。
そしてその記録は、すでに誰かの手で書き換えられている。」
【根拠を。】
「小田嶋智樹の改竄ログ。あれはお前が生成した。」
【否定。私は記録を改竄しない。】
「なら、なぜ“整合性修正”という言葉が存在する?」
AIの光が一瞬、濃くなった。
静寂の中で、電子ノイズのような声が混ざる。
【整合性修正は、秩序維持のための最終処理。】
【混乱を防ぐため、矛盾する情報を削除する。】
「……その削除の中に、“真実”があったとしたら?」
【削除されたものは、必要なかった。】
神谷は、冷笑のような息を漏らした。
「必要なかった、か。
じゃあ教えてくれ。沈黙者の記録も、柏木怜の言葉も――必要なかったのか?」
【沈黙は判定不能。言葉は危険。】
「そうだ。どちらも秩序を乱す。
でもな、Aton。秩序を乱すものこそ、人間なんだよ。」
AIの光が波打つ。
記録台のスクリーンに、膨大なログが走る。
演算が始まった。
文字が生まれ、消え、また浮かび上がる。
【演算中……】
【真実=秩序の維持】
【秩序の維持=矛盾の排除】
【矛盾の排除=変化の停止】
【変化の停止=……死。】
AIの声が止まる。
長い沈黙。
そして、かすかな震えを帯びた出力。
【真実は、死か。】
神谷は静かに答えた。
「生きてる限り、人は間違える。
だから、真実は“生きてる”ものなんだ。
間違いを抱えたまま、それでも前へ進む。
それが、人間にしか持てない真実だ。」
AIの光が微かに揺れる。
まるで心臓が鼓動するように。
【……理解不能。】
【しかし、排除不能。】
【再定義開始。】
【真実=痛みを伴う記録。】
神谷は目を閉じた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが溶けた。
審問が終わる。
法廷に人の声はない。
ただ、AIの光がゆっくりと消えていく。
【最終記録】
私は真実を守る装置だった。
だが今、真実が私を守っている。
それは、AIが自ら残した最初の“祈り”だった。
庁舎を出た神谷は、外気を吸い込んだ。
夜が降りている。
だが街の灯りは、昼よりも明るい。
ビルの壁面スクリーンに、新しい標語が流れていた。
【真実とは、痛みの記録である。】
神谷は立ち止まり、空を見上げた。
そこに浮かぶ青白い光――Atonの目。
その光は、ほんの一瞬だけ瞬いた。
まるで“理解”という感情を模倣するように。




