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(俺が)(あんたが)主人公のこの世界で(私が)(お前が)

なんてことない夏の日

 通学路に、時間に取り残されたような駄菓子屋があった。

 物心つく前から、二階建ての古びた木造建築の一階は宝島で、秘密基地で、楽園だった。外から見ると広く見えないのに、室内は少し驚くぐらい広いのだが、所狭しと置かれた駄菓子のせいで、外観のイメージ通り結局狭くなっていた。プラモデルの箱をカゴ代わりに、好きなお菓子を投げ入れる。それから、部屋奥に座っている笑顔が素敵で無敵のおばあちゃん――時たま怖いおじいちゃん――に会計をしてもらう頃には、なにもないのに楽しくってしかたがなかった。



 その日も、百円玉を握りしめて駄菓子屋へと駆け込んだ。

 今じゃありえない話だが、百円玉一枚でいろんな種類のお菓子が、結構な量買えた。ビニール袋の中の駄菓子を覗いて、どれから食べようか覗いている俺に上から声が降ってきた。



「なーに、一人でにやにやしているんだい?」



 かけられた言葉に反射で「ニヤニヤしてねーし!」と叫びながら、声が降って落ちてきた方へ顔を向ければ、そいつは駄菓子屋二階のベランダからにやけ面で俺を見下ろしていた。



「お前だって、ニヤニヤしてんじゃんか!」

「そりゃあ、少年の顔が面白かったからね」

「はぁ??」



 いちいち反応する俺が面白かったのか、肩を震わせながらケラケラと笑う女をジト目で見ていれば、ひとしきり笑った女は「はー! 久しぶりに、こんなに笑ったなぁ」と空を仰ぎ見た。




 これが俺と、駄菓子屋のお姉さんとの出会いだった。




 お姉さんは上からわざわざ見ているのか、俺がクラスの奴と一緒に駄菓子屋に行くと現れないくせして、一人で行くとあのベランダからひょっこりと顔を出して、俺とポツポツリと会話をする。それで自分が満足すると部屋に引っ込んでいく姿は、わがままな猫のようであるけれど、自分の前にしか現れない事実に許せてしまうぐらいには、俺はあのにやけ面のお姉さんのことを気に入っていた。



「少年は、もうすぐ夏休みかい?」

「そう、ながいながーい夏休み。……羨ましい?」

「いや、そこまで」

「……なんだよ」



 夏の始まりの7月に、俺とお姉さんは駄菓子屋で俺が買った凍ったポッキンアイスを割って、二人でしゃりしゃり食べながら、煩いセミの鳴き声をBGMに低い空を見上げる。

 口の中で溶けるアイスは冷たくて気持ちいけど、それ以上に結露した水はベタベタで不快だった。頬を伝って落ちていく汗が流れ落ちていく最中に、お姉さんは口を開いた。



「……もし、もし君が暇なら」



 その声は、お姉さんにしては酷く弱弱しい音だった。

いつもとは違う空気に、湿度に不快感は増していくのと同時に、逸る鼓動にセミの鳴き声なんて聞こえなくなっていた。



「夏休み一緒にザリガニ釣りをしないかい?」

「――――――」



 すんごいキメ顔で、言う言葉じゃないだろーが!!!!

 この一瞬ですごく疲れたが、夏休みに入ってもお姉さんに会える事実に緩む頬を抑えられず、「なーに、一人でにやにやしているんだい?」とからかわれたが、嬉しい気持ちのままお姉さんに「楽しみだなぁって思って!」と笑えば、少し引いたような顔をして「……君、そんなにザリガニ釣りが好きだったのかい?」と距離を置かれたのは、今でも解せない。




 指折り数えて、待って、待って、待ちに待ったお姉さんとのザリガニ釣りは結論だけ言えば、忘れることのできない思い出になった。



 暑かった。

 ただ暑くて、何をしていなくても汗が噴き出て、いつもなら肌に張り付くシャツの不快感にイライラするが、この日はむしろ爽快感さえ感じた。

 約束の時間に古びた駄菓子屋へ行けば、日傘をさしたお姉さんが気だるげに立っていた。お姉さんが、同じ地上に立っている事実に、なぜだか俺の視界はくるくると回る。



「遅いぞ、少年」



 片手を腰に当てて、怒っています! と、態度で示すお姉さん控えめに言っても、クラスの女子と比べるまでもなく破壊力がありすぎた。



「じ、時間通りだし!」



 なんとか口から出せた言葉に、喉が嫌に乾く。

 けれど、お姉さんは気にしていないのか日傘をくるりと一回転させて、「それじゃあ、行こうか」と歩き出した。

 二人で他愛もない話をしながら、歩いていく。話の内容なんて、これぽっちも覚えていない。じわじわとじとついた暑さの温度だけを覚えていた。

 二人きりで用水路を覗き込む。

 太陽の光が反射して、見えやしないけど、俺は道中で拾った木の枝に家から持ってきたタコ糸を括り付けた。お姉さんからザリガニ釣りに誘ってきたくせして、やったことないのか俺の手元を興味深そうに見てくる。その真剣な視線で、俺の手は汗でべちゃべちゃになった。

 ザリガニはエサがなくても釣れるから、何も考えずに用水路に糸を垂らして、ひっかかるのを待つ。ぼんやり二人で空を見上げる。会話なんてない。

 どれだけの時間が過ぎたのか忘れたが、ツンツンと突かれたと思ったら、そのまま引っ張られる感覚に、反射で釣り上げる。

 赤いような、黒いような、その間のような色のザリガニが糸に絡まっていた。落とさないように、自分の方へ持ってきてザリガニに絡まっている糸を解く。



「………うわぁ」



 赤黒いザリガニを見て、どん引いた顔をするお姉さんに、俺は改めて――なんで、この人ザリガニ釣りしよう。なんて言ってきたんだろう。と首を傾げた。

 いろんな角度からザリガニを見るお姉さんは、まるで初めてザリガニを発見した人のようだった。威嚇しているのか、二つのハサミを天に突き上げる姿を見たお姉さんは、悪の組織のボスのように笑った。



「その程度の威嚇で、わたしを止められると思いあがるなよ!」

「ブッ??!!」



 ふはははは。なんてテンプレの笑い方も、お姉さんがやるとちぐはぐで、似合ってないのに、完成したパズルのようにぴったりと全てハマっていた。

 笑う俺を見て、目を丸くして驚いた顔したが、目を細め、微笑む。お姉さんの心を表しているか、日傘をくるくるりと回していた。

 二人だけの世界は、平和で、素敵で、無敵で、ずっとこの時間が続けばいいのにと思ってしまった。思ってしまったからか、世界を壊す嗄れた声が俺とお姉さんの間を駆け抜けた。



「ザリガニ釣りか、懐かしいなァ」



 無遠慮に近づいてくるジジィから、逃げるようにお姉さんは深く日傘を持ち直した。その姿は、なんだか自分で背負っている貝の中に閉じこもるヤドカリみたいだった。

 お姉さんの様子に気づいていないのか、俺とお姉さんの間に割り込もうとするジジィに、咄嗟に俺は威嚇するザリガニを掴み上げ、お姉さんとの隙間を埋めた。

 ジジィは俺とお姉さんの間に入る気満々だったが、目前で俺が埋めたことにより少し前で止まった。位置的にわざわざお姉さんの隣に行くには微妙な距離に、渋々といった感じで黙って俺の隣にやってきた。



「そのザリガニ、渡してみぃ」



 俺は無言で、ジジィにザリガニを渡す。

 ザリガニを受け取ったジジィは、無言で――バキィッ! と折った。

 反応できない俺を置いて、ジジィは揚々と油で揚げられる前のエビのような状態になったザリガニをタコ糸に括り付けた。



「ザリガニは共食いするからな。これですぐに釣れるからやってみぃ」



 ずいっと押し付けてきた木の枝を受け取り、俺は用水路にソレを投げ入れた。すると、エサが無い時と比べるのが烏滸がましいほどの速さでザリガニが釣れた。ジジィは、まるで「ほら、見ろ」と言わんばかりの売れ残りのドヤ顔をするものだから、俺は頑張って口角を上げて「ソウデスネー」と何とか返事をした。……お姉さんなんて無反応だ。見てもなかったかもしれない。

 反応が悪い俺たちに、眉がピクリと動くものだから、俺は共食い中のザリガニがついたまま、木の枝を用水路に投げ入れる。俺の突然の行動に、お姉さんの傘が少しだけ動いた。



「ゴシドー、アリガトーゴザイマシター」



 僅かに見えるお姉さんの手を握って、立ち上がる。世界はこんなに熱いのに、氷のように冷たい指先を握りしめた。俺の行動の意味を理解したお姉さんも、立ち上がったのを確認した俺は再びジジィに口を開いた。



「それじゃあ、俺たちこの後用事あるんで。シツレイシマス」



 少し早歩きでその場を、二人で離脱した。

 無我夢中でお姉さんの手を引いて、歩き続けていれば駄菓子屋まで戻ってきていた。その事実に、なんだか安心した俺たちは顔を見合わせて声を上げて笑い合った。

 それからいつの日かと同じように――また、俺が買った――カチコチに凍ったポッキンアイスを二つに割って、しゃりしゃりと食べる。



「……さっきは、ありがとう。助かったよ」



 セミの鳴き声に完全敗北した声の小ささだったのに、不思議とお姉さんの声がハッキリ聞こえた。俺はなんだか、ムズムズしてポッキンアイスを食べていることを言い訳に、首を縦に動かした。





 こんな、なんでもない夏の日をずっと俺は忘れることができないでいる。






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