8. なんかそれは違う
「子供なの?」
なんと、不敬罪で国外追放されなかった。ただただ、幼稚な嫌がらせが始まっただけだった。
「せめて食べられる種類にしてくれればよかったものを」
机の上には蛙の死体。小さい上に毒がある個体じゃ食べて供養もできない。幼稚な馬鹿のせいで殺されて、可哀そうだ。食べるわけでも活用するわけでもないくせに。
蛙に対する哀れみを勘違いして、あの馬鹿王子一行がニヤニヤと笑う。
ああ、お祖母様がとてつもなく怖い顔に。うちのアリスちゃんになにしてくれてんのよ! 辺りだろうかこの感じは。
「……まったく、全員地獄行きね」
授業に必要な物がなくなったり、食べ物が食べられなくなっていたり。陰口なんて慣れているけれど、やっぱり耳障り。お昼にしようとすればぶつかられてランチが床に落ち、トイレに入ればバケツから水をかけられた。
この間の高位の令嬢とその取り巻きがくすくす笑う声が聞こえる。どうやらあの人は王太子妃候補の筆頭らしかった。お祖母様に呪い殺されてもしりませんよ、ほんと。
「ッチ」
別に川に飛び込むことだってあるし、濡れても対処がめんどくさいだけ。小さい手では、ドレスを絞るのにも時間がかかる。しょうがないからと中庭でぶんぶん振っていたら学園長に呼び出された。公衆の面前で脱ぐとは何事か、と。下着は着ていたのだからいいでしょうよ。
「どこからともなく、水が?」
「ええ。学園のトイレに滝を併設したのなら、仰ってくださればよろしいのに」
おかげで濡れてしまいました、と圧をかければお咎めなしだけど。学園は教育施設。だけど、貴族同士の争いには手を出さない。そういう場所だ。それでも見張り塔の上階の鍵をくれた。何も言わないけど、干すのに使っていいということなのだろう。何かされても、対策をするのみ。それだけなのに。
家に帰っても、まためんどくさい。
「アリス、最近なんだか疲れていないかい?」
いつもは心配なんてしないくせに、こういう時はめざとい。
ええ、馬鹿の面倒で疲れてますけど。どうしてこうなったのかを話せば卒倒するでしょう。
大丈夫、私には毎日鬼の形相で呪い殺さんとばかりに幽体で殴りまくっているお祖母様がいますから。あのくらいなんともありませんし。
「罠にあんまりかからないので、直接狩るしかなくて」
「最近服が湿ってるって、ランドリーメイドが」
「学園の池の鮒はなかなかですよ、お母様」
「「アリス……」」
家族は大丈夫。よく知っている分、誤魔化すのも簡単。
だけど、問題は侯爵だ。あの人はなんというか、きっと凄く傷つくだろうから。怖い顔したまま、言葉も足りないまま、しょんぼりしてしまうだろう。
だから、こんなことになるなんて予想外だった。
そういえば、元々は学園に用事のあった侯爵を案内したことからはじまったんだった。一度話せばいいようなことだったら、わざわざ訪れてなんていない。
週末を迎える前に、学園でばったり会ってしまった。それも、殿下やご令嬢など幼稚組もいる場で。なんなら、程度の低いいじめを受けている真っ最中に。
「は?」
本で顔を隠してこそこそと通り過ぎようとしても、バレるに決まっていたというのに。肩を掴まれ、顔を見上げ、もう目を泳がせることしかできない。
ほんのり湿った髪。汚れた教科書。絶妙な距離で嘲笑う彼ら。もう証拠が揃いすぎている。
「アリス嬢に、何をした」
怒気。純粋な怒りだ。空気が冷え切る。
こんなに怒っているところは、初めて見た。ずっと、心の中の優しい部分しか見ていなかったから、知らなかった。
まさに冷血侯爵。でも、怒っている理由は、きっと。
「ひっ」
王子のくせに、なんとも情けない声。蛇に、いや狼に睨まれた狐のよう。
侯爵は一層怯える彼らに近づく。誰が犯人なのか、もうわかったのだろう。彼らは侯爵が一歩近づくごとに震え、顔色はみるみると青くなっていく。
「……」
ついには腰を抜かした殿下。狼と狐じゃ、勝負にもならない。お祖母様はもっとやれとはしゃいでいる。でも、ここまで。
「侯爵。ベネディクト様」
ちょいちょい、と袖を引っ張るとやっと私に意識が向いた。身長が高いと見上げるのも大変だ。首が疲れる。
「そこまでにしておきましょう。子供にその威圧はやりすぎです」
「子供……そう……だな」
「ええ、そうです」
──すまない、
「……失礼する」
侯爵は口元に手を添えて、渡り廊下から去っていった。私は腰を抜かしたままの殿下を冷ややかに一瞥し、侯爵を追いかける。これしきで狼狽えて、この国は平気なのだろうか。あんなのが第一王子じゃないだけ、マシだろうか。
「見つけた」
中庭の隅、低木で囲まれた中で、侯爵はうずくまっていた。隠れてるつもりなんだろうけど、隠れられていない。でも、その姿が、随分としっくりときて。きっと何度も、ここに来たことがあるのだろうと思った。
「お、れは」
「うん」
「昔、おな、じように、嫌がらせを、受けていて」
「うん」
「でも、怒りはしなかった」
「初めてだったんだ。こんなに、どうしようもなく腹が立ったのは」
低い声が、震えて、ひっくり返って。それでも、お祖母様のスケッチブックを見ずに会話した。
嫌なことをされたら、怒るのは当たり前。だけど、社会はそれを許さない。だからみんな我慢する。けれど、この人は。
「……貴方は、優しすぎる」
冷血じゃない。むしろ、あたたかすぎる。自分が受けた傷には無関心で、人の事ばかり考えて。
「あの時止めたのは、あなたが傷つく必要はなかったから」
この善い人が、潰されて欲しくない。強い私が、守ってあげたい。
「怒ってくれて、ありがとう」
ベネディクト様が顔を上げる。やっと、はちみつみたいな黄金の瞳が見れた。
「私がきたから、もう大丈夫」




