6. 本当に来た
「本当に来たんですか……」
──来ては不味かったのだろうか。それなら
「帰るが」
「いや、不味いってことはないんですけどね。とりあえず座ってください」
あの謎の出会いがあってからの休日。侯爵は本当にやってきた。
メイドに案内されてきた人を見て、お父様は目を飛び出し、お母様は恐怖で固まった。横にいるお姉様が肘で横腹をえぐってきながら、「アリス、何をしでかしたの」と耳元で煩い。いや、何もしてないです。お祖母様が勝手に結婚相手に斡旋してきて、哀れすぎて学園長室まで案内しようとしたら、なぜか友達になるようにお願いされただけです。
「あ、あの、粗茶ですが……」
──お気遣いありがとう。今日はアリス嬢と裏山を散策する予定なので、
「結構だ」
お姉様の旦那様こと、義兄撃沈。応接間の空気が一気に冷える。
まさか、心の中でこんな丁寧な長文を言ってるとは思うまい。家族全員にお祖母様のスケッチブックが視えればよかったのに。
「侯爵、口に出てませんよ」
──す、すまない。しかし、友人なのだから、
「……ベネディクトと」
「はいはい、ベネディクト様。さあもう一回」
「裏山に用があるから、お茶は結構だ。お気遣いありがとう」
「よくできました」
家族全員が唖然とする。冷血侯爵にこんな無礼な口の利き方していいのかって? 友達だからいいんじゃないですか?
……まあ裏山から帰ってきたらそんなことないでしょうけど。
「さて、早速行きましょうか。結構歩きますけど、大丈夫ですか?」
「ああ」
──承知の上だ。
というわけで部屋を出ようとすれば、お父様に肩をガシッと掴まれた。
「どういうことなんだ!?」
「私にもよくわからなくて……全部終わったらお話します」
お父様の眉がハの字になる。状況が飲み込めないのでしょう? 私もです。
──いいのか?
「ええ。さ、行きますよ」
ブランシェット領は王都からも、飛び地の辺境伯領からも遠い微妙な土地。あるものといえば豊かな自然と穏やかな村。特にこれといった特徴もなく、とはいえ問題もない。唯一少し困るのは、領境の山。ここは熊や鹿、猪など野生生物が多く、たまーに降りてくると作物を荒らす。
「ここです」
領主の屋敷の裏にあるから、通称裏山。私が子供の頃に過ごしていた場所。確かに危険だけど、何度も歩いているからかケモノ道ができていて、そこまで険しくない。とはいえ、これじゃただのハイキング。もしかしたら、もうすでに嫌だと思ってきているかもしれないけど。
「近道しても?」
「構わない」
貴族はゴロゴロした岩場を歩いたり、縄を伝って登ったりしない。もちろん侯爵も例に漏れず苦戦している。きっともう帰りたくなってきた頃だろうけど、さすがに怪我をさせると後がめんどくさい。
「危ないので、私の後に登ってください」
「……」
──わかった。
……それだけ?
引いたり、怒ったり、根を上げて帰ろうとしないの?
「凄いな」
「昔はここで暮らしていましたし、別に」
それどころか、純粋に尊敬してきた。化け物扱いしない上に、キラキラした目で見られると……なんだか凄く居心地が悪い。
──相性◎
戸惑っている私の前で、お祖母様が昔のページをめくって指さしてくる。
「っ!!」
もしも、もしも本当に受け入れてくれるのなら、確かに結婚相手として好条件というか、これ以上ない。むしろ地位も何も全部多すぎるくらい。だけど、お祖母様の言う通りはなんか癪というか、そもそもこちらから提案するには不可能な身分差で……。
──惚れさせれば問題ない!
「なぁ!?」
「!!」
お祖母様のことでカリカリしていたら、縄から手を離してしまった。どうにか体制を変えて着地を……と思ったところで。
「……」
下にいた侯爵の腕にすっぽりと抱きかかえられていた。目を見開いていても整っている顔は、確かに人によっては怖いと感じるかもしれない。でもよく見れば、本当に驚いてホッとしているのだとわかる。その温度が、なんとも気まずくて。
「さ、猿も木から落ちますから」
侯爵の顔が見れない。苦し紛れにそう言った。
視界がうるさくて、こちらを見つめている侯爵の後ろを見ると、お祖母様がスケッチブックを指差している。
──怪我はないか。
侯爵は、ただただ純粋に心配していた。
「あの、大丈夫です。だから、降ろして」
「そうか」
──それならよかった。
こういう時ばっかり、ほんの少し口角が上がっているのはなんなのだろう。
──しかし、顔が熱い。もしかしたら体調が悪いのかもしれないし、
「帰るべきだろう」
「でも、招待したのは私なのに」
「また誘ってほしい」
「……別に、誘ってなくても来て構いませんよ」
侯爵に抱き上げられたまま帰ると、本当に熱があった。病気になったのなんて幼児の頃以来で、家族にとてつもなく心配された。人のことをなんだと思っているんだ。
熱は三日で下がったけども、侯爵は休みのたびに訪ねてくるようになった。
きのこを採集したり、その辺になっているロゥクワットをちぎって食べたり、飼っている雄鶏を締めて血抜きして捌いて鶏鍋を出しても、侯爵はまったく軽蔑してこなかった。猪を狩った時なんてむしろキラキラとした視線だったりして、訳がわからなかった。
──相性◎
聖水をぶっかけられたいのですか、お祖母様。




