第1話 エルフの剣姫、目覚める
「……スター、マスター」
耳元で囁く少女の声で、俺は目を覚ました。
「ん……うーん……」
頭の下に柔らかいものが敷かれ、顔にも柔らかい物が置かれている。
フカフカで気持ちいい感覚だ。正に夢見心地である。
「起きてくださいませ、マスター」
身体を揺すられ、瞼を擦りながら目を開ける。
そして目の前に映し出されたのは、真っ白な二つの山だ。全てを優しく包み込む、柔らかな弾力だ。それを顔全体で味わう、何という贅沢か……。
「んん!?」
心地よさは別にして、この状況は明らかに変である。普段使っている寝具に、こんな上等な物は存在しない。それに、これらの『柔らかい物』には、僅かに体温が感じられたのだ!
「一体何が……おっぷ!?」
俺は飛び起きようとして、眼前の大山に阻まれた。弾力が顔を押し返し、そのまま地に伏した。地面は草原であり、運良く頭を強打せずに済んだ。ここは何処かの高原だろうか?爽やかな風が駆け抜け、側にある湖と共に幻想的な光景を演出している。
「大丈夫ですか、マスター?」
俺を心配してくれているのは、先程からの声の主。この時、初めて少女の顔をじっくりと見た。
ウェーブのかかった銀髪のロングヘア、アメシストの様な紫色の瞳、メイドの衣装に身を包み、そして限界まで盛ったKカップ相当のたわわなおっぱい。
「……もしかして、君は『ルーナ』か?」
「はい。貴女様の、『アイリス様』の忠実なる僕、聖女兼メイドのルーナです」
俺は数十秒に渡り、ルーナの顔をまじまじと見つめてしまった。彼女は穏やかな笑みを浮かべており、呼吸をして瞬きをもしている。ちゃんと生きた人間(厳密にはホムンクルス)だ。
そして……やはり彼女は絶世の美少女だ。つい彼女の顔と、そして発育良好なおっぱいに見惚れてしまう。
「あの、如何されましたか?」
「ああ、いや、すまない。つい、君に見惚れてしまったんだ」
心配するルーナに、俺は謝罪の言葉をかける。
ここで、俺は漸く『自分の身に起きた異変』に気がついた。
「なんで、声が『アイリス』のままなんだ……?」
嫌な予感がした俺は、自分の服装や髪を確認する。
服装は革製の鎧を纏った上半身に、下半身は藍色のスカート。そして髪は綺麗な金髪だった。
(……まさか!?)
俺は湖を覗き込んだ。幸か不幸か水質がとても綺麗な為、水面を鏡の代わりに用いる事が出来た。
金髪のポニーテール、青と緑色のオッドアイ、尖ったエルフの耳に切長の目、そしてエルフ特有の美貌。最後に、ルーナには流石に劣るものの、胸部に実ったたわわな乳房。上半身のレザー・アーマーは、水面の美少女の体型に合わせて加工された物だと分かる。
「な、な、な……何が起こっているんだ!?」
俺は自分の顔をペタペタと触り、その感触が恐らく錯覚でない事で更なる混乱に陥った。
「アイリス様、何処か具合が優れませんか?」
ルーナが心配そうな声色で、俺の顔を覗き込む。
「……ッ!すまない、ルーナ。少し無茶なお願いをさせて欲しい」
「はい、何なりとお申し付けください」
銀髪の美少女は、恭しくお辞儀をした。
「どうやら、お……私はまだ夢を見ているみたいなんだ。何か、私の目が覚める様な刺激を与えてくれ!」
危うく『俺』と口にしそうになり、慌てて口調を訂正する。仮にこれが現実であれ夢であれ、『美少女剣姫アイリス』のイメージは壊したくないからだ。
「『刺激』、ですか。具体的にはどの様な?」
キョトンとした表情で、銀髪のメイドは首を傾げる。
「それは君に任せる。多少の痛みなら我慢してみせるとも!」
「では、僭越ながら……」
ルーナはへたり込んだ俺の背後に回り込み、顔を近づけた。水面では、金髪美少女エルフに銀髪の美少女メイドが顔を近づけると言う、何とも魅惑的で芸術的な絵面が繰り広げられている。そして、銀髪の美少女は徐に口を開け……
「はむ♡」
美少女エルフの耳を、唇で甘噛みしたのだ。
「ひゃうっ!?」
全身に得も言われぬ快感が駆け巡る。水面の美少女エルフは、身体を小刻みに震えさせて身悶えしている。ルーナはエルフの様子を知ってか知らずか、耳の先端を舌でチロチロと舐めている。少女の舌先が耳を愛撫する度に、更なる快感が『アイリス』の身体を襲撃した。
「ま、待て!待って!もう良い、大丈夫だ!」
「左様でございますか」
ルーナが耳から口を離す。唾液の糸が彼女の舌先からエルフの耳へ伸びており、扇情的な光景を醸し出している。
「それで、お目覚めにはなられましたか?」
ルーナは頬を紅潮させ、蠱惑的な表情で尋ねてきた。
「ああ、お……私がとっくに目覚めていた事を認識した」
「マスターのお役に立てて、何よりでございます」
ルーナは再度、恭しくお辞儀をする。
……これが夢じゃないとなると、いよいよ訳が分からない。そもそも、この草原は一体何処なんだ?
「ルーナ、君の記憶を確認させて欲しい。私の眠る前の記憶では、確か一緒にダンジョン攻略をしていた。君の記憶と照らし合わせて、何か相違はあるか?」
「いいえ。私達は昨夜ダンジョンの攻略に勤しみ、イベント終了間際に何度目かの『ナイトメア・ドラゴン』の討伐に成功し、入り口へ戻りました。そしてダンジョンの入り口にて、マスターが眠りについたので、私は傍らにてお守りさせていただきました。ただ……入り口の荒野に私達はいた筈なのですが、突然周囲が何も無い暗闇に覆われ……気づいたら、この草原に居たのです」
うん、自分の記憶と大体同じだ。寝落ちした所までは間違いない。だからこそ不可解だ。ルーナが言う様に、イベントダンジョンは『荒野』にあった。こんなのどかな草原ではなく、植物も殆ど生えてない荒地だった筈だ。当然、近くに水辺など無い。なら、ゲーム内の別エリアに何らかの要因で転移させられた?或いは、そもそもこの世界がゲームの世界とは違うのか……?
……ん?ルーナは今、『イベント』と口にしたよな?
もしかして……
「おかしな事を聞く様だが、君はその……『自分がゲームの存在』だという自覚はあるのか?」
「……申し訳ありません。マスターのおっしゃる『げぇむ』について、一体何の事なのか存じ上げません」
ルーナはやや申し訳無さそうな表情で答えた。
「あー……すまない。今のは完全に質問が悪かった。
では、昨日より前の事……例えば私と君が出会った時の事や、共に過ごした過去の記憶は覚えているかな?」
「当然でございます!」
ルーナの顔がパァッと明るくなり、明らかにテンションが上昇しているのが分かる。
「亡国の遺産として古城の魔術工房に置き去りにされていた私を、目覚めさせて頂いたのはアイリス様です!フラスコから外の世界へ出して頂いた事、私に『ルーナ』の名前を与えてくださった事、共に色々な場所を冒険した事、そして何よりこの私を必要としてくださった事、全てが私の大切な思い出でございます!」
「そ、そうか。ありがとう」
今しがたルーナが語った亡国云々の件は、先述したイベントの内容だ。古城を探索していた物好きな錬金術師の手を借りて、未完成のまま忘れ去られたホムンクルスを復活させるという話だ。その際に発生するキャラメイクイベントで、俺の同行者は今の外見となったのである。
「初めて街へ赴いた事、そこのカフェで食べたパンケーキの味、私は今でも鮮明に思い出せます!
それと私が身につけている衣装も、マスターが大枚叩いてプレゼントしてくださった、大切な物です。これからも毎日、袖を通させて頂きますわ♪」
前者はNPCとのデートイベントの内容で、後者は言わずもがな、現在ルーナが身につけているメイドスキンの話だ。それにしても、なんかめちゃくちゃグイグイ来るな……。
「まぁ、別に大枚って程じゃなかったが……そりゃ安くもなかったけど……課金スキンとしては良くある値段設定だったし……」
「?」
小声でボソボソと呟く主人のエルフに、美少女メイドは不思議そうな表情を浮かべていた。
「ああ、その、うん!気に入ってくれた様で何よりだ!」
「はい!」
満面の笑みで微笑む銀髪の美少女に対し、早くも俺は罪悪感で押し潰されそうになった。だって、『単に自分の好みの衣装をNPCに着せたい』という理由で買った物を、まさかNPC本人に喜ばれるとは思っても居なかった。なんだか、無垢な少女に無理やりコスプレをさせているみたいだ……。
とは言え、同行者が居るのは大変心強い。『たった一人で異世界に放逐される』なんて事、小説は時々起こりうるが、自分だったら耐えられそうにない。見知らぬ世界にひとりぼっちとか、心細さで確実に何処かでメンタルが折れる案件だ。
俺は聖女兼メイドのルーナと、そしてイベントで世話になった錬金術師NPCに、心の底から感謝した。