生まれてからずっと偽りだらけだった私が本物を手に入れる話
『きっと結果は同じ』の裏側。
書きたいところだけ書いた短編。
「一目見た時から、あなたを愛してしまった。どうか僕……いや、私と結婚してください!」
それは、クレーベルにとって青天の霹靂であった。差し出された花束を前に、思わず口をぽかんと開けたまま固まってしまったのも仕方がないことだろう。
如何にもお人好しそうな雰囲気の青年──男爵家の御令息だそうだ──曰く、何と彼は買い物に出ていたクレーベルに一目惚れしたというのだ。
クレーベルの髪色は、貴族に多い銀髪だ。それ故、もしやこちらの身分を勘違いしているのではないかと確かめたところ、彼はたとえクレーベルが平民であったとしても結婚を申し込むつもりだったのだという。
「あの、私の一体どこに惹かれたんですか……?」
仮にも貴族令息である相手に対して、返事をするより先にそんな質問をするのは不躾だと思われるかもしれないが、大切なことだ。
『クレーベルは母さんにそっくりだな……優しい目をした愛らしい顔立ちだ。癒されるよ』
そう言ったのは、彼女の父であり主でもある男。
クレーベルは、所謂妾の子だ。幼い頃はそんなことは知らず、ただ仕事で忙しい父には週に何日か家に帰って来られない日があるのだと思っていた。
母もそれを否定しなかったし、父は沢山の愛情を注いでくれていた。暮らしは比較的裕福ではあったものの使用人などを雇っているわけでもなく、あくまで自分は平民なのだと……母が流行り病で命を落とし、父に手を引かれ見知らぬ屋敷に連れていかれるまではそう思っていた。
『わたしにお姉さまなんていないわ!だってあなた、めかけの子なんでしょ!?お母さまがそう言っていたもの』
屋敷に入ってすぐ、綺麗なブロンドの髪と父とよく似たアメジストの瞳に思わず目を奪われた。まだあどけないながら、見惚れてしまいそうな程に美しい少女は、しかしクレーベルを見るなり、くしゃりと顔を歪めてヒステリックに叫んだ。
震える小さな体と強く握られた拳が痛ましくて抱き締めてやりたい心地になるけれど、それがかなわないことは、ぶつけられた言葉からも明らかだった。
妾の子。その言葉を理解できない程、当時のクレーベルは幼くはなかった。十二歳ともなれば、平民の殆どは働いているか、家が裕福であれば学校に通って将来の為の勉学に励んでいる。
そして何より、クレーベルは特別聡いというわけではなかったが、向けられた悪意に気付かない程鈍感でもなかった。
──あの女の人はお父さんの本当の奥さんで、あの子は二人の娘なんだ。
少女の後方から自分を睨んでいる女性の存在に気付いた時、すぐにそう思った。艶やかなブロンドに、切れ長の目をした美しい人は眼前の少女によく似ていたから。
その時のクレーベルは、恥ずかしいやら悲しいやら、まるで心臓が凍り付くような思いで。ただ強く目をつむって俯くことしかできなかった。
「そうですね……最初に目を奪われたのは、あなたの眼差しです。しっかり芯を持った、何か譲れないものがある人なんだなと感じました」
照れ臭そうに鼻を掻く青年の言葉に、ドクンと鼓動が跳ねる。今まで、誰一人として自分のことをそんな風に言う人はいなかったから。
ふわふわしている、優しそう、癒される。クレーベルという人間について訊かれれば、凡そ大体の人間がそう応えるのだろう。そんな確信を持つに至ったのは、実際にそう言われてきたからだ。
幼い頃の友人達も、メイドや侍女仲間も、厨房のシェフ達も。そして、父親と……それから、ここ数年まるで専属のように仕えているブロンドの令嬢からも同じようなことを言われた。
皆一様に、クレーベルという人間は“優しくて癒される”ような、そんな存在だと言うのだ。
──優しい?人の家庭を壊しておいて、壊した家族の家に図々しく居座る私が?
理解できなかった。常に微笑んでいるのは、気を遣わせたり迷惑をかけない為だ。ゆっくりと話すのは、言葉の意味を誤解されない為。
母譲りの顔立ちは相手を油断させたり、人によっては苛つかせたりするようだが、それはクレーベルにはどうすることもできない。
けれど、それでいいと思った。
誰にも理解されず、誰もが偽りのクレーベルしか知らなくても構わない。何故なら、自分には母を亡くした瞬間から本当の居場所などなく、それどころか愛しい筈の家族の思い出すらも紛い物だったのだから。
──誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんて、紛い物でしょう?
故に、クレーベルはまっすぐに青年を見つめて口を開く。
「私、きっと嫉妬深いと思います。だから、愛人や妾を作ったりしない人でなくちゃ嫌です」
「あ、愛人!?そんな不誠実な……いや、決して誰かを批判しているわけではないんです。でも、僕は不器用な人間なので……きっと、一人の人を幸せにするので精一杯ですよ」
「もし私に子どもができなかったら?男爵家の跡継ぎがいなければ困るでしょう?」
「ああ!それなら問題ありませんよ。実は僕は三男で、家は一番上の兄が継ぐと決まっています。僕は城で文官として働いていて……あ、すみません言い忘れていました!だから、その、普段は王都で暮らしているんです。この街には、友人の結婚式に出席する為に来ているだけで……」
慌てた様子で、もし自分と結婚したらクレーベルも王都に来てもらわなければならないのだと伝えた後、未だ返事をもらえていないことに気付いた青年は、しかし一目惚れをしたからと見知らぬ男からいきなりプロポーズされたクレーベルの気持ちを心配し始め、何度も頭を下げて謝罪した後、無理を言って一週間程こちらに滞在するつもりなのだと小さく付け足した。
つまりは、帰る日までに答えがほしいということなのだろう。
「男爵家のご令息がそんなに頭を下げるものではありませんよ」
「ぁ、確かにそう……ですね。すみません、どうも昔からこうで……あ、いや、今のすみませんは違うんです!」
「っふ、ふふ。わかりました、お受けします」
「……へ?」
きっと、彼を見た女性の殆どが頼りない男だと思うだろう。実際、クレーベルもそう思っている。しかし、
──この人は嘘がつけない人なのね。ううん、きっと嘘をつきたくないんだわ。
そんな人だからこそ、クレーベルは共に歩んでみたいと思った。幼い頃から偽りだらけだったクレーベルには眩しすぎる程に正直で、きっと何もかもを本物にしてしまう人。穏やかな印象のヘーゼルの瞳は今は驚きに見開かれていて、ぱくぱくと開閉を繰り返す口はなんだか間抜けだ。
「プロポーズ、お受けします。えっと……その花束は貰っても?」
「っは、はい!もちろん!あなたの為に用意したものですからっ。その、本当に……?いや、違うな。その、これからゆっくりお互いのことを知っていきましょう。まずはデートなんかどうでしょうか?」
ずいっと差し出された花束を抱えて、クスクスと笑う。プロポーズまでしておいて、今からお互いのことを知っていこうというのは順序が逆ではないだろうか。
だが、それも素敵だ。少なくとも、今この瞬間のクレーベルはそう思った。
「そうですね。では、明日のお昼前にまた買い物に出てくるので……その時に街を散歩しませんか?」
「はい、喜んで!」
「ぁ……すみません、私も大事なことを伝え忘れていました」
しまったとばかりに少し慌てて見せると、それ以上に慌ててこちらを案じ始める彼が愛しい。
クレーベルは、本物の家族になる人には嘘をつきたくなかった。言うタイミングを逃していた、だなんて言い訳は絶対にしたくないし、相手のことを思うなら今告げるのが最善だろう。
だから、
「改めまして、クレーベル・プリムローズと申します。プリムローズ伯爵家にお仕えする侍女であると同時に、プリムローズ伯爵の妾の子です……それでもよければ、よろしくお願いいたします」
張り付けた微笑みではなく、きっとこの人ならばという期待を込めた笑顔で告げる。彼はとても驚くだろうし、もしかしたら嫌な思いをさせてしまうかもしれないけれど。
それでも、クレーベルはどこか確信を持って彼の言葉を待つのだった。
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