第九九話「落ちるつもりは無かったんだよ、いやマジで」
「……なあ、全身の棘が光っているが、アレは何だと思う?」
落ちると爆発する棘が落ちないままに光っている。プラス、俺たちを睨み付けている。導き出された答えを理解していながらも、俺はカラカラに渇いた喉で二人へそんな質問をしてみた。
「……爆発、するんでしょうね」
『しかも、私たちを巻き添えにしようとしてるね』
「……俺と全く同じ考えに至っているよな、やっぱ」
そんな呑気とも言えるやり取りをしていたら――母竜は遠慮無くその隙を突いて突っ込んできた。全速力で。
「上空へ逃げろ!」
『オーライ!』
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
俺の叫びに呼応して、フランメはこちらも全速力で上昇を始めた。たまらずレーネが悲鳴を上げる。うわっぷ、レーネ自慢の萌葱色の髪が顔に掛かる!
横に逃げても良かったのだが、移動出来る範囲は塩水湖だけに限られる。もし途中でコースを逸れた母竜が森に突っ込み大爆発すれば、大火災必至である。
しかし、スピードは明らかに母竜が上手だ。魔核の傷が影響しているのか苦しそうにも見えるのだが、最後の力を振り絞っているのかとんでもなく速い。このままでは追い付かれる。
ならば、俺も出来ることをしよう。
「レーネ、ドラゴンにも効きそうな即効性の毒薬はあるか!?」
「え、えぇ!? け、経口投与の物なら有るには有りますが……上空だと横風が強いので当たりませんよ!?」
確かにごもっとも。上空ではびゅうびゅう風が吹いており、軽い薬瓶では横に流されるのがオチだろう。だが――
「有るならくれ! どうにかする! 早く!」
「わ、分かりました!」
俺の気迫に圧されたのか、レーネはマジックバッグをまさぐってすぐに薬瓶を出してくれた。うお、なんだこの形容しがたい色。如何にも効きそうだな。こんなん同じ工房で作ってたのか、怖い。
「一体どうやって当てるんですか!? もう少しで追い付かれますよ! ……って、え? 何をするつもりですか、リュージさん?」
空気が薄い為にぜえぜえ言いながらレーネが尋ねるが、俺は腰へ命綱を巻き付けるのに忙しくて応対している暇は無い。
だから今、俺が言えることはこれだけだ。
「これ、持っておいてくれ!」
レーネに自分のマジックバッグを押し付け、フランメの背中にある角の一本に命綱の端を括り付けた俺は立ち上がって、その大きな背中を蹴り、母竜の方へと落下を始めた。
背後で二人が何か喚いているが、風が強い所為で聞こえない。今更クレームとか上げられても対処しようがないので無視だ無視。
俺の姿を確認した母竜は、俺の相手などしない、とばかりに首を横に振り鼻先で弾き飛ばそうとした。
「そうは……行くかっての!」
〈フューレルの魔石〉で強化された腕力で、俺は右手でしっかりとその鼻先の出っ張りに掴まった。なおも母竜は首を振って俺を落とそうとするが、落ちてなるものか。
その間に、俺は器用に片手だけで腰紐を緩め、薬瓶を片手に取った。蓋は開ける必要も無い。そのまま使ってやろう。
「っと! 力が……!」
物を手に取ったお陰で〈フューレルの魔石〉の効果が無くなったのか、俺の腕力が弱体化し危うく落ちそうになる。
だが、ここが踏ん張り所だ!
「レーネ特製の毒薬だ! しっかり味わえ!」
そう叫びつつ竜の首を蹴り、俺は母竜の口に思いっきり薬瓶を叩きつけた。そのまま急いでロープを伝って登り始める。
直後、首を硬直させた母竜は急に失速し、落下を始めた。そして――
「うぉぁぁぁ!?」
耳を劈く轟音が鳴り響き、俺は下からの爆風に煽られて思いっきり揺れる。だがロープは離せない。離したら落ち――
「……あっ」
爆風で飛んできた突起の欠片が命綱を掠め、俺は思わず間抜けな声を上げた。
ロープを構成する素線の内の一本が切れたお陰で一〇〇キロの巨体を支えきれなくなり、ブチブチブチと無情な音と共に、あっさりと残りの素線も切れた。
そして宙に浮く俺の身体。
「マジかよ! おいっ!」
空中に手を延ばすが、勿論掴まれる場所など何処にも無い。俺の身体が塩水湖目掛け落下を始める。やたらと時間の流れが遅く感じるが、実際落ちるまで十数秒といった所だろう。まさかこんなミスで命を落とすことになろうとは。
「何か、何か使える魔石は――って、マジックバッグはレーネの所に置いてきたんだった!」
こういう時、焦りで情報が整理出来なくなるもんなんだな!
畜生、万事休すか……!
「っとぉ!?」
急にガクン、と落下の速度が落ちた。いよいよもって脳が死を悟り周りの世界がスローに感じるようになったのだろうか。
……いや、実際落下速度が落ちている。あれ? 何が起きているんだ?
「リュ、リュージ兄……おーもーいー…………」
「おもいー」
「へっ?」
周りをよく見れば、魔術師と思われる兵たちが空中に数人集まっていた。みんな〈フライト〉が使える高レベルの魔術兵だ。
で、俺が止まっている原因はと言うと……背後から聞こえる妹たちの声だろうか。振り向いて見てみれば、スズの杖に跨がりながら俺のベルトを掴んで踏ん張っているミノリの姿があった。成程、スズの〈フライト〉でタンデムしつつ俺の身体をキャッチしてくれたのか。助かった……。
「もう! 無茶し過ぎですよリュージさん!」
「申し訳無い」
レーネさんはおかんむりである。塩水湖の畔へ降ろして貰って早々、俺を正座させ長々と説教を始めたのだ。頑張ったのに、つらい。
「まあまあレーネ、無事に終わったんだから良しとしようよ」
「ん、リュージ兄の無茶、今に始まった事じゃ無い」
「それはそうなんだけど……」
なおもぶつぶつと何か言おうとしているレーネを宥めてくれるミノリとスズ。ああ、出来た妹たちを持って兄は幸せだ。涙が出そう。
「それにしても、なんでミノリたちはここに居たんだ?」
正座を解いて、気になったことを聞いてみる。狂乱した魔竜相手に〈フライト〉だけでは戦えないだろうことは妹たちも分かっていただろうに。
「最初はスズたちも巻き込まれないように遠巻きで見てた」
「でもね、敵が自爆しそうなのが見えたから、リュージ兄たちが万一落ちても大丈夫なようにみんな集まってくれたんだよ!」
心なしか嬉しそうに語るスズと、満面の笑顔でピースサインを見せるミノリ。そうか、皆、危険を押して駆けつけてくれたんだな。
「みんな、ありがとう。助かった。……フランメも、よく頑張ったな」
俺は魔術兵たちへ深々と頭を下げ、レーネの横で圧倒的な存在感を見せるフランメにも声を掛けた。目の前で母親を失ったばかりの娘への言葉が他に見つからない。
『そんなに気にしなくて良いよ、リュージ。必要な事だったんだから、お母さんも分かってくれた筈』
なんと出来たドラゴンだろうか。まだ幼いと言うのに。幼いって言ったら怒られそうだが。
そしてレーネに視線を移す。まだお怒りなのか、ふん、と鼻を鳴らして顔を逸らされてしまった。
「あー……、お怒りはごもっともなんだが、レーネ。一つ頼みが」
「……なんですか」
俺から顔を逸らしたままに、何時もより低い声で応えるレーネ。
だが、臆してはならない。これからお願いすることは、重要なことなのだから。
「……マジックバッグを返してくれ。ベルトが切れたんで、換えの物を出したいんだよ」
「………………」
……毒気を抜かれたレーネだけでなく、その場に居た全員に溜息を吐かれてしまった。
次回は一〇〇話にして第二章エピローグ!
明日の21:37に投稿いたします!