第九五話「幕間:アデリナの一矢」
※三人称視点です。
「有り得ません! 有り得ませんわ!」
邪術師アデリナは、金色の魔竜に跨がり空から南のザルツシュタットを目指しながら、一人悪態を吐いていた。
十全に準備を整えドラゴンまで用意したと言うのに、アデリナの放ったスタンピードの魔物たちは全て駆逐されていた。彼女に残された駒はこの、命懸けで手に入れた魔竜だけであった。
「ええい、もっと速度を上げなさい!」
アデリナは支配下にある魔竜へそう命ずるも、竜は苦悶の声を上げるだけで速度は変わらなかった。彼女は知らなかったが、リュージの錬金銃により放たれた弾丸が魔核に傷を与えていたのである。魔核は魔物にとって心臓であり、それを傷つけられれば如何な魔晶製の魔竜と言えども無事では済まないのである。
「子供とは言えドラゴンを一瞬で消滅させ、正体不明の武器でドラゴンの鱗すら貫くだなんて……一体、何処まであの男は私たちの邪魔をするのでしょう! このままではエメラダ様に合わせる顔が御座いませんわ!」
レーネの姉、エメラダはアデリナにとって邪神アブネラの次に畏怖すべき存在である。このままその彼女から直々に受けた命令を果たせぬままに終わる事を、アデリナはとても恐れていた。
「ですから、せめて……せめてザルツシュタットだけは火の海にしてくれましょう! それまで力尽きることは許しませんわよ!」
力無い魔竜へそう叱咤していたアデリナは、背後の騎士団や憎き付与術師たちの動きが気になり、振り向いて地上を確認した。火炎の吐息は竜を降りてからでなくては使えない為、騎士団が先に到着し無防備な状況を攻撃されると厄介な事になりかねないのだ。
「……え? どう言う事ですの……?」
状況が飲み込めず、アデリナは自分の見ているものが幻ではないかと疑い、目を瞬かせた。だが、映っている景色は変わらなかった。
アデリナが先程まで居た地点、其処には確かに、彼女が連れていたもう一匹のドラゴンである子竜の姿があったのだ。彼女の記憶では、消滅させられたと言うのに。
そしてあろう事かその足元に居るリュージが、まるで子竜と意思疎通をしているようにハンドジェスチャーを繰り広げていた。
リュージから何かの情報を得たらしき子竜は、猛々しく吠えた……ように、アデリナには見えた。一拍遅れて彼女の耳に大型獣の遠吠えが届く。
その声に含まれている想いは、例え人らしい情動を忘れてしまった邪術師にでも、理解は出来た。
子竜は激怒しているのである。
「……まさか、あの子竜を私の支配下から解き、意思疎通を図っていると言うのですか!?」
アデリナの脳内ではそこから導き出される結論へとすぐに至った為、彼女の顔は蒼白となっていた。
それはつまり、あの付与術師がドラゴンに乗ってやって来る可能性があるという事である。空を飛ぶという絶対的なアドバンテージを崩されてしまえば、強大な力を持つとは言え手負いの魔竜ではアデリナの分が悪かった。
「……ですが、せめて――せめてザルツシュタットだけは!」
アデリナは魔竜の進む方向へと視線を戻した。港町はもうすぐ其処まで迫っていた。後は町の中心部で降下し、アデリナが降りた後、魔竜に火炎の吐息を放って貰うだけである。
「これで、私の勝ち――」
そう呟き再びリュージたちの居る地上を見やるアデリナであったが、その言葉は途中で切れた。
「……居ない?」
アデリナが予想していた光景では、付与術師リュージが子竜の背に乗りこちらを目指して飛び立とうとしている、と言った所であった。
だが、子竜の姿もリュージの姿も、其処には無かった。
「まさか、本当に幻だった……?」
アデリナが首を傾げたその直後、彼女の駆る魔竜が空で急停止した。危うく首を痛めそうになり、アデリナは声にならない悲鳴を上げた。
「……ちょっと! 何故止まっ……て…………」
抗議の声もそこそこに、アデリナは何故魔竜が急停止したのか、その原因をすぐに理解した。
「……ば、馬鹿な……、速すぎでしょう……」
またも有り得ない光景が目の前に拡がっており、アデリナは絶望にやっとの想いで声を絞り出した。
ザルツシュタット方向、つまり魔竜から見て前方の同じ高さに、レーネとリュージを載せた子竜が待ち構えていたのである。
「よう、アデリナ。ちんたら進んでくれたお陰であっさり追いつけたぜ」
子竜を駆るレーネに後ろから抱き付いているリュージが、アデリナへ向けて不敵な笑みを見せながら、錬金銃を構えていたのだった。
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