第八七話「幕間:シュトラウス侯爵領にて」
※三人称視点です。
リュージがホフマン公爵とのディベートに敗北したその時を同じくして、シュトラウス侯爵領の領都、クラインブルクの高台に建つ一際目立つ建物である領主の館でのこと。
町を一望できるそのベランダを、一人の小太りな初老の男が、不安そうにグルグルと歩き回っていた。
「……まだ連絡は来ないのか!」
「は、はい、何も来ておりません……」
喚き散らしたシュトラウス侯爵に対し、側に立つ若い執事が申し訳なさそうに頭を下げた。このやり取りは五分おきに行われており、この執事も流石に辟易していた。
「まったく……邪術師一人見つけられんとは、高い金を払って雇った甲斐が無いわい! あのスタンピードも絶対にあの女の仕業に違いないのだ!」
侯爵の怒りはピークに達しており、既に頭で茶が沸かせる程に血が昇っている。早く避難したいのでこのまま倒れるでもしてくれないだろうか、と内心で執事は考えていた。
「あらあら、私をお捜しかしらぁ?」
「なっ!? きっ、貴様! 何処から入った!」
突如、戸を挟んで向かい側の部屋の中に悠然と現れたアデリナの姿を見て、侯爵が慄き声を裏返らせた。ちなみに執事には彼女の姿が見えておらず、侯爵の行動を訝しんでいる。
「ま、まあよい、答えて貰うぞ邪術師! あのスタンピードは貴様の仕業だな!?」
「あらあら、証拠も無いのにそんな事を仰るのですわね。悲しいですわ」
如何にもわざとらしく両手で顔を覆ったアデリナに、侯爵は限界を超えて憤慨した。もう殆どの住民は逃げ出しているのだが、現在進行形で領地を蹂躙しているスタンピードを止めて貰わない限り、侯爵に未来は無いのだ。
「下らん茶番をしているつもりは無いのだ! 答えろ!」
「……まったく、つまらない男。私は貴方みたいな権力を笠に居丈高な態度を取る人が大嫌いなのよ。少しはライヒナー侯爵を見習いなさいな」
嘘泣きを止め、あくまで上から目線で物を言うシュトラウス侯爵に侮蔑の視線を投げながら、アデリナは彼をふん、と鼻であしらった。
「ま、このままスタンピードは南下させ、ライヒナー侯爵領も滅ぼすのですけれどもね」
「や、やはり貴様の差し金ではないか! くっ……!」
「おっと」
侯爵が腰に提げていた細剣を抜き放ち、アデリナの顔面に向けて突きを放ったものの、その攻撃は何処から現れたとも知れぬ金色の触手によって受け止められた。ようやくアデリナが展開していた身隠しの術が解け異常を悟った執事が悲鳴を上げる。
「貴様は……貴様は一体何が目的なのだ!」
攻撃を続けながら、侯爵は問い質す。触手に次々と阻まれているものの、なおも心が折れずにアデリナへ突きを繰り出す彼には賞賛を送っても良いだろう。
しかしながら、稚拙な侯爵の剣技よりもアデリナの触手が展開する自動防御の方が圧倒的に勝っており、次第に疲れから侯爵の動きが鈍くなり、ついには剣を取り落としてしまった。
「だ、旦那様!」
それまで呆然としていた執事は、主の危機にやっと我に返って駆け寄り、代わりに剣を取った。しかし彼とて剣の修練は積んでいるものの、素人の部類に入る。邪術師として先頭に立ち戦うことの出来るアデリナの相手ではない。
「ああ、実に無様ね、シュトラウス侯爵。民の税と言う血を啜り肥え太った豚だと言うのに、自分が高貴な血を引いているから何者にも負けない、などと思い込んでいるのかしら?」
「う……五月蠅い、邪術師風情が…………」
「その邪術師風情に麻薬の栽培地としてカッテル村を差し出したのは何処の何方だったかしら? 残念ねぇ、セダムの実は私たちが有効利用しておくわ」
息も絶え絶えな侯爵に対して一方的に告げると、アデリナは二人に向かって左手を翳した。直後、白い光の珠が二人の身体から次々と飛び出し、アデリナの前へ収束してゆく。
「がっ、がぁぁぁぁ……! きっ、貴様っ、何を……!」
「大した生命力も持っていないようですけれども、魔晶の足しになって貰いますわ。スタンピードの統率にもエネルギーを使いますので」
「やめ、やめろぉぉぉ! 協力してやった恩を、忘れたかぁぁぁ!」
「恩? 利害が一致していただけですわ。シュトラウス侯爵、貴方はカッテル村を差し出した時から、いえ、私と出会った時からこうなる運命でしたのよ」
苦しみ藻掻く二人をただ事務的に魔晶化させてゆきながら、アデリナは小さく口端を上げた。
「……ああそう、私の目的でしたわね、それは――」
二人の姿が完全に消滅し、服だけが残されてから、ようやくアデリナは侯爵の質問に答えることにした。
「――貴方がたのような権力者や異端者たちを滅ぼし、何者にも縛られない世界を創ることですわ」
その答えは、何処の誰の耳にも入らなかったが。
次回は明日の21:37に投稿いたします!




