第八六話「負けた」
「町が物々しい雰囲気になってきたッスよね」
「そうだな……」
不安そうなベルの感想に、俺も相槌を打つ。昨日とは町の様子が全く異なり、兵士をよく見掛けるようになっている。どれもこれも、スタンピードが発生したと報告があったからだ。
俺とベルは火薬作成を急ピッチで進めるレーネの代わりに買い出しへ市場を訪れているのだが、スタンピードの情報が町へ正式に流れた為、買い溜めをしに来た町民でごった返しており、混乱を治めるために兵士たちも動員されているのである。
もっとも、商人側は買い占めが起こらないように購入制限を設けているようで、それに不満を持った客との小競り合いもありなんとも混沌とした状況となっている。
「生鮮食品なんて保って一日だろうに。そんなもん買い占めてどうすんだ」
「正常な判断が出来なくなってるんスよ、きっと」
俺たちは横で喚いているクレーマーに聞こえないよう、小声でそんなやり取りをしていた。そりゃな、未曾有の危機が迫っているのだから生き延びるために何かしたいと思うのも分かるが、俺たちのような冷静な客が買えなくなるので落ち着いて欲しい。
やっとの事で目的のものをすべて手に入れられたのは一時間後だった。まったく、時間を浪費してしまった。早く帰って魔石を創らねば。
「……おや? ホフマン公爵閣下がいらっしゃる。ライヒナー候も」
「ひっ、ホントッスか!?」
「悲鳴を上げるな悲鳴を。と言うか、閣下が連れていらっしゃる大勢の兵たちは見たことがあるな。この間駐屯所で一緒に戦った筈だ」
ベルは以前殺気をぶつけられた為(ぶつけられたのは俺だが)、閣下が苦手になっているようだ。まあ、あんな気迫に当てられれば萎縮してしまうのも分かる。
――じゃなくて、あの兵たちは……もしかして……?
「おお? リュージか」
あ、見つかった。
「お疲れ様です、公爵閣下、ライヒナー候。もしかして、対スタンピードの部隊ですか? 何故ここに?」
「これからここで、町民への説明を行うからだよ。スタンピードがやって来るかも知れないけど、兵士の方々が護ってくれるから安心ですよ、ってね」
と、解説頂いたのはライヒナー候。成程、その為の兵たちか。ここに居るだけでも相当数だし、説得力はあるかもな。こういう活動は疎かにしちゃいけない。
「まあ、希望者には避難もどうぞ、とは言うつもりだけどね。ただ、何処に逃げればいいのか……」
苦虫を噛み潰したような何とも言えぬ表情で、ライヒナー候はぽつりとそんなことを漏らした。避難、と言ってもここから一番近い東の村でどれだけの人数を受け入れることが出来ると言うのか。現実的ではない。
「おお、そうだリュージよ。ミノリとスズは今何処に居る?」
閣下が「今思いついた」とでも言うように白々しくそんなことを聞いてきた。……これは、アレだな、きっと。
「……妹たちは在宅中ですが、まさか義勇兵になれと?」
「そのまさかだ。いや、義勇兵ではなく正式に雇いたいのだがな。今回、冒険者ギルドにも傭兵参加の依頼を出しておる」
「うーむ…………」
兄としては、そんな危険な任務に就いて欲しくは無いのだが、あの二人が戦力として加わったら、失礼ながらここに居る精鋭の一〇人分、いや三〇人分の働きはしてくれそうだ。悩ましい。
「それに、お前の妹たちだけではない。リュージ、お前も前線で戦って欲しいのだ」
「……まあ、予想はついていましたが」
前線で付与が出来れば更に戦力が上がるだろう。そうなんだが……なぁ。
うんうん悩んでいる俺の横へ、すすすと閣下が近付いてきた。何か内緒の話でも――
「お前たちが参戦してくれるのならば、今住んでいる場所の買い上げを肩代わりしてやろう」
「………………」
小声でそんな事を言われ、思わず思考を止めてしまった。
そうきたか。金額にして聖金貨五〇枚以上の物件を肩代わりとは、流石公爵閣下は仰ることのスケールがデカい。まあ経費で落とすのかも知れないけどさ。
「……持ち帰って妹たちやレーネと相談します」
「うむ、そうしてくれ」
満足げにバシバシと俺の腰を叩く閣下。この場は俺の負けである。
ここで抗いきれなかった兄を許してくれ、妹たちよ。嗚呼、ベルの視線が痛い。
次回は明日の21:37に投稿いたします!