第八四話「放て付与、そして穿て」
「……ん? なんだ…………?」
兵士を担ぎながらレーネの待つ後方へと駆けているその時、背後に嫌なものを感じ、俺はスピードを上げた。が、その気配はぴたりと俺の後ろに貼り付いている。
「リュージさん! 後ろに!」
〈腕〉本体を攻撃していたレーネも、俺の背後に居る何かに気付いたらしい。その表情は強張っている。
「何が居る!?」
「黒い犬が!」
……犬? 野犬が紛れ込んだ……という訳では無いんだろうな。明らかに気配が邪なもので、俺に敵意を感じる。振り返っても両手が塞がっているので何も出来ないし、このまま走るしか無いんだが――
と、突然周りが暗くなった。背後の太陽が隠れたらしい。
……隠れた? 空はこんなに晴れ渡っているのに?
「うぉっ!?」
ガチィッ、という音で、俺は何が起きたか少しだけ把握することが出来た。〈大金剛〉の防壁が大顎で噛まれたのだ。つまり背後の犬とやらはそれだけデカいということになる。そりゃ太陽が隠れる訳だ。
「リュージ! そこで止まれ! 逗留所の方へ犬を近づけるな!」
「わ、分かりました!」
閣下の命に従い兵士を担いだまま振り返って見ると、成程、確かに大まかな形は黒い犬だが――目も無ければ足も六本あり、体高三メートルはある此奴を果たして犬と呼んで良いものだろうか。代わりに、先程まで存在していた〈腕〉が消失している。此奴に変化したという訳か。
〈腕〉改め〈犬〉は〈大金剛〉の防壁へしきりに噛みついているが、俺とレーネの渾身の逸品が作り出した防壁を容易く破れる訳も無い。此奴に目は無いものの悔しそうな表情が見て取れた。
「さて、どうするか……。これだけデカくて凶暴だと始末に負えないな……」
俺はその場に兵士を下ろし、しつこく噛みついている〈犬〉を注視した。今は俺にご執心なので良いが、此奴が閣下や兵たちの方へ向かった時、大惨事になりかねない。
かと言って有効な攻撃がある訳でも無い。見た目こそ犬だが、急所など狙った所で効くものだろうか?
「リュージさん、さっき邪神の腕がその犬へ変化した時なんですが……一瞬、魔核が見えました!」
「……何処にあった!?」
「恐らく、心臓部分だと思います!」
レーネが「恐らく」と言ったのは、別に犬を解剖して確認したことがある訳ではないからだろう。心臓となると、腹の前部分の何処かと考えて良いか。
魔核があるならば倒せる見込みが出てくる。魔核は文字通り魔物の核であり、此奴が『魔物』という体を為しているのならば、核を破壊すれば活動を停止するのが道理なのだ。
「〈シグムントの魔石〉……は、〈神殺し〉があるから使えないか」
〈神殺し〉が有る限り、神の名を冠する『ギフト』の魔石は効果を為さない。考えてみればこれの所為で、俺は邪術師や邪神への対抗手段に乏しくなってしまっているんだな。
――いや、待てよ? 本当に『ギフト』の魔石は使えないのか?
あの時、そうだ、フェロンと対峙した時――
『私は邪術師故、神の力を強く感じ取ることが出来る。君の懐からフューレル、シグムント、アウレレ、カシュナートの力をはっきりと感じるんだよ』
………………。
そうだ、邪術師であるフェロンはあの時、俺が持っている『ギフト』の魔石を言い当てていた。
だが、一つだけ看破出来ていない魔石があった。何故か、〈エルムスカの魔石〉だけ気付かなかったのだ。
「……まさか、そうか。奴が見逃したのは、エルムスカが……」
〈エルムスカの魔石〉は、確かに『ギフト』の魔石であり、神らしき名を冠している。
しかし、『エルムスカ』という神の名を、俺は知らない。そんな神の名は、聞いた事が無い。
「そういうことか……、何故、俺が邪術師たちに狙われるのか。理由が分かった気がする」
俺はそう独り言ちると、後方のレーネへと振り向き、〈エルムスカの魔石〉に魔力を籠めた。
「レーネ! 錬金銃で魔核の辺りを狙ってくれ! レーネじゃないと魔核の位置が分からない!」
「え、えぇ!? でも、鉛の弾丸じゃ壊せませんよ!? リュージさんが付与してくれないと――」
「ここから付与する! ……ああ、方法は後で教える!」
〈エルムスカの魔石〉の効果は遠距離からの付与を可能とすることで、しかも付与自体の効果を激増させる。ここからでもレーネの錬金銃に付与することが出来るという訳だ。
「ああもう! 分かりました!」
「な、なんだその道具は!?」
自棄気味にレーネがマジックバッグから取り出した錬金銃を見て、閣下や兵たちがどよめいている。そう言えば、錬金銃をお披露目するのは初めてだったか。
さて、錬金銃の弾丸へ付与だ。〈鋭利〉を付与すればいいだろう。後は激増した効果で〈犬〉の身体と魔核を貫いてくれると信じるしか無い。
息を整えたレーネが、静かに〈犬〉の魔核がある位置を狙って構える。その錬金銃の内部に籠められた弾丸へ、〈鋭利〉を付与する。
「リュージの名において、何をも貫く刃と化せ、〈鋭利〉! ――〈鋭利〉の付与が終わった! 撃て!」
レーネは言葉では答えず、そのままの姿勢で錬金銃の引鉄を引いた。瞬間、錬金銃から破裂音と共に煙が上がり、〈犬〉の身体が大きく揺れる。
〈犬〉は全身を震わせると、撃たれた反対側へどう、と倒れた。
そしてその身体が黒い霧となって散り、完全に砕けた魔核と、先端の潰れた弾丸だけが残ったのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!