第八二話「それは紛れもなく腕だった」
「…………腕?」
俺の感想はそれだった。腕。巨大な金色の太い右腕が宙に浮いているのだ。それを繋いでいる胴体の姿は無い。
〈腕〉の長さは上腕、下腕を合わせて五メートルはあるだろうか。その〈腕〉に向かって〈鋼鉄公〉を始めとする精鋭たちが、剣と大盾を持ち対峙している。なんとも奇妙な光景だが、これが施設内を慌ただしくしていた原因か。
そして、周りには兵士たちが倒れている。幸いにして大した怪我も無さそうだが、一体全体何が起こっているのか。
「こ……、これは一体……?」
「貴方は下がってください! 俺たちは加勢します!」
理解が追い付かずに呆然としていた案内人へそう告げ、俺はレーネと顔を見合わせて頷き合い、杖を手に〈鋼鉄公〉の下へ駆ける。
「閣下! 加勢に参りました!」
「リュージ!? それとレーネも!? 何故ここに!」
〈鋼鉄公〉は驚いていたが、身体は〈腕〉の方に向けたまま、視線だけをこちらに送っている。なんとも器用なものだ。
と、その隙を突いて〈腕〉が斜めに持ち上がり、横薙ぎの攻撃を繰り出してきた。しかし攻撃範囲ギリギリの距離に立って居られた〈鋼鉄公〉は難なくそれを躱した。〈腕〉はそのまま元の位置へと戻る。
「丁度納品の為に参じた所だったのです。アレは一体何なのですか?」
「……北へ送った偵察隊が一部戻ってきたのだが、その中で、邪術師に操られた者が居たのだ。其奴が召喚した」
悔しそうにそう語る〈鋼鉄公〉が右手の剣で指した先、〈腕〉の近くには、両手をだらしなく下げ、俯いたままに立ち尽くす兵士の姿があった。
「……あら、その声は付与術師リュージかしら?」
その俯いている男性兵士の口からは似つかわしくない、女性の声が零れた。この声は――
「……アデリナか!」
「ええ、ええ、そうですわ。失礼にも私を陰から覗いていた兵士が居たものですから、こうして身体を奪っておきました」
以前のレーネと同じように操っているのか。あの兵士は傷つけずに戦わねばならないし、厄介なものだ。
「邪術師アデリナよ、この腕は何だ。答えろ」
〈鋼鉄公〉がそう問い詰めると、男性兵士の口からは心底馬鹿にしているような、盛大な溜息が漏れた。男性の外見に女性の声なのでギャップが凄い。
「傲慢な物言いですわね、ホフマン公爵。……まあ、良いですわ。これは邪神アブネラ様の御腕です」
「邪神の、腕だと……!?」
予想だにしなかった代物に、〈鋼鉄公〉だけでなく他の面々にも動揺が走る。何故邪神の腕などというものがここに顕現しているのか。
「……ああ、もちろんアブネラ様の御腕を複製したものですが、それでも貴方がたを蹂躙するには十分すぎる御力を持っていますわ」
アデリナの言う通り、複製にしても強大な力を持っているだろう。どう戦えば良いのか想像すら付かない。
「果たして多くの魔晶を使って喚び出した〈神殺し〉の力を持つ御腕に対抗することは出来るかしら? 直接この目で見られないのは残念ですが、精々楽しんでくださいませ」
そこまで話すと、ふっ、とアデリナの気配が消え、操られていた男性兵士が頽れた。
「繋がっていた魔力が見えなくなりましたし、恐らくアデリナとのパスが切れたのでしょう」
レーネはご丁寧に魔力探知をしていたらしい。とは言え相手の本体はシュトラウス侯爵領に居る筈だ。探知したところで追える訳も無いのだが。
「言うだけ言って消えやがったか、まったく、厄介なものを置いていきやがって」
俺はそう毒づいたのだが、それはもうアデリナには聞こえないのが難だ。まあ聞こえたところで愉快そうに笑われるのが関の山なんだが。
「閣下、あの〈腕〉は何か特殊な攻撃をしてきたりしますか?」
どうも周りで倒れている兵士たちが気になり、俺は尋ねてみた。随分と〈腕〉から離れた場所でも被害が出ているようだ。
「あの〈腕〉は不可視の遠距離攻撃を放ってくる。拳を振り上げた後、振り下ろした瞬間に飛んでくる」
「……対抗手段はありますか?」
「耐えろ」
……なんともシンプルで難しい手段だ。俺は躱せるかも知れんが、運動神経に難有りのレーネには荷が重い。
「リュージさん、今、失礼なことを考えませんでした?」
「レーネの運動神経じゃ躱すのは無理だろうなと考えただけだ」
「少しは取り繕ってください……」
レーネは拗ねているが、取り繕ったところで結果は変わらない。俺が前方で護ってやるしか無いか。
「余っている大盾はありますか!?」
「は、はい、ここに!」
呼び掛けてみたら、若い兵士の一人が苦労して大盾を持ってきてくれた。よしよし、これで不可視の攻撃とやらは防げる筈だ。
「って重いな、流石に。これだと魔術の行使は難しいか」
大盾と杖を持って魔術で攻撃、というのを考えていたのだが、これだと集中力が保たない。詠唱にすら入るのは難しい。
「俺が護って、レーネの爆薬で攻撃して貰うのが効率的なんだが……」
「はい、操られていた方が近くに倒れています。爆薬の使用は危険かと」
困ったように眉根を寄せるレーネ。そうなんだよな、先ずあそこで倒れている兵士を助けないとどうにもならない。範囲魔術すら行使出来ないだろう。
「来るぞ!」
閣下の声が上がり、すかさず俺も〈腕〉に視線を移す。〈腕〉は握った拳を振り上げている。あれが下ろされた時に、不可視の攻撃が飛んでくるのか。
「なら、試してみるか」
俺は大盾を構えつつ、懐のある魔石に魔力を籠めた。
もしこれが可能だとすれば――俺があの兵士を助けに行くことが出来る筈だ。
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