第七六話「油断も隙もあったもんじゃ無い」
「……そうして、姉は去って行きました。五年前のことです」
「レーネの姉が、か……」
俺と並んで座りながら長い話を終えたレーネが、深く息を吐く。その憂いに満ちた表情から、それだけ当時のことを思い出したくなかったのだろうということが分かる。慕っていた姉に生まれ育った村を滅ぼされ、自分を理解してくれた錬金術の師匠を殺されたんだからな。
しかし、レーネにそんな暗い過去があったというのも驚きではあるが、一つの村が邪教徒によって滅ぼされたというのは何とも恐ろしい話だ。そのエメラダというエルフはどれだけの力を持っていると言うのか。
「……五年間、か」
「そうですね……ちょっと、長すぎますよね」
長すぎ、というレーネの言葉の意味は理解出来る。流石に五年間も邪教との関わりについて未報告のままだと、異端審問局からの罰則も厳しいものになるかも知れないということだ。
「このことは、一先ずホフマン公爵閣下に相談してみよう。閣下ならば異端審問官と繋がりが有るかも知れないしな。当時はレーネも異端審問局の存在を知らなかったとか、そういうことなんだろう?」
「はい、その通りです」
閉鎖的な村で文化的に遅れていたと言ってたもんな。世間の一般常識を知らないままに一人で生きてゆくことになったレーネは、相当苦労したのだろうな。
「……もし、私がきちんと異端審問局に報告出来ていれば、事態は変わっていたのでしょうか。バイシュタイン王国の宰相閣下もガイさんも犠牲になること無く、今回リュージさんを危険に晒すことも無かったのでしょうか」
「……まあ、そうかも知れないな」
俺は誤魔化す事無く答えた。レーネの為にも、「それは違う」だなんてその場だけ取り繕うような言うべきではない。
「でも、俺のことは気にするな。一蓮托生だと言っただろう?」
「……気に、しますよ」
レーネは溜息交じりにそう答えると、少しだけ俺の側へ身体を寄せてきた。何時もと違う様子の彼女の呼吸を間近に感じ、俺の鼓動が早くなる。
「あの時リュージさんに相棒として誘って貰えなければ、きっと私は今も途方に暮れていたと思います。……姉に裏切られ、マリエに裏切られて。それは世間知らずの私が招いたことだったのに、それを自覚も出来ずに、また誰かに裏切られていたことでしょう」
レーネは一つ息を吐き、そして今まで見たことも無いような、真剣な表情を見せる。まるで、「二度と過ちを犯さない」と自身を戒めるように。
「だからこそ、私はリュージさんを裏切ってはいけないんです」
そこまで話して、レーネは潤んだ瞳で俺を見上げてきた。彼女が言った通り、俺も世間知らずであることを放っておけずに相棒として引き入れた側面もあるし、そこは否定も出来ない。
でも、俺はそんなに、立派な人間じゃないんだ。好きだと言ってくれた彼女に応える権利なんて無いんだ。
そう答えたら、レーネは困ったように眉尻を下げ苦笑した。
そして彼女は、「えいっ」と俺の右腕へしがみ付くように自分の両腕を絡め、体重を預けた。
「私のことを自己評価が低い、と言っていた割に、リュージさんは御自身がどれだけ立派な方か理解されていないんですね」
「……人並みに、出来ることをやってきているだけだ。本当は、俺は他人の目をとても気にしている人間だ。臆病なんだよ」
「臆病なのは知ってます」
心の底から、といった感じで笑われた。……ちょっと悔しい。
しかしレーネは「でもね」と続ける。
「その、出来ることをちゃんと出来る人は少ないんですよ。……それに、事あるごとに御自身を犠牲にして先頭に立ってくれるじゃないですか。そんな人、普通は居ないんです」
「………………」
そんなもん、なんだろうか。
だとしたら、俺は故郷でこそ不幸な目にあったものの、『先生』も含め巡り会った人たちに恵まれていたんだろうな。だからこそ、他人の為に何か出来る人間になろう、と思った訳ではあるのだが。
「私に錬金術を教えてくれたあの人も、御自身を犠牲にして姉に立ち向かってくれました。そんな人やリュージさんを、尊敬出来ない訳無いじゃないですか」
俺の右腕に抱き付いたレーネの腕に少し力が籠もる。彼女の胸からは、早鐘のような鼓動を感じていた。
「リュージさんは立派な人です。私が保証します。……世間知らずな私の保証じゃ、頼りないかも知れないですけど」
「……そんなことは、無い」
俺はレーネの腕を一旦外し彼女に向き直ると、その身体を抱き締めた。肉付きは良いがエルフとしてはやや小さめの彼女の身体は、デカい図体の俺が抱き締めるには余りにもか細い。
「きっと、俺はまだまだ未熟な人間だと思う。……だけど、君の期待は、裏切らないようにしたい」
「そうですね、裏切らないでください」
俺の身体に収まりながら、クスクスと可笑しそうに笑うレーネ。
その表情からは、先程までの憂いは消えていた。
「……で、お前等は何時までそこで覗いているんだ?」
背後の廊下から感じる三つの気配に、俺は振り向きもせずに答える。直後、バタバタと慌てて走り去る足音が聞こえた。
まったく、油断も隙もあったもんじゃ無い。
次回は明日の21:37に投稿いたします!