第六三話「俺が考えたんじゃない」
しなる枝が次々と襲い、ミノリがそれを躱して邪樹を回り込むように駆ける。
だが邪樹に前も背中も無い。回り込んだ所で別の枝が妹を襲う。蔦を脚に巻き付かれそうになり、ミノリは慌てて飛びすさった。
「くっ! 中々近づけないし、動きが読めない!」
動物であれば視線や筋肉の動きである程度行動が予測出来るが、目も筋肉も無い植物では予備動作から予測は出来ない。敏捷性を活かした戦い方のミノリにとってはやり辛い相手なのだろう。
しかも悪いことに左は斜面、右は大岩に阻まれている。迂回するとなると大岩の方だが、抜けられる保証は無い。
「ミノリ! 無理はするなよ! 厄介なら逃げて迂回も有りだ!」
「いや……リュージ兄、根元を見て」
「根元……っておいおい、マジか」
ミノリの冷静な声に邪樹の根元を見てみると、太い根が地中から迫り出してきている。どうやら自力で移動出来ない植物というハンディキャップを無視するようだ。
「ええい!」
後ろからレーネが投擲した薬瓶が、抜け出しかけている邪樹の根元に落ちて轟音と共に直上へ爆発した。邪樹には火が付いて――
「うわ! あぶなっ! あぶなっ!」
炎は瞬く間に邪樹の全体へ拡がったのだが、熱によるダメージなど構わぬように邪樹は燃えた枝を振り回し、悲鳴を上げてミノリが逃げる。
「ごっ、ごめん! ミノリ!」
「だ、だいじょぶ! びっくりしただけ!」
とは言え、燃え盛る邪樹は近寄るだけで火傷しかねない危険な代物になってしまった。このまま燃え尽きるまで待つという手もあるが、すっかり奴の根は地中から露わになり、自力での移動を始めている。
「レーネはベルと下がっていてくれ! 俺たちで何とかする!」
錬金銃でも魔力は使う為、レーネに無理はさせられない。二人を下げてから俺とスズも魔術で応戦する。が、やはりこの黄金シリーズは魔術防壁を持っているようで効き目が悪い。
「ここは手持ちの魔石で何とか出来るか? 〈シグムントの魔石〉を使うか……?」
〈シグムントの魔石〉ならば魔術防壁を無視して邪樹に風穴を空けられる。しかし問題は、俺が魔力切れを起こして倒れてしまうことだ。悩ましい。
あれこれ打開策を考えていると、ちょんちょんと腰を突かれた。同じく打開策に悩んでいたスズだった。
「リュージ兄、使った後魔力切れを起こすから、〈シグムントの魔石〉は危険。使うなら〈フューレルの魔石〉」
「え、いや、そりゃ〈常温の魔石〉があれば火傷はしないが、あの枝と蔦を掻い潜って幹に辿り着くのはしんどいぞ」
武器を持たないことで大きな恩恵を受けられる〈フューレルの魔石〉を使うということは、即ち肉弾戦を挑めということだ。ミノリでさえ回避に難儀しているというのに、俺が近寄ってまともに躱せるとも思えないのだが。
「だいじょぶ。スズに考えがある」
そう言って、いつも通りのポーカーフェイスながら何処か自信満々に作戦を語るスズ。
その内容に、俺は少し呆れてしまった。
「なあ、本当に大丈夫なんだよな?」
「だいじょぶ。…………息が合えば、たぶん」
不安に駆られて尋ねたのだが、末妹からは何とも頼りない答えが返ってきた。失敗したら俺の脚が折れかねんのだが。
念の為、燃えたら大変なので外套とマジックバッグはレーネたちに渡していく。流石に二度も妹たちの前で「服が燃えた」という報告はしたくないので、万が一俺に火が付いたらスズの水魔術で消して貰う事もきちんと言い含めておく。
「さて、準備は出来たな。……ミノリ! 合図したら中央を空けてくれ! デカいのを飛ばす!」
「え? 何? デカいのって何!?」
「デカいのはデカいのだ!」
会話になっていないのだが、ミノリは困惑した様子ながらも「りょ、了解!」と返してくれた。
「偉大なる魔術の神よ、その力の片鱗を我が手に、我が兄を撃ち抜く鉄槌をください」
スズが遠慮無く詠唱を始める。いや、我が兄って。合ってるけどさ。
「ん? 我が兄?」
ミノリも詠唱の内容に疑問を覚えたらしく。枝や蔦を躱しながら首を傾げている。そりゃそうだ。
俺はタイミングを見計らい大きくその場で跳ね、頭が邪樹の方へと向くように身体を傾けた。身体能力が飛躍的に向上しているので、高さは十分に確保出来ている。
「〈ミョルニール〉」
スズの詠唱が完成し、魔力で出来た不可視のハンマーがそこに現れたことが分かる。
「避けろ、ミノリ!」
大声で叫んだ俺は、そのまま横薙ぎに振るわれたハンマーに着地し、大きく膝を曲げた。
「ぐぅっ……!」
足裏からもの凄い圧力を感じたが、負けるわけにもいかず膝を伸ばす。ハンマーの勢いに膝の力が加わって、俺の身体は邪樹に向かって真横に吹っ飛んだ。
「え……嘘ぉ!?」
とんでもないスピードで飛んでいった兄の姿にミノリが驚いていたように見えたが、俺はそれに構う事無く空中で半回転し、枝や蔦を掻い潜って両足を邪樹に叩き込んでいた。
高速で飛翔した一〇〇キロの身体から繰り出された蹴りは、容赦なく邪樹を真ん中からへし折ったのだった。
「魔核みっけ」
丁度蹴りでへし折った場所にあったらしく、邪樹の魔核は死骸(と言っていいのか分からないが)の近くに転がっていた。
「あたし、長いことリュージ兄の妹やってるけど……こんな無謀な戦い方初めて見た」
「文句はスズに言え。俺が考えたんじゃない」
「ぴーす」
無表情で二本指を立てるスズ。兄の身体を何だと思ってるんだ、まったく。
「リュージさん、これ……」
「ん?」
先程までベルと一緒に隠れていたレーネは邪樹を調べていたようだったが、何か見つけたようで布に包まれた何かを差し出してきた。
「これは……あの針か」
炎で煤けてはいるが、何時ぞやの熊などの魔獣を創り出していた金色の針に間違い無い。
「と言うことは、この樹もこれで魔物化したってことか」
「はい、恐らく」
バイシュタイン王国の宰相エルマーや〈ベルセルク〉のガイに関わっていた邪術師フェロンは既に死亡している。となれば、この針を使って暗躍する他の邪術師が居るということなのだろう。
「……そう言えば、この邪樹へ近付く前に、南の方へ遠ざかる反応があったんじゃないか?」
「そう。それ、気になってた。たぶんそれがこの邪樹を生んだ邪術師」
聡明なスズはすぐに気付いていたらしい。その反応が邪術師だとしたら、今度は南の方……つまりライヒナー侯爵領で暗躍する可能性がある。
「すぐにザルツシュタットへ戻ろう。事の次第をライヒナー侯とホフマン公爵閣下にお伝えしなくては」
俺たちは早々に森を抜け、南のザルツシュタットへと急ぎ足で向かったのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!