第五五話「無茶な依頼に目が覚めた」
ホフマン公爵閣下の来訪に俺たちはのんびりしていた空気も吹っ飛び、慌てて客間で茶の用意などを進めた。「気にするな」と言われたがそうもいかない。
「ほう、これはナレリー草の茶か。ふむ、摘みたての香りが良いな」
「あ、ありがとうございます。お詳しくていらっしゃるのですね」
「まあ、爵位を持っていれば必要も無い茶会に招かれるからな。自然と茶には詳しくなる。そんなことをしている暇があるならば鍛錬をしていたいところだと言うのに」
「あはは……」
茶を出したレーネが顔を引き攣らせている。まあ、公爵閣下に茶をお出しするなんて体験は初めてだろうからなぁ。ちなみに、流石にビーカーではなくティーカップである。
「初めて会った時は寂れたザルツシュタットなどに工房を持つなど、と思ったが、今ではすっかり要衝と呼ばれていた頃の姿に戻りつつある。鉱山もお前たちが鉱脈を見つけて再開坑へと導いたと聞いたが?」
「ご存知でしたか。はい、俺とレーネが調査へ向かい鉱脈を見つけました。まあ、大地震で勝手に鉱脈が露見していただけですが」
そう、あの鉱脈は一年前の大地震の所為で現れただけで、俺たちは偶々運が良かっただけだ。他の誰かがあの廃坑へゴブリン退治に行っていれば見つけていただろう。
「そうだとしても、一度は廃坑となった所だ。わざわざ見つけに行く輩もおらぬだろう。港の復旧といい、お前たちは天運に恵まれているのだろうな」
「天運……ですか……」
もしホフマン公爵閣下の仰るように俺たちが天運に恵まれているのだとすれば、邪術師の陰謀などに巻き込まれることも無かったと思うが、まあそれについては今言うことでもあるまい。
「それで、公爵閣下。閣下は近衛騎士団長でいらっしゃると存じておりますが、何故にザルツシュタットへいらっしゃったのかお伺いしても宜しいでしょうか?」
俺は雑談もそこそこに、気になっていたことについて尋ねてみることにした。このお方は騎士団長というだけでなく国王陛下の護衛も務めておられる筈だ。偶に王女殿下のお忍びで護衛を務めることもあるようだけど、まさかまた殿下がいらっしゃっているのだろうか?
公爵閣下は「それについてだが」と口にしてから、茶を一口含むと、俺とレーネを交互に見据えた。
「ここより北のシュトラウス侯爵領で起きていることについて、話しておく必要があるな」
「シュトラウス侯爵領……ですか?」
レーネが首を傾げる。シュトラウス侯爵領と言えば、ここライヒナー侯爵領の北に接する、文字通りシュトラウス侯が治める土地である。正直、侯爵についてはあまり良い噂を聞かないが、ライヒナー侯のように出来た侯爵というのも珍しいのでそこは置いておくべきだろう。
「そうだ。これについては無用な混乱を避ける為に今の所口外しないで欲しいのだが……シュトラウス侯爵領にある東の森で、魔物の活性化が報告されている」
「……まさか、スタンピードが起こる、と?」
スタンピード。それは魔物が活性化し、増加する現象である。その原因は未だに不明であるが、多種多様な魔物が集団で行動するようになり、スタンピードの通った土地は蹂躙され、滅ぼされる運命である。
俺と妹たちも『先生』と一緒だった頃にスタンピードで滅ぼされた町を見たことはあるが、それは酷いものだった。まるで強烈な嵐でも通り過ぎたかのように、何もかもがズタズタに切り裂かれ、生き物の痕跡すら無くなってしまうのだ。
……ということは、近衛騎士団長がここに居る理由は……。
「想像している通り、某がこの町に来たのはシュトラウス侯爵領へ向かう隊の指揮を執る為だ」
「……そうでしたか。もしかしてこちらへいらっしゃったのも、その為の準備ということでしょうか?」
「その通りだ。話が早くて助かる」
レーネの言葉に頷くホフマン公爵閣下。なるほど、そういうことであれば暫くのんびり、という訳にもいかなくなるな。
「そういう訳で、一〇〇名分の〈金剛の魔石〉と回復薬を用意して欲しい。頼めるだろうか?」
………………。
暫くのんびり出来ない、とか甘い考えを持っていた数秒前の自分を殴ってやりたくなり、俺は茶を啜る姿勢のまま固まっていたのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!