第五〇話「異形の悲鳴が俺たちを斬り裂く」
魔人マリエの金色の瞳が俺を射貫く。エルマーとは違い、元の姿が微妙に残っている為に一見して助かる見込みもありそうだが、そんな事は無いだろう。自我が既に壊れていることが見て取れる。
「アアアアアアアアアアアア!」
甲高い悲鳴のような声が、俺たちの鼓膜を打つ。それは異形へと変貌した自らへの嘆きか、はたまた獲物を追い詰める咆吼か。
「あぐっ!?」
その悲鳴はどういう理屈なのか、俺とミノリの身体を斬り裂いていた。血飛沫が上がったが、幸いにも急所は免れているようだ。
しかし何度も同じ事をやられては危険だ。なんとかしなくては。
「ちぇぇぇいっ!」
大振りを躱し、〈鋭利〉の掛かったミノリの〈ペイル〉が、マリエの二本ある右腕のうち一本を易々と斬り飛ばす。更にはそのまま〈ヤーダ〉を振り切り、もう一本も斬り飛ばした。
「リュージさん、ミノリ、下がってください!」
「おう!」
「わかった!」
何時の間にか近づいていたレーネの声に驚くこともなく、俺たちはバックステップでマリエから距離を取る。
そこへ、薬の入った瓶が投げ込まれて猛烈な炎を上げた。マリエの右腕二本が焼かれ、再生が阻まれる。
「っとぉ! 危ねぇ!」
右側に炎を纏うマリエが、俺を狙い、残るその左腕二本を振るった。危うくその爪で顔面を抉られる所だったが、既の所で躱す。
だが躱した筈なのに、俺は次の瞬間吹っ飛ばされ、再び廃屋の壁に叩きつけられた。蹴りを食らったようだ。痛い。
「ってうわっ!?」
追い打ちを掛けるように突っ込んできたマリエを、転がって躱す。俺まで炎に巻き込む気だったのか?
俺は燃えなかったものの、廃屋に火が付いた。このままでは家全体が燃え落ちてしまうだろうが、構っている暇は無い。
「偉大なる魔術の神よ、その力の片鱗を我が手に、そしてあの哀れな異形を貫く力をください、〈グングニール〉」
スズの詠唱と共に後ろから熱線が放たれ、マリエの胸を穿つ。しかし魔核は外したのか、異形はスズの方へとその金色の瞳を向ける。
「おっと、行かせないよ!」
ミノリがマリエとスズとの間に割入り、鮮やかな剣捌きでマリエの爪を弾いてゆく。時折放たれる蹴りもまるでダンスでもするように舞いながら躱している。
さて、マリエが纏っていた炎も消えた。俺も仕事をするとしよう。
「リュージの名において、我が肉体に何をも砕く力の一端を与えん、〈砕〉!」
一時付与術を使い次の一撃の威力を高めた所で、腕を失っているマリエの右側から突っ込む。
そして正拳下段突きを放ち、マリエの右大腿骨を粉砕した。バランスを崩したマリエの身体が傾く。
そこへ再びの破裂音が鳴り響き、マリエの額が正確に撃ち抜かれた。またレーネがあの錬金銃を使ったのだろう。
脳にダメージを負ったマリエは仰け反り、倒れる。
「くたばったか?」
「……ううん、リュージ兄、まだだよ」
近付いて確認しようとした俺を、ミノリが制する。妹の言う通りで、マリエはまるで何かを言いたげにガチガチと歯を鳴らしながら顎を動かしている。
「……ロシテ……」
「え?」
「コロシテ…………」
「………………」
……とばっちりで邪神の力を纏ってしまい、異形と化してしまった上に、まだ少し自我が残っているとは。何とも言えぬ気持ちになるな。
居た堪れない気持ちになったのは俺だけではないらしく、ミノリも溜息を吐きながらかぶりを振っている。
彼女の望み通りに、ここは殺してやるのがただ一つの救いなのだろう。
「ア…………」
ミノリが腕の無い右側から、〈ペイル〉を逆手に持ち、ガチガチと歯を鳴らすマリエの心臓を狙う。
そして――
「アアアアアアアアアアアア!」
「きゃあっ!?」
「ぐぅっ!?」
油断していた俺たちは、再びの悲鳴により切り刻まれてしまった。俺も中々の深手ではあるものの、ミノリに至っては意識を失ってしまったらしく、その場に頽れた。慌てて近寄り、妹の身体を異形から引き離した。
「う……うぅ……」
「……マズいな……傷が深い。レーネ! 薬を――」
「リュージさん!」
妹を抱えてレーネの元へ行こうとしたところで、レーネが俺の背後を指さしながら叫んだ。
振り向くと、何時の間にか上体を起こしていたマリエが、拳を振るわんとしているところだった。しまった――
「がっ!」
左脇腹に強烈な衝撃を受けて、俺たちは吹っ飛ぶ。
だが、妹を護らねばならない。俺はミノリを抱えたまま空中で姿勢を変え、家屋の壁に叩きつけられた。これで三度目かよ!
「リュージさん! 無事ですか!?」
「どう見ても……無事……じゃあ、無いな……」
近寄るレーネに、先ずはミノリを引き渡しながらそんな答えを返した。左の肋骨が二、三本イカれたかも知れない。
マリエはまだ足が治りきっていないようで、立ち上がろうとしては崩れ落ちる、を繰り返している。暫くは時間が稼げるか?
「ミノリの様子はどうだ?」
「良くないですが、薬でなんとか。でも、すぐに意識は戻らないかも知れません」
明らかにあちこちから酷い流血をしているからな。そのショックもあるということか。
「そうか……スズ! 少しの間頼む!」
「ん」
脇腹の痛みに構わず大声でスズに呼び掛けると、承知したとばかりに末妹は雨あられと魔術を繰り出し始めた。前衛が居ない以上、遠慮無く手数で攻めようということか。
「レーネ、錬金銃の銃弾でマリエの魔核を撃ち抜けるか?」
「……難しいと思います。鉛なので、魔核を撃ち抜くには至らないかと」
「そうか……」
ミノリの手当てを続けながらレーネに尋ねてみたものの、そう簡単にはいかないらしい。魔核は強い魔物ほど硬度を増すからな。柔らかい鉛では撃ち抜けないのも仕方ない。〈シグムントの魔石〉が使えればいいんだが、再使用までには時間が掛かる。
いや、そうか。鉛だと柔らかすぎるから撃ち抜けない。ならばその硬度をどうにかしてしまえばいいのか。
「……だったら、こういうのはどうだ?」
俺は一つの考えをレーネに語って聞かせた。錬金銃の機構が分からない以上想像の域でしか無いのだけれども、銃弾に限った話であれば間違っていない筈だ。
ミノリの手当てを終えたレーネは、俺に回復薬を渡しながら少し考え込んでいたものの、問題無いとばかりに頷いて見せた。
「はい、出来ると思います。ただ、リュージさんと一緒に狙う必要がありますが」
「了解。だったらもう一度マリエの動きを止めるか。そこで狙おう」
俺は足が再生しようとしているマリエの方を見据え、覚悟を決めた。
さあ、仕切り直しの二戦目と行きますか。
次回は明日の21:37に投稿いたします!