第四八話「これが邪神の力か」
「…………あ?」
スズを掴んでいた左腕を支える肩がごっそりと消え去ったことに気付き、ガイは間抜けな声を上げていた。しまった、僅かに狙いが逸れたか。
「おやおや、言った側から失敗しているではありませんか」
「ぎ、ぎゃあああああああああ!」
一瞬呆けていたガイだったが、呆れたようなフェロンの言葉で我に返ったようで、右手で掴んでいたミノリも取り落とし、狂乱した様子で血の噴き出した左肩を押さえていた。
しかし俺も、大出力の技を放った為に魔力を使い切り、膝を突いてしまった。
「う……ぐっ……」
「リュージさん! 大丈夫ですか!」
「ああ……、魔力を、持って行かれた、だけだ……」
慌てるレーネに向けて、俺は脂汗を掻きながら苦笑を浮かべた。
〈シグムントの魔石〉は、触れたものを消し飛ばす光の弾を放つ、光の神シグムントの名前を戴く魔石だ。
その威力は見ての通り絶大なのだが――如何せん、体内の魔力を使い切るという特徴があり使いどころは難しい。
「魔力ですね! 今お薬を出します!」
レーネはごそごそとマジックバッグをまさぐっているが、ガイも待ってくれるほどお人好しではない。憤怒を浮かべ、右手に剣を携えるとこちらへと近づいてきた。
「テメェ! 殺す! 殺してやる! テメェも魔晶に変えてやるぞおおおお!」
ぐらつく視界の中、なんとか立ち上がりながらガイの言葉を受け止めた俺だったが、その中に聞き過ごす事の出来ない内容があり、意識がクリアになっていく気がしていた。
「……俺、『も』魔晶に『変えてやる』……?」
……まさか。
「おい、ガイ。まさかその魔晶とやらを作り出す為に、人の命を使っているんじゃないだろうな……?」
「あぁ!? ンな事ァどうでもいいだろうがァ!」
俺の言葉に付き合うつもりも無いガイが、ゆっくりと近付いてくる。このままマトモに動けないままだと非常にマズいのだが――
「させない!」
「ぐがっ!?」
復活したミノリが、ガイの後ろから思い切り〈ペイル〉と〈ヤーダ〉で斬りつけた。でも、魔晶とやらのお陰で肉体的な防御力も上がっているのだろう。あまり効いていない様子のガイが舌打ちしながら振り返り、逆にミノリへと斬りかかる。
しかし二度も不意を突かれるミノリでは無い。猛烈な速度で放たれたガイの斬撃を軽々と〈ヤーダ〉で受け流すと、逆にガイの残された右腕へ〈ペイル〉で集中的に斬りつけてゆく。
「ああクソ! ミノリ! 俺の女のテメェも魔晶行きだ! ショーンみてぇに生きたまま苦しみを味わわせ、俺の力へと変えてやる!」
「誰があんたの女だ気持ち悪い! 寝言は寝て言え!」
心底嫌がっていると顔で訴えながら、ミノリはガイへの斬撃を続ける。普段は盾を持っている為に剣で受ける発想など殆ど無いのだろう。盾を持たぬガイは斬撃を受けきれず、残る右腕に傷を作ってゆく。
しかし、あの魔晶とやらはショーンの命を使って作られたというのか。邪術の行使には生贄が必要だと言うし、やっぱりな、という印象ではあるが。
「リュージさん、少し痛いですが、我慢してくださいね!」
「え? 我慢――痛ぇっ!」
レーネの言葉と同時に、ミノリの奮戦を見守っていた俺の右肩に何かが突き刺さった。ちょっとどころじゃなくて滅茶苦茶痛いんだが!
「……お? 魔力が……」
「効きましたか? やっぱり注射は即効性がありますね!」
レーネが何やら太い筒状のものを抱えて微笑みながらそう宣う。いや、右肩はズキズキ痛むし血が滲んでいるしで、俺は助かったものの何と答えて良い物か閉口してしまった。
……まあ、魔力が戻ったのだし、とっとと働くべきだろう。ガイはミノリが抑えているし、俺はあのフェロンという奴を片付けねば。
「……え? マ、マリエッ!」
レーネの悲痛な叫び声に彼女の視線を追うと、苦悶の表情を浮かべるマリエと、彼女に向けて手を翳しているフェロンが居た。此奴、何をする気だ!
「マリエから離れろ!」
「ふむ? 私は彼女に手を翳しているだけなのだが。他に何かをしているように見えるのかね?」
薄笑いを浮かべながら白々しいことを抜かすフェロン。マリエの身体は、彼女が首に提げたペンダントが放つ金色の光に這い回られ、ぼうっと輝いている。
「リュージ兄、レーネ、邪術師はその言葉で人を惑わし、そして命を弄ぶ。話なんてムダ」
いつの間にやら復活していたスズが、杖を構えて詠唱の準備に入っていた。その表情には普段見ることの出来ない緊張が浮かんでいた。
「さて、付与術師リュージよ。離れろというのであれば実力行使をしてみたらどうかね? それとも妹たちばかりに働かせて自分は動く気が無いのかな?」
邪術師フェロンはそう言い放つと、翳した手はそのままに肩を竦めて見せた。
「……炎の矢よ、眼前の敵に突き刺さり燃え上がれ、〈ファイア・アロー〉!」
お望み通り炎の矢を撃ち込んでみたが、突如奴の足元から迫り出した金色の触手がそれを阻んだ。やはりか。
「……見え見えなんだよ。お前、周囲にそれを張ってるんだろ。高出力の魔力が見える」
「おや、バレていたか。まったく目聡いものだ」
こちらを嘲るような含み笑いは非常に心を苛つかせるが、挑発に乗っては駄目だ。ここはスズの高等魔術に頼った方が良い。
「偉大なる魔術の神よ、その力の片鱗を我が手に、そしてあの邪神の僕を貫く力をください、〈グングニール〉」
そうこうしている内にスズが詠唱を終える。
妹の杖の先から太い熱線が迸り、邪神アブネラの使徒へと向かう。幾ら奴の触手が高い防御力を誇っていたとしても、この高出力の魔術は防げまい。
しかし自らの命が風前の灯火であるにも関わらず、フェロンは気持ちの悪い薄笑いを浮かべたままだった。
「な……」
いつも冷静沈着なスズの口から、驚愕が漏れた。
スズの十八番である熱線魔術を受けたにも関わらず、フェロンは変わらずその場でマリエに手を翳していたのだ。
「無傷……? いや……、〈グングニール〉が消えた……?」
明らかに熱線はフェロンへ向かった。しかし、奴の目の前で霧散していたように見えた。〈アンチ・マジック〉のような魔術障壁であればぶつかる衝撃くらいは見えるのだが、消えたというのはどういうことだ?
「……〈神殺し〉の邪術」
ぼそっと、俺の隣に居るレーネが呟いた。その言葉には何処か悲しみが含まれているような気がした。
「そうか! 邪神アブネラの力か!」
「おやおや、今頃気付いたのかね? 邪術師なのだから邪術が使えて当然だろう?」
出来の悪い弟子を見るように、呆れたような態度を見せるフェロン。一々言動に腹が立つが、イライラしていても相手の思う壺だ。
邪術師、と言うか、邪神アブネラの力として有名なものに、〈神殺し〉の力がある。
邪神アブネラは相手がどのような神であるかを知っていれば、その力を無効化することが出来るのだ。そのお陰で、旧神と呼ばれる神々は滅ぼされてしまった。
新神である魔術神エウレルでも、既に正体を知っているので対抗出来るということか、厄介なものだ。
「あア、あああアアア……」
「ふむ、些か贄の力が足りないか。最近は魔晶を作りすぎていたからな」
徐々に身体自体から金色の光が放たれるようになったマリエをつまらなそうに眺めていたフェロンが、斬り結んでいるミノリとガイの方に視線を向けた。
……まさか。
「ミノリ! そこから離れろ!」
「わ、わかった!」
俺の言葉に従い、ミノリは慌ててその場から飛び退いた。血を流しすぎ、体力の尽きたガイだけがそこに取り残される。
「ミノリィ! テメェ、また俺から逃げんのかよォ! 逃げんじゃねぇよォ!」
血塗れのガイが叫ぶ。
それは身勝手な慟哭であったが、命が尽きようとしている奴を思えば哀れとも感じられた。
「いやいや、君はここまでだよ、ガイ」
「あァ!? フェロン、邪魔すんじゃ――」
どすっという重い音が鳴り響き――
ガイの言葉はそこで切れた。
次回は明日の21:37に投稿いたします!