第三〇話「幕間:スズの見た地獄」
※スズの一人称視点です。
「おいスズ! ミノリは何処へ行きやがった!」
……今は魔術書を読んでいて、ガイに構う暇なんて無いのに。
魔術書を畳んで、手下のショーンと胡散臭い新入りのマリエを引き連れてやって来たガイを半目で睨んだ。ミノリ姉はこの男のことをサルって言ってるけど、なかなかどうして的確な表現かも知れない。欲望に忠実でギャーギャーと喧しい所とかそっくりだ。
「ミノリ姉なら、昨日街を出て行ったよ。行き先はスズも知らない」
本当は知ってるけど、ガイには内緒だ。この男はミノリ姉に気があるから追い掛けるつもりなんだろう。でもそんなことはさせない。
そもそも、スズとリュージ兄、ミノリ姉だけで組んでいたパーティをショーンと一緒に乗っ取った挙句、リュージ兄を追い出したガイに恨みこそあっても義理なんて無い。どうしてスズに聞いて教えてくれるなんて思っているんだろう? サルだし頭が足りてないのかな?
「嘘吐いてんじゃねぇ! テメェが知らねぇ訳ねえだろ!」
「知らないものは知らないってば。スズ、今魔術書読むのに忙しいからあっち行って」
スズは再び魔術書に目を通し始め、素気なくしっしっと右手だけでガイを追い払った。こうすると逆上するけど、度々騒ぎを起こしてギルマスから目を付けられているこの男は、黙って引き下がるのを知っている。
「クソガキ……テメェ、何様のつもりだ?」
「それはこっちの台詞。パーティリーダーなんて名乗っては居るけど、リュージ兄もミノリ姉もガイの後始末にいっつも奔走してた。今頃解放されて気楽になってるでしょ。何様っていうのはガイこそ自覚した方がいいよ」
そこまで言った所で、ガイはあろう事かスズの持っていた魔術書を引っ掴み、乱暴に投げ放ってしまった。壁際に居た白いローブの魔術師が首だけ動かしてそれを避け、魔術書は壁に叩きつけられてしまった。
「ちょっと、あれ借り物――」
文句を言おうとした所で鼻に強い衝撃を受け、スズは仰け反って椅子ごと倒れてしまった。
……まさか、殴られ――
「おい、クソガキ! いい気になるなよオラァッ!」
襟首を掴まれ、思いっきりお腹を殴られた。あまりの衝撃に胃液が逆流して辺りを汚す。周りで悲鳴が上がった。
あ、駄目……胃液の所為で苦しくて息が出来ない……。
「ちょ、ちょっとガイ! マズいって! 死んじゃう!」
「あぁ!? 何がマズいんだマリエェ! 悪いのはこのクソガキだろうが!」
止めようとしたマリエの言う事など何処吹く風で、逆上したガイは更にスズのお腹を殴り続けた。皮肉なことにそのお陰で僅かばかりに気道が確保出来て、スズは呼吸を続けることが出来ている。
「おい! ガイ! 何をしている!」
ガイに吊り下げられ殴られ続けていたスズの身体は、荒々しく誰かにもぎ取られ、背中を叩かれてようやくマトモに呼吸が出来るようになった。この声は……ギルマス? 頭がぼうっとしてよく分からない。
その後ギルマスらしき人はガイに何か説いていたようだったけど、スズの記憶はそこで途切れた。
翌日、スズは魔術書を持ち主の魔術師に返した。壁に叩きつけられた所為で少し装丁が崩れてしまったことを謝罪したものの、その魔術師も昨日の騒動を知っていたので何も言わなかった。まだ読み終わっていないし後ろ髪引かれる思いだけど、これ以上何かあって魔術書をボロボロにされては申し訳ない。
そしてすぐに冒険者ギルドの受付に行き、街を出る手続きをしようとしたところ。
「なぁスズ、何処へ行くんだ?」
パーティ脱退届とベッヘマーからの転出届を書いていたところで背後から響いた声に、筆を止めた。
「……ガイには関係無い」
「関係無い訳ねぇだろ? 勝手にパーティから抜けるってどういうことだよ、なぁ?」
「……個人の自由」
そう言ったところ、スズが書いていた二枚の書類はガイに奪われ、ビリビリに破られてしまった。
「何するの」
「テメェがパーティを出て行く事は許さねぇ。ミノリの行き先まで連れて行け」
文句を言ったけど、ガイとショーンに両腕を掴まれて身動きが取れなくなった。助けを求めてギルド受付のお姉さんを見ると、あまりの事に呆然としていたようだったけど、それで我に返ったようだった。
「ちょっとガイさん! スズさんの言う通りパーティの脱退は個人の自由ですよ!」
「うるっせぇな受付風情が! 指図するんじゃねぇ!」
罵声を浴びせられた受付のお姉さんがギルマスを呼びに行っている間に、スズはギルドから連れ去られてしまった。
「ちっ、まだ吐かねぇのか。しぶとい奴だな」
頭から水を被せられ、スズは目が覚めた。路地裏に連れ去られた後に殴られ続け、失神してしまったようだった。
「おいマリエ、〈ヒール〉を掛けてやれ」
「ガイ、や、やっと解放してやるつもりになったの?」
マリエの声が震えている。コイツも胡散臭い女だけど、流石に今ガイがやっていることに引いているようだった。
でもガイの方は、馬鹿にしたような目をマリエに向けている。
「あぁ? 何言ってんだよ。そんな訳あるか」
「え? じゃあなんでよ?」
「死なねぇように回復させて、痛めつけ続けるんだよ。ミノリの居場所を吐くまでな」
当然だろう、とでも言うようにガイが言い放った言葉に、マリエとショーンが揃って顔を青ざめさせた。
……まさか、ミノリ姉の居場所を教えないと、スズはずっと殴られ続けるの?
「オラ、やれよマリエ。……あっ! 待ちやがれ!」
耐えかねたスズは、一瞬の隙を突いて路地裏から逃げ出した。ずぶ濡れで腫れ上がっているスズの顔を見た通行人が、ぎょっとした表情を浮かべる。
でも、冒険者ギルドに戻っても同じ事をされるだろう。なら――
スズは手紙を書くべく、商工ギルドへと向かったのだった。
「う……」
「気が付いた? スズちゃん」
スズは、どうやら誰かに膝枕をされているようだった。スズを見下ろしているそのエルフの穏やかな顔は、見たことがある。確か以前マリエと二人組のパーティを組んでいたレーネという人で、一緒に依頼もこなしたことがあった筈。
「ここは……?」
「ギルドの裏手にある修練場。お兄さんとお姉さんが来てくれたし、取り敢えずの手当てはしたから、もう大丈夫だよ」
その言葉にスズは痛む身体を慌てて起こし、リュージ兄とミノリ姉の姿を探した。
ミノリ姉はすぐ側に居た。無表情だけど怒りに満ちた顔を何処かへ向けている。リュージ兄は――
「あっ……」
ミノリ姉の視線を追って見れば、リュージ兄は修練場の中心でガイと距離を取って睨み合っている。これは一体……?
「リュージ兄は、あたしを賭けてガイと決闘してるの」
ミノリ姉が、ガイの方を睨み付けながらそう語った。
そして、スズの方を向いて笑みを浮かべた。リュージ兄の負けなど微塵も信じていないような、そんな顔。
「大丈夫。あたしたちの兄貴だもん。ガイになんて負けないよ」
次回は20分後の22:37頃に投稿いたします!




