第二五話「金色の魔物は狂乱する」
「しっ!」
ディートリヒさんが黄金熊の攻撃を受けた直後、音速で飛び出したミノリが二振りの魔剣〈ペイル〉と〈ヤーダ〉でその太い右前肢を斬り裂いた。
魔剣は古代語のその名に相応しい切れ味を誇っている。……が、普通の獣であれば斬り飛ばされている筈の右前肢には、僅かな傷しか付けられていなかった。嘘だろ? 〈豪腕〉まで付与されているミノリの斬撃だぞ?
「ちっ! なんだこいつ、堅い!」
舌打ちしたミノリは黄金熊の背後へと回り、首を飛ばそうと一閃を放つ。だが、鈍い音と共にそれは阻まれてしまい、熊の首には傷一つ与えることが出来なかった。
「ツェツィ様、レーネと一緒に下がってください! この熊は普通じゃない! 魔獣です!」
俺はそう言って荷車から離れ杖を構えた。この熊からは明らかな強い魔力を感じる。普通の獣であればこんな事は無い筈なのだ。それはつまり、獣が魔物化した存在――魔獣であることを示している。
「ミノリ、気を付けて! この熊、傷が再生してる!」
「えっ!?」
レーネの言葉に黄金熊の右前肢へと視線を向けたミノリが、信じられないものを見たとばかりに目を見開いた。確かに、目で見て分かる傷があった熊の右前肢には、既にその痕跡すら見えない。
黄金熊はと言うと、まるでミノリの斬撃など気にしていないように咆吼を上げ、ディートリヒさんへと鋭い爪を振り下ろした。あまりの力に〈金剛〉は役に立っていないようで、盾から鈍い音が響いた。
「魔素よ! 私の元へ集いあの熊を貫きなさい! 〈ライトニング〉!」
「炎の矢よ! あの熊の面で燃え盛りなさい! 〈ファイア・アロー〉!」
一筋の電撃が熊の胸を直撃し、炎の矢が黄金熊の顔面を直撃して燃え盛る。電撃はレーネのものだが、炎の矢は意外なことにツェツィ様の攻撃だった。王女殿下とは言え、身を守る術は心得ているということか。
だが、電撃はまるで効果が無かったようだし、黄金熊が軽く首を振り払っただけで火は消えてしまった。普通であれば、五秒程は消えずに持続するのだが……。
「魔術的な防御機構も持ち合わせているってことか。ミノリ、戻れ! 〈鋭利〉を付与する!」
「分かった!」
俺の指示を受けたミノリは熊の攻撃範囲に入らぬよう大回りしたものの、瞬時に俺たちの元へと戻ってきた。どれだけあの熊に効くかは分からないが、武器の効果を高める一時付与の〈鋭利〉を魔剣に施しておかねば。
「ぐっ……、盾が保ちません!」
如何な近衛騎士の大盾と言えどあの巨大熊の攻撃を受けるのは厳しいらしく、ディートリヒさんが悲鳴に似た声を上げた。
ここでディートリヒさんの盾が壊れてしまっては瓦解してしまう。ミノリへ一時付与を施した俺は、耐える護衛騎士の背中に手を当てた。
「リュージの名において、この者が持つすべての物の姿を戻す力を与えん! 〈修復〉! ……一時的に盾と鎧の時間を戻し修復を行いました! 時間が経てば元に戻りますが、もう少しだけ耐えてください!」
「かたじけない!」
こちらも一時付与であり、攻撃を受けすぎた盾は後で壊れてしまうだろうが、少しでも耐久力が戻ったことでディートリヒさんもまだ耐えられるだろう。
俺がディートリヒさんへ付与を掛けている内に、ミノリが再び黄金熊の右前肢を狙い、今度こそ斬り飛ばす。……が、驚いたことにそれまでもあっという間に再生してしまった。
「嘘でしょ!?」
ミノリが驚きに叫びを上げる。俺も目の前の事が信じられないが、事実なのだから仕方ない。
しかし黄金熊は今度こそミノリを脅威と感じたのか、彼女の方を向いて左前肢を振るった。慌ててミノリはバックステップしてそれを躱す。
「ミノリ! 後肢を狙って!」
「分かった!」
マトモに立てなくなることを狙っているのだろう。レーネの要請に応えたミノリが、右手の〈ペイル〉を斜めに振り下ろして黄金熊の左後肢を斬り裂いた。熊がバランスを崩す。
「ディートリヒさん、下がってください!」
そこへタイミングを合わせたかのように、レーネが黄金熊に向かって液体の入った瓶を投げつけた。
直後に、黄金熊の身体は轟音と共に燃え盛る。どうやらこの間俺が〈ワールウィンド〉を付与した爆薬だろう。それにしても凄い火力だ、天上まで焦がしそうなほど炎が立ち上がってるぞ。スズの魔術でもこうはいかない。
「なっ、ななな何ですか、この威力は!?」
あ、ディートリヒさんがビビっている。近衛騎士までもビビらす威力だったらしい。やりすぎたか。
業火に塗れた黄金熊は、苦しそうに身を悶えさせる。強力な再生能力があれど、火を付けられればその能力は阻まれてしまうのだ。
やがて燃え盛っていた炎は消えてしまったものの、黄金熊の身体は全身が焼け焦げて再生の兆しが見えない。だがなおも熊は口に泡を吹きながら滅茶苦茶に爪を振るっている。俺たちは遠巻きに囲んでおり爪の届く範囲には居ないのにも気付いていないのは、目と鼻が焼かれ、周りの状況が分からないからなんだろうな。
しかし、見えていないならば好機だ。
「こいつでトドメだ! くたばれ!」
熊がこちらを向いた瞬間を狙い、俺は懐から取り出した一つの魔石に魔力を籠めて投げ込んだ。
直後、ボン、と大きな音を立てた魔石から、黄色の粘液が熊の顔面に貼り付く。
「これは……スライム!?」
驚いたディートリヒさんの言葉通り、これはただの粘液では無く、スライムである。以前に迷宮で見つけたスライムを〈封魔の魔石〉に封じておいたのだ。
スライムは黄金熊の顔に貼り付いたまま、徐々に再生能力との均衡を崩してその頭を溶かしてゆく。熊はと言うと懸命にそれを剥がそうとしているものの、剥がせる筈も無い。貼り付いた生物を溶かそうとする性質を持つスライムだが、武器と魔術による攻撃が通じない魔物には非常に効果的な攻撃手段なのである。
肉を溶かす異臭が立ち込める中、黄金熊はその巨体を暴れさせて藻掻いていたものの、遂には脳まで溶かされてしまったのか、倒れ伏し、ピクリとも動かなくなってしまったのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!