第二四話「獣の痕跡は何を訴えているのか」
幸いにして猪などの危険な動物には遭遇することも無く、歩き続けた俺たちは海と繋がる塩水湖へと辿り着いた。
レーネが使う貝殻やたっぷり塩を含んだ水を汲んでから折り返し、往路では荷物になるからと集めなかった粘土なども回収して復路を進み自宅へと戻ることにする。
「粘土は何に使われるのでしょうか?」
「立派な薬の材料になるのですよ。人を治す薬にもなれば毒にもなります」
「このようなものがお薬にもなるのですか!? 錬金術と言うのは奥が深いですね……」
へぇ、何の為に持って帰るのかと思えばこんなものが薬になるのか。ツェツィ様じゃなくても驚くよな、錬金術って凄い。
「錬金術と言いますか、普通に薬師の方でも使いますね。胃の調子を整えるお薬として使えるのです」
「そうなのですか……、ディートはよく胃が痛いと嘆いておりますし、試してみても宜しいのでは?」
「……そう、かも、知れませんね」
ツェツィ様の全く悪意の無い御言葉に、ディートリヒさんが脂汗を流しながら答えた。……これはアレだな。胃痛の原因はツェツィ様なんだろうな。後で山盛りの粘土を用意されなきゃいいんだが。
「そうだ。粘土と言えばレンガが欲しいな」
「レンガ? リュージ兄、家でも建てるの?」
いやいや何でだよ。家なら賃貸物件を借りたばっかりだよ。
「家ならアレで十分だろ……。そうじゃなくて、窯が欲しいなと」
「ああ、付与術の為ね」
うむ、その通りだ。熱を加える工程があるから、窯で安定して沢山の魔石に熱を加えられれば効率が上がるんだよな。
「付与術に窯が必要なのですか?」
そう尋ねたディートリヒさんだけでなく、ツェツィ様とレーネも不思議そうにしている。まあ、魔石の作り方を知らない人からしたらそんな印象なのかもな。
「魔石作成では、〈無の魔石〉に基礎となる力を与える為に植物などの材料と一緒に熱を加える工程があるのですよ。窯があれば、大量生産する効率が上がるのです。まあ、人の手が必要なポリッシュなどの効率はどうしても上がりませんが」
「なるほど……それで今回、材料となる植物をこうして採取していた訳ですか」
感心する三人。ミノリはいつも俺の作業を見ていたからよく知っているんだよな。本人に付与術のセンスは無いようだけど。
「でも、賃貸じゃ窯を建てるのは難しくない?」
「そうなんだよな……、金が貯まったら買い上げることも検討するか。まあ、レーネとも相談しないとな」
「そうですねぇ」
ミノリの言う通りだ。賃貸物件で勝手に庭へ窯を増やす訳にはいかない。買い上げるにしてもレーネと話し合って決める話だな。当の本人も今決められる話でないので苦笑しているし。
色々と話しながら作業をしていたら、、何時の間にか復路で必要な材料も集め終わっていた。保険のために多めに採ったり他の魔石の材料も集めたりしたが、〈解呪の魔石〉を作るには十分すぎるだろう。
「材料は集まったのでしょうか?」
「はい、ツェツィ様。問題ありません。レーネも薬の材料には問題無いよな?」
そう尋ねたのだが……返事は無い。振り返って見ると、すんすんと鼻を動かしながら、険しい表情を浮かべている。
「……レーネ?」
「獣と血の臭いがします。前の方だと思います」
なんだと?
それを聞いて、ディートリヒさんが大盾を構えて俺の前に立ち、慎重に歩みを進め始める。俺たちもその後をゆっくり付いていく。
やがて、その臭いの元が判明した。
「これは……〈スレンダー・ボア〉?」
「の、死骸ですね……」
俺の言葉を補足するようにレーネが続け、しゃがんで猪の傷を確かめ始めた。
「……大型の獣……爪痕と牙のサイズからして、恐らく熊によるものですね」
「熊がいるのか……」
まあ、そりゃあ猪を捕食するような獣だ。魔物でなければ熊くらいだろう。
「でも、おかしいですね……」
立ち上がったレーネは、華奢な身体が多いエルフにしてはそれなりに豊かな胸の前で腕組みをして考えている。何か思う所があるらしい。
「この猪の死骸ですが、食べかけなんです。爪痕から想像出来るような大型の熊であれば、もっと食べ尽くされている筈です」
「……食べかけ?」
「はい。まるで、まだ捕食中の――」
そこまで言いかけたレーネが、ハッと何かに気付いたように、何の変哲も無い草むらの方を指さす。
「ディートリヒさん!」
「心得ました!」
レーネが叫んだ時点で、草むらから音がしていたので俺たちも気付いていた。咄嗟にディートリヒさんがその音のする方向へと盾を構える。
刹那、草むらから現れた金色の何かの突進を受け、ディートリヒさんの大盾から轟音が響く。
「ぐぅっ!?」
かなりの衝撃だったようだが、〈豪腕〉の効果もあった為にディートリヒさんは踏みとどまっている。
しかし――
「なんだ? コイツは……」
俺は目の前で仁王立ちしている、体高二メートル強はあろう金色の巨大熊を見上げ、呆然とそんな言葉を絞り出したのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!




