第二〇二話「世界平和とほど遠い」
「おい! お前等! これは一体どういうことだ!」
町の南側から逃げ出した俺たちは、門の外でパニックに陥っている二人の元グアン兵たちと出くわしてしまった。どうやら〈魔晶〉化は門の内側までが対象となっているようで、内側の兵たちが倒れた所へ駆け寄ろうとした外の門番が巻き添えになった事で、二人は町の中が危険であることを察したらしい。
でも俺たちは無事な訳で、だとすれば俺たちこそがこの現象を引き起こした犯人と思われていても仕方の無い事なのだが――
「何か勘違いしているようだがよ、この虐殺は俺たちの所為じゃねぇぞ」
「嘘を吐くな! だったら何故貴様等が無事なのだ!」
まあそうなるよな。「斬っていいか?」という無言の視線をミロスラーフから感じるが、俺はかぶりを振ってそれを制止した。取り敢えず理由を話してからでも遅くはあるまい。
「今町の中で起きているのは〈グアレルト〉の教皇が引き起こした〈魔晶〉化によるもので、俺たちはその対策をしていたから生き残ったに過ぎない」
「〈グアレルト〉の教皇……? ルドルフという邪術師の事か?」
俺の説明に眉を顰める元グアン兵。そうか、此奴等は元グアン王国民だから邪術師に否定的な感情を持っているんだな。
元グアン兵たちに〈魔晶〉と〈魔晶〉化について詳細を説明すると、彼等はようやく自分たちが九死に一生を得た事に気付いたようで背筋を震わせていた。
「そんな……、で、では、この町にはもう、生き残っている者が居ないということか?」
「分からない。〈魔晶〉化が止まれば確認出来るとは思うが、中で何が起きているか皆目見当が付かないな。今は俺たちと争っている場合じゃないと思う」
震える元グアン兵たちの不安も分かるのだが、何時薬が切れるか分からない状態で俺たちも町の探索へ行く訳にはいかない。
「〈魔晶〉化が止まったかどうか分かれば良いんだがな。大体、教皇を殺したと言うのに〈魔晶〉化が起きている事自体がよく分からないんだが」
俺は溜息を吐いてそんな事を呟いた。弾丸は確かに教皇の額を撃ち抜いていた。だとすれば――
「たぶん、〈魔晶〉化の引鉄は教皇の力じゃなくて、あの祭壇」
「なんだろうなぁ」
スズの補足は、俺の推測と合致していた。しかしながら、もう一つ分からない事がある。
「だったら、この〈魔晶〉化は何の為に起きているんだ? 既に術者が死んでいるのなら、やる意味も無いだろうに」
「……リュージ兄、たぶん、それは――」
「ん?」
俺は、スズの指差した方向を見る。そちらは町の門の方角で、果たしてそれを見てしまった俺には末妹の言いたい事が理解出来た。
町の中心へ続く道――その奥から、金色に輝く大きな何者かがゆっくりと近付いているのが、見て取れたのだ。
その何者かは、蛇の頭に蜥蜴の脚と尻尾、鉤爪の生えた太い右腕と無数の触手が生えた左腕を持ち、口からは瘴気、或いは毒気のようなものを吐き出している。シルエットだけ見れば蜥蜴人にも似ているがあの禍々しい何かを同一視したら蜥蜴人に怒られそうだ。
「……アレは……まさか、魔人か?」
死ぬ間際に教皇ルドルフが、魔人に至る細工をしていた、と言う事なのだろうかと推測する。
だが、ミロスラーフは「違ぇな」と呟くと、その近付いてくる何かに対して大剣を構えた。
「アレが何か、お前には分かるのか?」
珍しく険しい表情のミロスラーフに問い掛ける。黒騎士は遠くの魔人らしき何かを見据えたまま、頷いた。
「ありゃよう……、たぶん、アブネラ様だな。ルドルフの野郎、アブネラ様を顕現させやがったんだ」
「……あれが、アブネラ?」
俺はその言葉を噛み砕くべく反芻した。確かアブネラは平和を愛する神だとケチュア帝国で聞いていたのだが、あの禍々しい姿は何だ。俺たち人の理解を超える存在だからとか、そんな理由で片付けて良い物では無いように見える。
「……アブネラはあんな禍々しい姿をしているのか?」
「俺も信じたくは無いが、蛇の頭に無数の腕っつったら、アブネラ様だ」
無数の腕って……アレは触手じゃ? まぁ腕と言えば腕だが。
しかし、姿よりも何よりも気になっている事がある。
「……確か、アブネラの理念は、世界平和だったっけ?」
「……そうだな」
ミノリの質問に淡々と答えるミロスラーフに視線が集中する。奴も多分、皆の言いたい事は分かっているのだろう。
身を貫くような敵意しか、感じないのだ。
「あれは多分、俺たちをすり潰す事しか考えてないな」
そう呟きつつ、覚悟を決めた俺は、腰の〈エルムスカの魔石〉に魔力を籠めたのだった。
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