3話
レモンを一切れ入れた紅茶を一口すすり、フランさんは満足げに目を閉じる。
「やっぱり、紅茶ではレモンティーが一番好きだわ。ジャムをたっぷり入れるのもストレートも嫌いじゃないけれど__まぁ、好みの問題ね。さて、」
カチャリ、と陶器がふれあう音と共にフランさんのエメラルド色の瞳が私を見つめる。状況の説明からいきましょうか、と言った。
「目が覚めていきなり見知らぬ部屋にいて驚いたと思うけれど、まずは確認から。あなたはこの場所が一体どこなのか検討はついている?」
「……いいえ。正直に言って、全くついていません。ここは一体どこなのでしょうか。天の国かと思っていたのですが、そう言うとリリスさんに否定されてしまいました」
「天の国?どうして?」
「暖かいし、リリスさんが天使のようでしたし」
そう言うと、フランさんは目をぱちくりさせて、リリスさんと同じように笑い出した。
「天使って、あはは!まさかあの子が天使と間違われるなんて、ふふっ、面白いこともあるものね。けど、リリスの言うことは正しいわ。ここは、天の国じゃあない。ここはね、冬の王の居城よ。正式名称はトルメンタ城。おそらく、あなたにとっては戻らずの城が一番なじみ深いんじゃないかしら」
フランさんの言葉に少なからず驚く。戻らずの城?この暖かい場所が?
「……戻らずの城に、人は住んでいないはずじゃ」
「あら、そういう話になっているの?しっかりと防衛魔法が働いているようね。何よりだわ。そう聞いていたんなら不思議に思うでしょうけど、そうね__ここだけの話よ?この城はね、冬の王の許可がないと真の姿が見えないようになっているの。だから、こうしてあなたに私の姿が見えているのも冬の王があなたをここへ連れてきたからなのよ」
「冬の、王?……それは、一体誰ですか?」
「そうねぇ。冬の王が誰なのか__それは、アタシの口からは言えないわ。ただ、あなたが今こうして生きているのは冬の王のおかげよ。凍死寸前だったあなたが担ぎ込まれた時は何事かと思ったけれど、間に合ってよかったわ。あとちょっとで足も腕も切断しなければならないくらいだったから。___さて、これでアタシが伝えることは伝えたわ。今度はあなたのことを聞かせてくれるかしら、ステラちゃん」
「私は__」
口を開いて、そして言葉に詰まる。一体何を言えば良いのだろう。どこまで本当のことを伝えれば良いのだろう。フランさんの話が本当なら、ここは戻らずの城で、そして私はそこに巣くうバケモノを鎮めるための生け贄として雪原に放り出された忌み子。けれどそんなことを話してしまって本当に良いのか、私にはわからない。だから、
「私は、死ぬためにここにやってきたんです」
そう言うと、フランさんは少しも驚いたそぶりは見せずに続けて、と言った。
「私は……キルシュ王国の出身なのですが、この見た目から呪われた子、忌み子として扱われていました。そして、昨日私は家族に捨てられて、雪原に放り出されました。口減らしのようなものです。私は、死ぬことを望まれて、そして気がついたら、ここに」
「……なるほどね。ステラちゃん。今の話、本当?」
確認するように訊かれ、概ね合っているのでうなずいた。すると、そう、とフランさんが言って、再び話し始める。
「事情はわかったわ。死ぬために、ね……。だとしたら、私がやったことはお節介だったかもしれないわね」
「いいえ、そんなことはありません」
「あら。死ぬためにきたんじゃないの?」
「……………………死にたいとは、思っていないです」
生きたくもないけれど、と、続く言葉は飲み込んで、ありがとうございましたと頭を下げればフランさんは少しだけ嬉しそうに笑った。
「そう。なら、よかった。……けど、困ったわね。そういう事情なら、あなたのこれからが難しいわ。本来なら、完治したら記憶を消して帰ってもらうのがセオリーなのだけれど……あなた、今の話だと帰るおうちがないみたい。……どこかに当てはある?親戚だとか、知り合いだとか」
首を振る。そんなものはどこにもない。少なくとも、キルシュには。
「そうよね。……うーん、そうねぇ。……まぁ、ちょっと色々考えてみるわ。冬の王にも相談をしてみましょう。ちなみにあなた、何か得意なことはある?得意なことがなければ、趣味でも好きなことでも、何でも良いのだけれど」
「得意なこと……」
不思議なことを尋ねられ、首をかしげてしまう。得意なこと、なんてあるのだろうか。趣味も、好きなこともない。私は、物心つく前からずっと北の塔にひとりぼっちで、物心ついた後にはほとんど何もすることができなかった。
つぶやいたきり黙ってしまった私にフランさんは苦笑して、「いきなり訊かれても困っちゃうわよね」と言う。
「ゆっくりでいいわ。そして、何でも良いの。もし何か思いつくことがあったら教えてちょうだいね。……さ、そろそろリリスが戻ってくる頃ね。服を持ってきてくれるはずだから、着替えたらこの城を案内してもらうといいわ。一日中ベッドっていうのも退屈だろうし、こわばってる手足のリハビリもしないといけないから」
それじゃあまたね、と笑顔とウインクを一つ残し、ひらひらと手を振るとフランさんは扉を開いて出て行った。それと入れ替わるように元気な足音が聞こえてくる。
「ステラさん!___ピンクと水色と紫と緑とオレンジと___とにかく、この中で好きな服を選んでください!!」
籠付きのカートに色とりどりの大量の服を入れて楽しそうに笑うリリスさんが現れたのは、それからすぐのことだった。
♢ ♢ ♢
ステラがリリスに促されるままに大量の服を見ているその同時刻。フランネルはカツカツとヒールをならしてとある部屋へと向かっていた。その部屋のドアの前に立つなり、ノックもなしに勢いよく扉を開ける。部屋の中はたくさんの本が詰まった本棚が壁と通路一面に広がっている。昼間だというのに薄暗く、ランプとシャンデリアの光で成り立っているその部屋は静かで、扉を開ける音は一等強く響き渡った。その音に驚いたのか、部屋の主はギクッと読んでいた分厚く大きな本から視線をずらして扉を盗み見る。そこに立っているのがフランネルであるのに気がつくと、はあ、と今度はため息を吐いた。
フランネルはそんな部屋の主を見つけると、つかつかと歩いてきて「邪魔するわよ」と言うとためらいなく重厚でそれなりに高価そうな書き物机の上に座った。
「……フランネルや、机が傷んでしまうわい」
「少しの間よ。それで、オルドル。例の彼女について、少し気になる点が」
オルドルと呼ばれた男はピクリとそのとがった耳を動かし、モノクルをつけた紫の瞳でフランネルを見る。
「……気になる点とは?」
「あの子、本当にあの方がここにお連れになったのよね?」
「あ、あぁ。そうじゃよ。確かにあの方が抱えてきなすった。それがどうかしたか?」
「そう……。いえ、アタシの気にしすぎなのかもしれないのだけれど……あの子のね、治療をしている時に……あったのよ。星形の痣が」
「__!?なんじゃと!?それは誠か!?」
ガタ、と椅子を倒さんばかりにオルドルが立ち上がる。すぐに確認に行かなければ!と叫ぶ彼の頭にフランネルの拳がヒットする。
「アンタ、バカなの!?女の子よ、医者でも恋人でも何でもない男に体を見られるなんて怖いに決まってるじゃない!!」
「痛い!!し、しかしのぅ、それが本当だったら一大事じゃぞ!?あのお方の呪いを解く___」
「だから、声がでかいのよ!__いい、まだ確定したわけじゃない。余計な期待を持たせないためにも、このことはあの方には内密に。ただ、この時期にあの子がここにやってきたことには何か意味があるのかもしれない。アタシが調査は進めるけど、アンタも知っておいた方が良いかと思ってね。文献の方の調査をお願いするわ。__いい、絶対に他のコに言うんじゃないわよ。もちろん本人にもね。不審な動きをしたら___」
「わ、わかった!わかったからプロレス技は勘弁じゃ!……丁度、先日東方の商人から仕入れた解呪の書がある。まずはそれを当たってみよう」
「よろしい。……あ、そうそう、リリスかソータがあの子に城を案内する予定だから、後でここにも来るかもしれないわ。そのときはくれぐれもおかしな顔をしないように。じゃあ、邪魔したわね。邪魔ついでに何か入り用のものがあれば頼んでおくけれど、リクエストは?」
「それじゃあ、新しいインク壺と……ジンジャークッキーがあればそれも」
「インク壺とクッキーね。わかったわ。__それじゃ」