Order1 ある村の喫茶店
「ぉ……ゃ……お兄ちゃん。起きて」
女性の呼び声と体を揺すられる感覚で、男は重たい瞼をゆっくりと開ける。
男の前に広がるのは、焦げ茶色の木の丸太に囲まれた内装。同色の木材で作られたテーブル席がいくつか綺麗に設置されていて、窓からは朝日が差しこんでいた。
ここは男が経営する喫茶店の中。男はそのキッチンで顔を突っ伏して、眠っていた。
「……ん? 今何時?」
男は壁に掛けられた振り子時計を見る。時計の針は七時半を指していた。
「あぁ……もう準備しないとな……」
「……んもう。またコーヒーの研究してたの?」
男はその声の方を向くと、肩の長さまである黄金色の髪をした女性が腰に手を置いて、眉をひそめていた。
彼女は張りのある白い肌で、綺麗なシルエットが際立つ白いスリップを身にまとっていた。
彼女はノエル。男の妹である。そして、男の名はラキア。この喫茶店、【コメット・フォレスト】の店主をしている。
ラキアは目をこすり、大きな伸びを間に挟んで、会話を続けた。
「あぁ、まだメニューの種類が少ないからな」
「研究するのは良いけど、程ほどにしてって言ったでしょ? 前にそれで体調崩してるんだから」
「あぁ、悪い。気をつけるよ」
「ほんとに? 次また無理してるとこみたら、一週間働かせないから!」
「なんで、店主じゃないお前がそんなこと言えるんだよ……」
「なんか言った?」
「いや、何も言ってないです」
「よろしい。じゃあ準備しよ。私、先二階で準備してくる」
「あぁ、わかった」
ラキアは大きく欠伸し、椅子からゆっくりと立ち上がり、ふらっと窓際の方へ向かい、外の様子を眺めた。
澄んだ川の水。そよ風で揺れる木々。木でできた小さな家屋の数々。自然に囲まれたこの地はとても長閑なものだった。ラキアはその様子を見て、平和になったと実感する。
今から九年半前まで、この世界では人界人と魔界人の覇権戦争が行われていた。四十五年続いたこの戦争は、『四十五年戦争』として歴史に刻まれ、今もなお語り継がれている。
この戦争を終戦へと導いたのは、人界軍が選りすぐりの精鋭のみで構成した小隊『ソティラス』。彼らの登場により拮抗し続けていた状況が一変し、人界軍を勝利へと導いたのだ。
その後、『ソティラス』の隊員たちは行方が分からなくなり、彼らの正体を知らされることもなく、伝説の人となった。
終戦後。劇的な復興速度で、僅か五年足らずで人々が平和に暮らせる環境へと戻った。
その復興の最中、ある施設が誕生した。
──【冒険者ギルド】である。
これを機に、新たに『冒険者』という職業が生まれた。冒険者は所謂なんでも屋。素材の採取や人の手伝いから魔物討伐まで。報酬さえあれば、なんでも請け負う職業だ。
ギルド設立以降、冒険者になる人が急増し、今となっては五人に一人が冒険者であると言われるようになり、『冒険者社会』とまで呼ばれるようになった。
そんな中、ラキアは夢だった喫茶店をする道を選び、今この店を経営している。
「……平和になったなぁ……」
ラキアは何か物思いにふけながら、ボソッと呟いた。
「お兄ちゃん、何してんの! ぼぉっとしてたら、間に合わないよ!」
「あぁ。悪い。今行く」
二階から大声でノエルに催促されたラキアは、窓を離れて店の裏へと向かった。
◇◇◇
時刻は午前九時五分。店を開け、三十分が過ぎた頃。店内はガヤガヤと騒がしい。店の席は客人でほとんど埋まっていた。
「おねぇさん。注文いいですか?」
「は~い。今行きまーす!」
「ねぇちゃん、こっちも頼むよ!」
「はーい。少しお待ちくださーい!」
接客をするノエルは、せこせこと呼んだ客人の方へと向かう。
午前のこの時間帯はいつも忙しい。その理由は、この周辺でも希少なコーヒーを提供している店だからだ。
村の近くにある王国内を含めても、コーヒーを提供しているのは、この店を含めて数件しかない。そのため、物珍しさで集まる客人がとても多いのだ。
この店の仕事分担はラキアが調理、ノエルが給仕となっている。この二人以外店員はおらず、いつも二人で店を回している。
その割に、店内はほぼ満席。
これでわかる通り、この店の一番の問題は人手不足だ。
注文を聞くことから商品の配膳、食器の片づけまでノエルにすべて任せている。このままでは、いつかノエルが倒れてしまうだろう。
かくいうラキアも全注文の調理を一人で捌いているので、ラキアとノエルどちらも倒れてもおかしくない。
「……やっぱり、人手集めないとかな……」
嘆息をついてそう呟くラキアは、注文にあった特製ブレンド『コメットコーヒー』を作る。
三種類の焙煎豆を自身で導き出した黄金比に従って調合し、中細サイズで挽いたものを、お湯を注いでコーヒーを抽出する。
滴る液は一気にコクのある香りを放出し、ラキアの鼻腔をくすぐる。
彼にとって、このときがコーヒーを作る中で一番心地が良い瞬間なのだ。
「お兄ちゃん。七番の席の注文置いとくね」
急いでこちらにやってきたノエルは、注文票をキッチンの後ろに置かれた注文棚の上に置く。
彼女の身なりは普段とは違い、この店で共通の白いワイシャツにこげ茶色のエプロン。ラキアは黒色のズボンに対して、彼女は黒色の膝上のスカート。そこから伸びた足を黒いニーソックスで覆っている。さらに彼女は、一括りにした長い髪をなびかせ、普段よりもすっきりとした印象を与えていた。
「わかった。あと、ノエル。今、十番の席の注文できたから、持って行ってくれないか?」
「はいはーい!」
軽やかに返事したノエルに、カップに注ぎ終えたコーヒーを皿の上に乗せて渡した。
ラキアは短く息を吐いて、次の注文に取りかかる。
今のを除いて三つのオーダーがあるのだ。休んでいる暇はない。
そんなとき、ラキアは店の隅から、二人の男の声が聞こえる。
「おい。あの人が噂の『撃滅者』さんだぞ」
「アレがか? 普通の店主にしか見えないぞ?」
「いや、間違いねぇ。黄金色の短髪。細身の体型。青い瞳の男。全部当てはまってる」
「じゃああいつが、Sランク級のモンスター『災竜ガルドバロス』を倒したっていうのか?」
「あぁ。間違いねぇ」
「おいおい、ふざけんなよ。あんなの、俺でもへし折れそうだぜ?」
「バカやめとけ! 返り討ちにされるだけだぞ」
「うるせぇな。黙ってみとけよ」
隅に座っていた片方の男がへらへらと笑いながら立ち上がり、ラキアの方へと向かう途中、ノエルがその男の前に立ち塞いだ。
「お客さん。申し訳ないけど、荒事なら他所でやってくれない? ここは、食事を楽しむ場所だからさ」
「はぁ⁉ 女は黙って引っ込んで……」
男は強い言葉を放つが途中でその言葉を飲み、顔を青ざめて額に汗をにじませた。
ノエルは男を冷笑を浮かべたまま見つめ、さっきよりも低い声で話しだす。
「は? 黙るのはあんたの方でしょ? ほかの人に迷惑かけてるのわからないかな?」
男が周囲を見渡すと、ほかの客人が彼を横目に見ていた。
「……チッ」
男は舌打ちし、踵を返して席に戻った。
ラキアは作業の手が止まり、一点を見つめたまま顔を曇らせていた。
今の男たちの会話の通り、ラキアは昔、冒険者をしていた。この店を始めるための資金集めとして始めたのがきっかけだった。
その時についた二つ名が『撃滅者』。
しかし、ラキアはその二つ名を酷く嫌っていた。
「……お兄ちゃん、大丈夫? あのお客さん、気になるなら、出てってもらおうか?」
ラキアの嫌そうな顔を窺いながら、ノエルが優しく問いかける。
「……いや、いいよ。そこまでしなくて。ありがとな、ノエル」
「いいの? ……ホントに嫌なら言ってよ」
「あぁ。悪いな、気遣わせて」
「別にいいけどさ……」
ノエルは一瞬不機嫌そうな顔で男たちを睨んでから、再び注文票を手にとり、客席へと向かった。
──あんな二つ名、なんで俺なんかにつけたんだ。『撃滅者』。
撃滅する者……か。
よくよく考えれば、その通りだな。
俺みたいな、最低な男には──。
ラキアは嘆いた顔のまま、再び作業に取り掛かった。
◇◇◇
日はすっかり沈んで、月明りが東側の窓から仄かに差しこむ。部屋は『魔力結晶』によって作られた灯りによって、暖色の光に包まれていた。
店は終業時間を迎え、ラキアは仕事中に溜まった洗い物を片付けていた。そんな時に、カランカラン、と店の扉のベルが鳴った。
「あ、すみません。もう閉店しまして……あんたは……」
「お久しぶりです。ラキアさん」