病院の裏口 【ミノルの夏ホラーvol.1】
夏のホラー2019参加作品です。
短いお話なので読みやすいと思います。
ミノルは鼻をつまんで勢いよくプールに飛び込んだ。
ザブンと水しぶきを上げて水に入ったら泡の乱舞の出迎えと水の冷たさの歓待を受け、この上なく気分爽快で、続いてくる浮遊感にうっとりと目をつぶり身を任せていると水面にぷっかりと浮かんでしまい、太陽の照りつけが顔に降り注いだ。
「こらー!飛び込みは禁止!やっちゃダメよー!」
プール横に設置されたビーチパラソルの下で保護者で監視員の一人が大声で叫んだ。
ミノルはそちらをチラッと振り向いて返事もせずにまた水の中へ潜り、水の底から目を開けて上を仰ぎ見た。
ゆらゆらと揺れる水面は夏の陽射しを受けてキラキラと輝いている。人見知りで内気なミノルは人付き合いが苦手だ。加えて暑い夏も苦手。魚になりたい。そうすればひんやりと涼しく人と話すことも無いのに。
カランカランカラン。
五分間の休憩を知らせる鐘にプールにいた子供達は水から上がっていく。ミノルもそれにならった。
夏休みの小学校。プール解放時間とはいえ来ている子供は少ない。皆、クーラーの効いた部屋でゲームをするか、流れるプールではしゃぎたいのだ。ミノルもできることならそっちの方がいい。
だけど両親共働きなので夏休みでも学童に通って来ていて、学童員さんに「泳いでいらっしゃいな」と優しく追い立てられて水に浸かっている。
昨年このプールで同じ学童の子が溺れて死んだ。
その夏はプール使用が禁止になったけど、今年は監視員を増やして再開された。監視員は保護者達が持ち回りで見張りに来る。ミノルの母親も当番の日は仕事を休んで来るはずだ。
ミノルは"視える子"だ。死んだ子がお化けになって出てくるなんて噂もあったけど、ミノルは知っている。死んだ子は光に包まれて青い空へと吸い込まれて行った。溺れたあの子はここにはもう居ない。
真夏の太陽が容赦なく降り注いでミノルの肩や背中をジリジリと焼いて水分を奪っていく。暑い。早く水に入りたい。
「馬鹿野郎っ!俺の言う事が聞けねぇのかっ!」
突然の大声に皆、声のした方を見た。
見るとプールの隣にある病院の裏口で、スーツに派手なネクタイの見るからにヤのつくお仕事をしていそうなガラの悪い中年の男と、青いシャツに綿パンの男の人が居て、青いシャツの人はしきりに頭をペコペコと下げていた。
ミノルの近くのビーチパラソルの下で二人の監視員の話す声が聞こえる。
「やあねぇ、あの病院、息子さんに代替わりしてから、ああいう人が出入りするのが多くなったんだって」
「そうなんだぁ、前のおじぃちゃん先生の時は"天国に一番近い病院"って呼ばれてたでしょ?」
「そんなドラマあったよねー。あっちは面白かったけどさぁ、ジーちゃん先生の見立てがさぁ、なんか、違うんだよねぇ。病気じゃなくても病気にされちゃあね……」
子供が近くにいても口に戸は立てない。子供が尾ひれを付けて噂を広めても自分のせいとは思わないだろう。世間話などあっという間に忘れて、「そうだったかしら?」と覚えていないものだ。
「あら?鈴木さん?」
三人目の監視員が来て、裏口の方を見て言った。
「鈴木さんって?」
「あの、青いシャツを着ている方の……ご近所さんなの」
「じゃあ、鈴木さんって人もコレなの?」
そう言った保護者は人差し指で頬に線を引いた。
「イヤイヤイヤイヤ、違う違う、鈴木さんは工場の社長さん。規模は小さいけどね。最近はその工場は閉めちゃって、あれぇー?って思ってたんだけど」
「ふぅん、借金……とか?」
チラッと裏口の方を見て別の保護者が言う。
「うわっ!ありがちぃ〜」
「しぃっ」
ようやく声が大きかったと気付いたように一人が口に手を当てる。
カランカランカラン。
休憩の終りを告げる鐘が鳴って、子供達が待ってましたとプールに入った。
ミノルはのろのろと立ち上がって裏口を見た。スーツの男は青いポロシャツの社長さんの肩に腕を回して何やら話しかけ、社長さんはしきりに手の甲で目の辺りを拭って、うんうんとうなづく。
そんな二人を傍で見つめているガリガリに痩せたおじいさん。上半身裸で白いさるまたを履いている。妙に腹だけが突き出ていて鬼のような形相で二人を睨むように見ている。
少し前にあの裏口であのスーツの中年と話していたおじいさんにそっくりだった。やっぱり頭をペコペコと下げていたのを覚えている。あの時はちゃんと服を着ていたのに。そして黒く禍々しい影がボウフラみたいに湧いてきて裏口辺りに集まってきた。あれは……地獄の入口かもしれない。
まだ二人は喋り続けている。
ミノルはふりきるように、プールに向かって大きくジャンプした。派手な水音に「こらー!飛び込んじゃダメって言ってるでしょー!」とにわか監視員の声がして、水面はキラキラと輝いた。
きっとここは天国の入口。だからあの子は空へと登って行った。聖域に"あれ"は来られない。絶対にそうだ。そう自分に言い聞かせながらミノルは水の底に沈んでいった。