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青い世界、廃駅の片隅で君を待つ   作者: 暁ショウゴ
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4.再び

予想していた通りだったが、翌日学校に行っても教師も同級生たちも特段何か変わった様子はなかった。

僕一人が勝手にタイムトリップみたいな経験をしただけなのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。


唯一、加藤の僕を見る目だけが少し変わったーーかもしれない。別にいつも挨拶をする間柄でもないのだが、目が合えば会釈くらいはする。なのに、今日は目があっただけで顔を逸らされてしまった。

昨日、確かに無愛想な態度を取ってしまったかもしれないが、彼女が嫌な思いをするような発言はしていないつもりだ。ショックだ、とまではいかないまでも、理由もわからず避けられるのは納得がいかない。

まあ、そんなことを言っても仕方のないことだ。嫌われるまでいかなくとも、何となく好かれないことには慣れている。


と思っていたが、偶然にも彼女に話しかける用事ができてしまった。4限目の数学の後のことだ。

「あ、キミ。ちょっといいかい?」

廊下で初老の品の良さそうな男性教師に呼び止められた。

「はい?」

「キミ、B組の子だね?」

「そうですが…」

「じゃあ、同じB組の加藤にこれを渡しといてもらえるかな?」

そう言うと初老の教師は、A4サイズくらいの茶封筒を手渡してきた。

「これは?」

「スポーツ推薦がある大学のパンフレットだよ。加藤はこの間地区大会で優勝しているからね、引く手数多(あまた)なんだ…知らなかったかい?」

勿論、知らない。だが、それを答えるよりも先に「じゃあよろしくね」と言って彼は廊下の奥に消えていった。

残された僕はそのくらい自分でやれ、とは思いつつも、後頭部をぽりぽりとかきながら「まあいいか」と呟いた。




教室に戻ると、丁度加藤が昼食のグループから抜け出てどこかへ出掛けていくところだった。

「加藤」

教室の出口付近で呼びかけると、彼女はピクリと体を震わせ一瞬動きを止めたが、すぐに振り返るとにこやかに返事をした。

「こんにちは、改めて昨日はありがとうね。…で、何の用かな?」

加藤は嘘をつくのが下手らしい。口の端と目尻がほんのわずかにヒクついている。そんなに僕と話すのが嫌になってしまったのか。まあいいや、僕も長話をするつもりはない。

「これ」

とだけ言ってさっきの茶封筒を差し出す。

「何?これ」

「なんかパンフレットだって、スポーツ推薦のある大学の。初老の教師が加藤にって」

「初老の教師…?ああ、田中先生のことね」

田中というのか、さっきの教師。いや、そんなことはどうでもいい。もう用事は済んだ。これ以上嫌われる前にさっさと退散しよう。

「じゃあ、それだけ」

踵を返して自分の席に戻ろうとすると、加藤から呼び止められた。

「待って!」

既視感のあるシチュエーションだな、と思いつつ振り返る。

「何?」

「…ありがとう」

たったそれだけ。それだけのことだった。ただ茶封筒を渡してくれたお礼を言うだけ。律儀なことだ。

「別に」

あ、また無愛想な物言いになってしまっただろうか。まあいいか、どうせ好かれてはなさそうだし。

「キミは…大学に行くの?」

と思ったら、どうやらそれだけではなかったらしい。あまりにも唐突な質問だったから思わず数秒固まってしまう。

「…まあ、そのつもりだよ」

ありのまま、現状を答えた。改めて加藤に正対すると、彼女は珍しくうつむき加減だった。どんな表情をしているのか、こちらからは窺い知れない。

「…何のために?」

これもまた唐突な質問だ。そんなこと、僕はちゃんと考えたこともない。僕は何もしない、目的なんかない、ただ大学に行っておいた方が良いことが多いから行っておくだけだ。

「…就職に有利、とかかな」

「そんなことのために?」

彼女らしくない、鋭い言葉が返ってきた。次の瞬間、彼女はハッと顔を上げた。

「あ…ごめん。私、別に…」

少し茶色みがかった大きな目が泳いでいる。言ってはいけないことを言ってしまったと思っているのかもしれない。

「別にいいよ、気にしない」

僕がそう答えると、彼女はほっと安心したような顔になって、目線が定まった。

「逆に、加藤はどうして大学に行くの?」

今度は僕の方から質問してみると、加藤はまた顔を伏せてしまった。しまった、今度は僕が地雷を踏み抜いたか。

「…わからない」

一瞬の静寂ののちに加藤は答えた。わからない。正直で素晴らしい答えじゃないか。

「わからないんだ、このままテニスを続けたいのか。就職して安定した生活を手にしたいのか」

ああ、そうか。加藤はわかりやすく悩んでいるのか。自分がどうしたいのかわからずに。

テニスは彼女がずっと続けてきたことなんだろう。始まりは憧れだったかもしれない、楽しさだったかもしれない。でも、スポーツなんて当然楽しいことだけじゃないはずだ。楽しいことも嬉しいことも辛いことも苦しいことも、全部加藤の人生にひっくるまってしまっているから、自分にとってプラスなのかマイナスなのかわからなくなってしまっているんだろう。

正直、どうでもいい。これは加藤の人生だ。僕は加藤と同じ目線には立てないし、加藤のことを理解もしてあげられないし、しようとも思わない。そんなの時間の無駄だ。僕にとっても、加藤にとっても。

でも、加藤は僕とは違う。僕がただ他人を非難するような考え方を身につけてちょっと性格が悪くなった一方で、加藤はきっとひた向きに努力していたのだ。僕が他人に目を向けている間、加藤はきっと自分の弱さと向き合い続けていたのだ。きっと、たぶん。

本当のところはどうだかなんてわからない。たまたま才能があって、大して努力してないのかもしれない。親や周りの大人が彼女が成長できる環境を最初から用意してくれただけなのかもしれない。

それはわからない。僕にはわからない。だからこれから話すことは加藤のためじゃない。加藤に前を向いて欲しいと思う僕の身勝手だ。

「…加藤はさ、自分のことを決めつけすぎだよ」

「え?」

加藤が顔を上げる。少し泣きそうな潤んだ瞳だ。

「今、それを決めなきゃいけない理由がどこにある?なんで大学に行ってからテニスか就職か選んじゃいけない?」

「それは…」

「僕たちは高校生だ。()()高校生なんだ。社会への出て行き方を決められるほど判断力もないし、経験値もない。でも大学に行けばそれが手に入るかもしれない。テニスが違うと思ったら勉強にシフトできるかもしれない。選択肢を広げることができるんだよ」

加藤は大きく目を見開いた。何でこんなことに気がつかないんだろう。

「勿論、家庭の事情もあると思う。僕はそれは知らない。でも許されるのなら大学に行くことは決して悪ではないはずだよ」

これを、見方を変えてモラトリアムと呼ぶこともできる。でもそれを加藤に言うことは決してないだろう。

「…」

加藤はしばらく黙ったままだったが、やがて顔を上げた。

「ありがとう、考えてみるよ」

「うん」

加藤は僕に背を向けて静かに、でも確かな足取りで教室を出て行った。

偉そうだな、と思われたかもしれない、何様だよ、と思われたかもしれない。でもこれでいいのだ。僕は「達観した」人間なのだから。




その日も午後の授業は退屈だった。

教師は生徒を当てるのに手間取り、生徒も生徒で話を聞いていないから「わかりません」を連発し、拘束時間に対して得られる情報量や知識量が少なすぎるのだ。まあ、これが一対多数の教育の限界なんだろう。変えろなどと騒ぐつもりはない。生徒側が手を抜けるというメリットもあるのだ。

適当に授業内の課題をあしらって、今日も1日が終わる。昨日あんなことが起きた割に、気持ち的にも随分と平穏な日になった。

下駄箱にいつも通り靴を放る時間には、もう昨日の摩訶不思議な経験のことはあまり気にならなくなってきていた。呑気で平凡なこの街の雰囲気に呑まれたのか。それはそれで良い側面もあるのかもしれない。




今日もまたいつもの時間、いつもの電車に乗り込む。

今日は杖をついたお爺さんはいなくて、カートを引いたお婆さんとその娘らしき中年の女性が乗っている。

扉が閉まり、電車が動き出す。と、昨日と同じように眠気が僕を襲った。一抹の不安が僕の中に広がる。だが眠気は抗いようもなく僕を覆い尽くしていき、ついに僕は眠りに落ちた。




瞼の裏が一気に明るくなり、僕は顔をしかめる。

嫌な予感がする。目を開けると、そこには見覚えのある一面草原の景色が広がっていた。

まただ!またここだーー

僕は数秒の間呆然とした後、座席から飛び上がり2両前の運転席まで走った。

ただ今回はまだ電車が動いている。ということは、誰かしらが運転席に座っているはずだ。

一気に先頭車両まで駆け抜け、運転席のドアに衝突しそうになりながら窓を覗き込む。

そこにはーー誰もいなかった。

計器系だけが速度を落とすような動作をして、そこに人の姿はない。

ーー新手の自動操縦技術か?いや、こんな田舎の路線にそんなもの導入しているはずがない。

昨日と同じように、電車はゆっくりと駅に滑り込み、ガッタンと音を立てて止まった。

変わり映えのしない青い空、空を泳ぐ雲、緑で覆い尽くされた大地。何もかも昨日と同じだ。

いや、昨日と違う点が一個だけあった。電車が昨日よりも手前で止まったのだ。正確には、僕の乗ってきた電車の一個前に、ひとまわり大きい電車が止まっていたのだ。


電車の扉が開いて、再びホームに降り立つ。

一個前に止まっていた電車は、8両編成と大型だ。窓から覗き込むと車内広告の代わりに小さな液晶モニターが付いているーー都会の電車だ。

僕は周りを見渡した。他にも電車があるということは、誰かいるのではないか。

駅舎の中、ベンチ、自動販売機の裏…ダメだ、どこにもいない。

諦めて、ふと草原の方を見やると南の丘陵の方に何か白い蠢くものが見えた。

僕はじっとその白いものに目を凝らした。

()()は立ち上がるような動作をした後、一瞬動かなくなり、その後段々と大きくなったーーいや、近づいてきたのだ。

近づくにつれて、その姿形が明確になってきた。手が大きくこちらに振られ、腰までありそうな長い黒髪が動きに合わせて左右に揺れるーー人だ。

「おーい!やっほー!」

どこか抜けたような、能天気な声音だ。この辺りをよく知る人間なのだろうか。僕も控えめに手を振りかえしてみる。

彼女は僕のところまで走ってくると、膝に手をついて荒い呼吸を整えようとした。

僕の土地では見たことのない制服だ。よくあるセーラー服の形だが、白線が入っているタイプではなく灰地に白と黒のチェック柄で、どこか都会的な雰囲気を漂わせる。

しばらくすると息が整ったのか、彼女はパッと顔を上げて僕をまっすぐ見つめた。

「キミ、私の毛布知らない?」

予想もしていない第一声だった。




「…毛布?」

「そう毛布。あそこの中に置いてあったんだけど」

彼女は駅舎の方を指差す。

知ってる。昨日持ち帰ってしまったあの毛布のことだろう。ただ、あれは今僕の部屋の片隅にほっぽってある。

「あれがないとさ、困るんだよね。この辺夜は冷え込むからさ」

「…」

気まずい、言い出せない。まさか女性のものだったとは。あれを羽織って寝てしまったなんて、ましてそれが今僕の部屋にあるだなんて、「変態!」と罵られやしないだろうか。まあ、本当に知らなかったのだし、持ち帰ってしまったのも不可抗力ではあるが。

それよりも、毛布が彼女のものということは、少なくとも数回は彼女はここに来た事がある、ということだ。丁度いい、聞かなきゃいけない事が沢山ある。

「…毛布のことは知らない。それよりも、きみはここを知ってるのか?ここはどこで、どうやって抜け出せばいいんだ?」

話が急カーブすぎたか、彼女は一瞬キョトンとした顔をしたが、知らないのならしょうがない、という感じで話し出した。

「ここのことはよく知ってるよ、ほぼ毎日来てる」

「…!本当か?じゃあここはなんていう駅なんだ」

行幸だ。現在地さえわかればやりようはありそうだ。聞いたことのある地名ならいいが。

「知らない」

「…え?」

予想だにしない返答に、思わず間抜けな声が出る。

「だから知らない。何度も来てるけど、携帯は通じないし、住所を示すようなものは何もないし」

「じゃあ、きみはずっとここで生活してるの?」

「そんなわけないじゃん。ちゃんと毎日家に帰ってるよ」

訳がわからない。でもとりあえず家に帰る方法はあるみたいだ。ほっと胸を撫で下ろす。

「じゃあ、帰り方を教えてくれないか?どっちの方向に歩いていけばいいんだ?」

そう尋ねると、彼女は肩をすくめて答えた。

「さあ?歩いて帰ったことないし。なんか、夜になって寝ると勝手に乗ってた電車に戻ってるんだよね」

なるほど。原理はまったくもってわからないが、寝ることによって帰る事ができるらしい。昨日の僕の状況と同じか。

「じゃあ、夜まではここにいないといけないのか」

「だと思うよ。でもそんなに問題じゃないと思う。ここでの1日って、向こうの一瞬みたいだから」

それも昨日と同じ状況だ。つまり、ここは時間の流れが違う、ある種別世界みたいなものか。

だんだん読めてきたぞ。

「君も電車でここに来たのか?」

「そ、あれね。なんか電車乗ると毎回寝ちゃうんだよね。で、気づいたらここにいるの」

今度は電車を指差して彼女は言った。

「で、ここはいったいなんなんだ」

「だから知らないって。名前もわからない、なんのためにあるのかもわからない。でも、害はないんじゃないかな。現に何回も来てるけど、何か酷い目にあったことはないし」

彼女は「気にしすぎでしょ」と言わんばかりに腕を組んで見せた。

僕は、そこで改めて彼女の出立ちに目を止めた。

身長は160センチちょっとだろうか、僕より10センチほど小さい。長い黒髪に切れ長の目、肌は空に浮かぶ雲に負けず劣らず白い。いわゆる美人系の顔立ちだ。

化粧はしていないみたいだが、制服も相まってどこか都会的な雰囲気を漂わせる。

「…何?」

しまった、ジロジロとみすぎてしまったか。

「いや、別に」

慌てて目を逸らして、足元に目線をやる。ローファーは昨日電車の中に置いてきてしまったみたいだから、今履いているのは新品のスニーカーだ。

しばらく無言の時間が続いた。と、彼女は腕組みを解き、僕の目の前に立った。

「ついてきて、色々教えてあげる」

「え、何を?」

「この世界のこと!」

彼女はそう言うと僕の手を勝手に取り走り出した。

そよそよと、風が草原を洗う音が響き渡っていた。

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